生徒会の話をして、でも少し流れが変わる。最初の十五日の朝には、名前の呼び方の話をした。でも今、わたしはもう「文徳先輩」と呼んでいる。「伊呂波先輩」ではなくて。
 そして、もう一つ。
 記憶の中の流れとは違う言葉が、わたしをまっすぐに貫いた。
「おい。もしかして、あんたもか?」
 低く澄んだ声は、ささやきですら、よく通る。感情が読みづらいはずの声なのに、今のはわかった。
 驚いている。
 わたしは声の主を見た。銀色の髪、金色の瞳。端正な顔が、眉をひそめている。
 煥《あきら》先輩が近付いてきたことに、わたしは目を見張った。記憶と違う。記憶の中の煥先輩は、文徳先輩を置いて学校へ向かった。
「どうして、煥先輩だけ……」
 煥先輩はわたしの腕を取って、文徳先輩たちから引き離した。金色の目が、近い距離からわたしを見下ろす。
「あんた、緋炎《ひえん》の狂犬を刺しただろ?」
「えっ」
「違う。刺したじゃない。これから刺すんだ。十五日の夕方、路地の駐車場のそばで」
「どうして、そんな……」
「凶器は、ただのナイフじゃない。青い宝珠のツルギ、青獣珠だろ?」
 わたしは声が出ない。驚きすぎて、恐ろしくて。
 どうして知っているの? どこで見ていたの? あなたは何者?
 矢継ぎ早の質問が頭の中に湧き起こる。けれど、舌が動かない。冷たいくらい整った煥先輩の顔に視線を留め付けられたまま、わたしは声や呼吸まで固まっている。
 煥先輩は、自分のブレザーの内側に手を入れた。ボタンを留めないブレザーの内ポケットから取り出されたものに、驚きが重なった。
 白銀色の金属。刃のないツルギの柄。幾何学模様が刻まれた鍔《つば》。柄頭に、純白に澄んだ宝珠がきらめいている。
 煥先輩がささやいた。
「オレも同じだ」
 同じ? わたしは口を開く。のどが干からびでいる。おびえた吐息しか出ない。
 煥先輩が言葉を継いだ。
「十五日の朝、胸くそ悪い夢から覚めた後、白獣珠《はくじゅうしゅ》がこの形になってた。意味がわからないまま、夕方まで過ごした。あんたが軽音部の部室に現れて、目の前でチカラを使った。あんたを追い掛けて路地に入ったところで、目撃した。気付いたら、時間が巻き戻されてた」
 同じと言った意味がわかった。わたしと同じ時間の流れ方を体験している。そして、その理由は。
「煥先輩も預かり手なんですね?」
 やっと声が出た。
 煥先輩はうなずいた。白獣珠をブレザーの内側に戻す。
「夕方、部室に来い。逃げ出さなくていい。兄貴たちも預かり手の事情は知ってる。帰りも送ってやる」
 煥先輩はきびすを返して、スタスタと歩き出した。文徳先輩に「先に行く」と声をかける。
 わたしは立ち尽くしていた。文徳先輩が肩をすくめて、わたしに笑いかける。
「もしかして、あいつと知り合いだった?」
「いえ……あの、ちょっとだけ」
「あいつがおれの弟の煥。普通科の二年だよ。愛想がなくて、悪いな。おれのバンドのヴォーカルなんだけど、歌うとき以外はずっとあの調子なんだ」
「そ、そうなんですね」
「あいつの声、いいだろ? 兄弟なのに、声は全然違う。あいつだけ、ほんとに特別な声してるよ。おれ、あいつの声が好きでさ。よかったら、聴きに来てほしいな」
 文徳先輩がわたしのほうを向いた。わたしは笑顔をつくった。頬がギシギシ鳴るような気がした。
「機会があったら、ぜひ。文徳先輩がギターを弾くところも見たいです」
「ありがとう。まあ、そのうちね。じゃあ、おれ、煥を追い掛けるから」
 チラッと手を振った文徳先輩が、軽快に駆け出した。
 頭の中がぐるぐるしている。わたし以外の預かり手に出会うなんて。その人が文徳先輩の弟だなんて。
「お嬢、よかったじゃん! 名前、覚えてもらってんだね!」
 いつの間にか、寧々ちゃんが隣にいた。
 尾張くんは、いつになく目を輝かせている。
「煥先輩、カッケェよな。すげぇ強いんだぜ。強すぎて、銀髪の悪魔って呼ばれてんの」
 悪魔。どうなんだろう?
 あの人も能力者だから、わたしが能力者でも怖がらない。今日の帰りも送ってくれるって言った。悪い人ではないのかもしれない。
 だけど、怖い。感情の読みづらい声と瞳。文徳先輩とは正反対の雰囲気。
 カバンの中で青獣珠が言った。
 ――チカラが集い始めた。因果の天秤に均衡を取り戻すために――
 何かが起ころうとしている。