外灯の下で、文徳先輩を待つ。煥先輩は口数が少なくて、部室からここまで一言もしゃべっていない。
わたしはぼんやりと空を見た。満月に近い、明るい月がある。闇と呼ぶには、空の色はまだ淡い。
「おい」
煥先輩が久しぶりに口を開いた。
「何ですか?」
「兄貴のこと、好きなのか?」
「は、はぁっ?」
煥先輩は横顔だった。ポケットに手を突っ込んでいる。文徳先輩とそっくりな横顔なのに、髪が銀色でキラキラ透き通っているから、印象がまるで違う。
「あんた、兄貴ばっかり見てんだろ? 生徒会長としての兄貴は表の顔だ。音を出してるときの兄貴が本物だ。それと、バイク乗ってるとき」
何が言いたいんだろう?
「た、確かにわたし、文徳先輩に憧れてますけど、煥先輩には関係ないでしょう?」
「兄貴はめったに本物を出さない。表の顔で押し通す。本心を見せないのが兄貴の戦略だから」
言葉の続きを待ってみる。でも、煥先輩は黙ってしまった。
結局どういう意味なんだろう? 文徳先輩の本心を見てほしいってこと? それとも逆? 表の顔に憧れるだけなら軽い気持ちで近寄るなってこと?
突っ込んで質問してみたい気がした。でも、時間切れだった。
「ごめん、二人ともお待たせ!」
文徳先輩が生徒玄関から走り出てきた。わたしは笑顔をつくり直した。
「お疲れさまです。空を見たりしていました。月がキレイですよね」
文徳先輩が空を見上げた。のど仏の形に、なんとなく目を惹かれる。
「ああ、ほんとだ。月が明るいんだな。確か明後日が満月だ。鈴蘭さんは月が好きなんだろ?」
「え?」
文徳先輩は、月からわたしへ視線を移して、わたしのカバンを指差した。
「三日月の飾りが付いてる」
「これ、流行ってるんです。いろんな天体のモチーフのシリーズなんですけど、わたし、これに一目惚れしちゃって。三日月も好きだし、青い石も付いてて」
パッと銀色がひらめいた。煥先輩が勢いよく振り返ったんだ。目を見張っている。
「煥先輩?」
「……何でもない」
煥先輩はそっぽを向いて歩き出した。文徳先輩が呆れたように笑った。
「おい、煥、もっとゆっくり歩け。行こうか、鈴蘭さん」
「はい」
煥先輩が少し先で立ち止まる。
「安豊寺、あんたが先を歩け。じゃなきゃ、道がわからねえ」
ちゃんと送ってくれるつもりなんだ。無愛想だけど。
わたしと文徳先輩は並んで歩き出した。なんだか信じられない。
「鈴蘭さんの家はどっちの方向?」
「山手のほうです。住宅地を抜けて、丘のいちばん上のあたり」
「大きな家なんだ?」
「そうですね」
住宅地に入って、街灯の数が少なくなった。一人でここを歩いた記憶がよみがえる。ついて来る足音に気付いたのは、このあたり。
煥先輩が舌打ちした。
「尾行されてる。鬱陶しいな」
文徳先輩が声のトーンを低くした。
「一人か?」
「一人だな。でも、飛び道具を持ってやがる。ボウガンだ」
細く暗い路地の入口で、わたしは体がすくんだ。だって、わたしは一度、ここを進んだ先で。
文徳先輩がわたしの肩に手を触れた。
「怖い?」
「は、はい」
「無理もないな。おれから離れないで。煥、先に行け」
煥先輩がうなずいた。足音もたてずに路地を歩いていく。
わたしは文徳先輩に肩を抱かれた。そのまま歩き出す。心臓がゴトゴト騒いでいる。
