煥先輩が戻ってきて、わたしのカバンを拾い上げた。
 文徳先輩は小気味よさげに笑った。
「ご苦労さん、煥」
「苦労はしねぇが、鬱陶しい」
 煥先輩はわたしのカバンを持ったまま歩き始めた。
「あ、あの、わたしのカバン……」
「煥に持たせておけばいいよ」
 文徳先輩の声が至近距離から降ってきた。まずい、わたし、抱き付いたままだ。顔どころか、全身が熱くなっていく。慌てて離れようとするけれど、足下が定まらない。
「ああぁぁ、ご、ごめんなさい」
「無理しないで。支えたら、歩ける?」
 文徳先輩がわたしの肩を抱いてくれている。ドキドキして、口から心臓が飛び出しそうなくらいなのに、なぜか安心する。緊張のドキドキとそれとは違うドキドキが胸の中でマーブル模様に混じり合って、苦しくて切なくて温かくて。
 守ってもらってる。嬉しい。恐れ多い。やっぱり嬉しい。
 煥先輩は、赤い特攻服を足の甲に引っ掛けて蹴り飛ばして、駐車場に放り込んだ。赤い大型バイクに近付くと、手のひらから白光の正六角形を創り出して、バイクのタイヤをめがけて振り下ろした。
 ジュッ!
 ゴムの焦げる音、匂い。白光がタイヤのゴムを焼いたみたいだ。
 人間ふたりとバイク一台をあっさりと行動不能に追い込んだ煥先輩は、何事もなかったかのように平然と路地を進んでいく。
 銀髪の悪魔。尾張くんがそう呼んでいたことを思い出す。
 煥先輩はためらいもせずに、人にも物にも暴力を振るった。悪魔と呼ばれる意味がわかった気がした。
 わたしの隣を歩く文徳先輩が、不意にまじめな顔をした。
「さっきの連中はおれたちを狙ってる。鈴蘭さんも顔を覚えられたはずだ」
「あ、それは朝の時点で覚えられてたみたいで。わたしが文徳先輩と話していたのを、あの人たち、見ていたそうです」
 文徳先輩は眉間にしわを寄せた。
「そのせいで襲われかけたのか。ごめん、巻き込んでしまって」
「えっと、謝らないでください。結果的にはわたしも先輩たちも無事だったし。わたし、これからも気を付けるので」
「そのことだけど。鈴蘭さんは帰宅部?」
「はい。最終下校時刻まで、図書室で勉強してます」
「じゃあ、これからは帰りに必ず軽音部室に来て。今日みたいに送って行くから」
「え、ええっ!」
 大声をあげてしまった。慌てて口を押さえる。
 文徳先輩はまじめな顔を崩さない。
「瑪都流《バァトル》って名前、知ってる?」
「は、はい。ロックバンドで、暴走族でもあるって」
「おれが、その瑪都流のリーダー」
「……はい?」
 足が止まってしまった。文徳先輩も煥先輩も立ち止まる。文徳先輩がわたしのほうを振り返った。
「おれ、伊呂波文徳が瑪都流の総長。煥が副。牛富と雄と亜美は幹部。この町で最大の勢力だ」
 文徳先輩が暴走族? 生徒会長なのに? 進学科で、頭がよくて何でもできて、バンドだってやっていて。
「あっ、そっか、文徳先輩たちのバンドって……」
「瑪都流っていうんだ。中学時代からやってる」
 煥先輩が面倒くさそうに言った。
「暴走族云々よりバンド組んだのが先だ。オレたちがたまたまケンカが強くて、隣町には正真正銘のクズみてぇな暴走族がいて、連中がこっちの町の中高生をカモにしてて、オレたちがこっちの町のやつらをかばってやるうちに、オレたちまで暴走族扱いになってた」
「煥、そう嫌がるなよ。敵はおれたちと同じ言葉をしゃべってくれない。おれたちがあいつらと同じレベルの言葉を使ってやるしかないだろ。おれたちの影響力と腕力があれば守れる人たちを、みすみすあいつらの手に渡してやることなんかできない」
「わかってる。戦う覚悟はあるさ。オレは大袈裟なのが嫌いなだけだ」
 煥先輩は横顔だけをわたしに向けている。文徳先輩はわたしを見つめていた。
 文徳先輩は生徒会長で、暴走族の総長。表の顔があって、本性がある。その危険な対比に、わたしはゾクッとした。
「信用してほしい。瑪都流が鈴蘭さんを守るよ。もう怖い思いはさせない」
 暗示にかけられたように、わたしはうなずいた。