大丈夫。今回は、守ってもらえる。わたしの身には何も起きない。きっと大丈夫。
路地の先に光がともった。バイクのヘッドライトに照らされて現れる、特攻服の人影。わたしは鳥肌が立つ。あの手の感触を思い出してしまう。気持ち悪い。怖い。
煥先輩が振り返らずに言った。
「兄貴と安豊寺はそこにいろ」
煥先輩が駆け出す。赤い特攻服が何か吠えた。怒鳴り声が路地に反響する。
わたしはカバンを投げ出して、文徳先輩にしがみ付いた。怖い。何も見たくない。文徳先輩の腕がわたしの体を支えてくれる。わたしはどうしようもなく、ふらつくながら震えている。
鈍い音が三回と、くぐもった悲鳴が聞こえた。
文徳先輩が低く笑った。ブレザーの胸が波打った。
「煥のやつ、容赦がないな。一瞬で沈めやがった」
わたしは文徳先輩を見上げて、ハッと胸を衝かれた。
文徳先輩の頬にえくぼができている。切れ長な目が強く輝いてる。こんなに男くさい笑い方をするなんて。
ダメだ、カッコよすぎる。頭が真っ白になる。恐怖が吹き飛んでいく。
煥先輩が駆け戻ってきた。
「まだそこを動くなよ」
そうだ。学ランの人が後ろにいるんだ。
学ランとわたしたちの間に立ちはだかって、煥先輩は右手を正面に突き出した。
まばたきひとつぶんほどの短い時の中で、いくつかの出来事が起こった。
煥先輩の手のひらの前に、純白の光が現れる。光は正六角形の板状に展開する。煥先輩の身長と同じくらいの、大きな正六角形だ。
学ランがボウガンを構えていた。矢が放たれた。
パシッ!
正六角形に矢がぶつかった。白い閃光が弾けて、矢はジュッと焼け落ちる。
煥先輩が吐き捨てた。
「下手くそめ。かすりもしねぇ軌道じゃねぇか。『障壁《ガード》』出した意味ねぇな」
煥先輩は無造作に右腕を下ろし、走り出す。学ランとの距離が一瞬で詰まる。
学ランがボウガンを投げ捨てたときにはもう遅い。
煥先輩がこぶしを繰り出した。駆け抜ける勢いを乗せたストレートパンチが学ランの頬に突き刺さる。
学ランはひっくり返った。気絶したのか、ピクリとも動かない。煥先輩はボウガンを踏み付けた。バキッと壊れる音がした。
暴力は嫌い。でも、わたしは博愛主義者なんかじゃない。
「因果応報、自業自得」
達成感を込めて、つぶやいた。
わたしはぼんやりと空を見た。満月に近い、明るい月がある。闇と呼ぶには、空の色はまだ淡い。
「おい」
煥先輩が久しぶりに口を開いた。
「何ですか?」
「兄貴のこと、好きなのか?」
「は、はぁっ?」
煥先輩は横顔だった。ポケットに手を突っ込んでいる。文徳先輩とそっくりな横顔なのに、髪が銀色でキラキラ透き通っているから、印象がまるで違う。
「あんた、兄貴ばっかり見てんだろ? 生徒会長としての兄貴は表の顔だ。音を出してるときの兄貴が本物だ。それと、バイク乗ってるとき」
何が言いたいんだろう?
「た、確かにわたし、文徳先輩に憧れてますけど、煥先輩には関係ないでしょう?」
「兄貴はめったに本物を出さない。表の顔で押し通す。本心を見せないのが兄貴の戦略だから」
言葉の続きを待ってみる。でも、煥先輩は黙ってしまった。
結局どういう意味なんだろう? 文徳先輩の本心を見てほしいってこと? それとも逆? 表の顔に憧れるだけなら軽い気持ちで近寄るなってこと?
突っ込んで質問してみたい気がした。でも、時間切れだった。
「ごめん、二人ともお待たせ!」
文徳先輩が生徒玄関から走り出てきた。わたしは笑顔をつくり直した。
「お疲れさまです。空を見たりしていました。月がキレイですよね」
文徳先輩が空を見上げた。のど仏の形に、なんとなく目を惹かれる。
「ああ、ほんとだ。月が明るいんだな。確か明後日が満月だ。鈴蘭さんは月が好きなんだろ?」
「え?」
文徳先輩は、月からわたしへ視線を移して、わたしのカバンを指差した。
「三日月の飾りが付いてる」
「これ、流行ってるんです。いろんな天体のモチーフのシリーズなんですけど、わたし、これに一目惚れしちゃって。三日月も好きだし、青い石も付いてて」
パッと銀色がひらめいた。煥先輩が勢いよく振り返ったんだ。目を見張っている。
「煥先輩?」
「……何でもない」
煥先輩はそっぽを向いて歩き出した。文徳先輩が呆れたように笑った。
「おい、煥、もっとゆっくり歩け。行こうか、鈴蘭さん」
「はい」
煥先輩が少し先で立ち止まる。
「安豊寺、あんたが先を歩け。じゃなきゃ、道がわからねえ」
ちゃんと送ってくれるつもりなんだ。無愛想だけど。
わたしと文徳先輩は並んで歩き出した。なんだか信じられない。
「鈴蘭さんの家はどっちの方向?」
「山手のほうです。住宅地を抜けて、丘のいちばん上のあたり」
「大きな家なんだ?」
「そうですね」
住宅地に入って、街灯の数が少なくなった。一人でここを歩いた記憶がよみがえる。ついて来る足音に気付いたのは、このあたり。
煥先輩が舌打ちした。
「尾行されてる。鬱陶しいな」
文徳先輩が声のトーンを低くした。
「一人か?」
「一人だな。でも、飛び道具を持ってやがる。ボウガンだ」
細く暗い路地の入口で、わたしは体がすくんだ。だって、わたしは一度、ここを進んだ先で。
文徳先輩がわたしの肩に手を触れた。
「怖い?」
「は、はい」
「無理もないな。おれから離れないで。煥、先に行け」
煥先輩がうなずいた。足音もたてずに路地を歩いていく。
わたしは文徳先輩に肩を抱かれた。そのまま歩き出す。心臓がゴトゴト騒いでいる。
大丈夫。今回は、守ってもらえる。わたしの身には何も起きない。きっと大丈夫。
路地の先に光がともった。バイクのヘッドライトに照らされて現れる、特攻服の人影。わたしは鳥肌が立つ。あの手の感触を思い出してしまう。気持ち悪い。怖い。
煥先輩が振り返らずに言った。
「兄貴と安豊寺はそこにいろ」
煥先輩が駆け出す。赤い特攻服が何か吠えた。怒鳴り声が路地に反響する。
わたしはカバンを投げ出して、文徳先輩にしがみ付いた。怖い。何も見たくない。文徳先輩の腕がわたしの体を支えてくれる。わたしはどうしようもなく、ふらつくながら震えている。
鈍い音が三回と、くぐもった悲鳴が聞こえた。
文徳先輩が低く笑った。ブレザーの胸が波打った。
「煥のやつ、容赦がないな。一瞬で沈めやがった」
わたしは文徳先輩を見上げて、ハッと胸を衝かれた。
文徳先輩の頬にえくぼができている。切れ長な目が強く輝いてる。こんなに男くさい笑い方をするなんて。
ダメだ、カッコよすぎる。頭が真っ白になる。恐怖が吹き飛んでいく。
煥先輩が駆け戻ってきた。
「まだそこを動くなよ」
そうだ。学ランの人が後ろにいるんだ。
学ランとわたしたちの間に立ちはだかって、煥先輩は右手を正面に突き出した。
まばたきひとつぶんほどの短い時の中で、いくつかの出来事が起こった。
煥先輩の手のひらの前に、純白の光が現れる。光は正六角形の板状に展開する。煥先輩の身長と同じくらいの、大きな正六角形だ。
学ランがボウガンを構えていた。矢が放たれた。
パシッ!
正六角形に矢がぶつかった。白い閃光が弾けて、矢はジュッと焼け落ちる。
煥先輩が吐き捨てた。
「下手くそめ。かすりもしねぇ軌道じゃねぇか。『障壁《ガード》』出した意味ねぇな」
煥先輩は無造作に右腕を下ろし、走り出す。学ランとの距離が一瞬で詰まる。
学ランがボウガンを投げ捨てたときにはもう遅い。
煥先輩がこぶしを繰り出した。駆け抜ける勢いを乗せたストレートパンチが学ランの頬に突き刺さる。
学ランはひっくり返った。気絶したのか、ピクリとも動かない。煥先輩はボウガンを踏み付けた。バキッと壊れる音がした。
暴力は嫌い。でも、わたしは博愛主義者なんかじゃない。
「因果応報、自業自得」
達成感を込めて、つぶやいた。