そんなこんなで、朝から、すでに疲れている。
 とりあえず、登校中。あくびを噛み殺しながら歩く。オレの前には、兄貴と師央。理系の話をしている。師央の背中には、オレが貸したリュックサックがある。
 兄貴は師央を気に入ったらしい。たぶん信用してる。何より、純粋に、おもしろがってる。まあ、兄貴の価値基準的には、おもしろいってのが最強なんだが。
 背の高い兄貴が、師央を見下ろす。まだ華奢な師央が、兄貴を見上げる。同じ栗色の髪。笑った横顔が似てて驚いた。昨日から何度も驚かされている。
 兄弟みたい、だよな。オレと兄貴よりもずっと、兄貴と師央のほうが似ている。姿はもちろん、雰囲気ごと、全部。
 学校が近付くにつれて、同じ制服の人影が増える。肩章が軍服っぽい、襄陽学園の制服。男子のネクタイも女子のリボンも、赤。校章の色が学年で違う。
 毎朝の憂鬱が、そろそろ始まる。視線が集まってくる。首筋が、ざわざわと粟立つ。来るな、と念じる。願いが通じたことはない。
「おはようございまーす、文徳先輩!」
「ああ、おはよう」
 女子の集団。いくつもの集団。兄貴が笑顔で応える。そのとばっちりが、オレにも飛んでくる。
「煥先輩、おはようございまーす!」
「もうっ、今日もクールなんだからぁ!」
 うるさい。
 去年、兄貴と同じ高校に上がって、こうして声をかけられるようになって、最初は面食らった。戸惑った。少しだけ、嬉しかった。銀色の髪、金色の目のオレは、姿だけで怖がられて避けられる。避けないのは瑪都流の中心メンバーだけだ。
 でも、襄陽学園では、オレは普通に声をかけられるのか? 期待したけど、違った。オレが挨拶されるのは、朝だけだ。兄貴と一緒に登校する朝だけ。すぅっと、胸が冷えた。結局、怖いのか。避けるのかよ。オレひとりのときは。
 半端にかまわれると、イラつく。全部シカトされるのより、さらに。
「文徳先輩、その子は親戚さんですか?」
 水を向けられた師央が固まる。兄貴は平然と師央の肩を抱いた。
「そうなんだ。いとこでね。しばらく同居することになった。襄陽に一時編入するんだ」
 さわやかな笑顔の仮面で、しゃあしゃあと嘘をついてる。兄貴の嘘はなかなかバレない。たまに、オレですら信じそうになる。おかげで、師央もまったく疑われてない。
「いとこさんかぁ。きみ、一年生?」
 こくこく、と、うなずく師央。口で言えよ。まあ、女子たちの勢いが怖いのか。完全に逃げ腰だ。兄貴にしがみついてるし。
 兄貴は適当に女子たちをあしらった。再び歩き出す。
「おい、兄貴、師央のこと広めていいのか? 師央は身元不詳だ。それを学園に潜り込ませるんだぞ。教職員にバレたら面倒だろ。黙っておくほうがいい」
 兄貴は肩をすくめた。
「そうカリカリするなよ。教職員と緋炎、どっちが危険だ?」
「緋炎だが」
「先生の説教食らう程度、平気だろ。師央の安全を思って、嘘くらい付き合え」
 一瞬、納得しそうになった。だけど、ちょっと待て。やっぱり変だろ。
「兄貴はどうして師央を信用する? 何を根拠に?」
 肩越しに振り返って、兄貴は笑った。
「ただの勘だよ。煥の行動原理と同じさ。師央は信用できる。無条件に受け入れていい。そう思わせる何かが、師央にはある。煥だって感じてるだろ?」
 否定できない自分がいた。
 変なやつが降ってきた。真っ先に警戒すべきだった。でも、背中にかばって戦った。警戒じゃなく、保護。なぜか、それが当然の気がしたんだ。
 ただ、オレの中に混乱もある。師央が来てからこっち、白獣珠が、たまに不快そうな声をあげる。因果の天秤に、均衡を。何度も言われて、もう覚えた。
 いや、だけど、白獣珠が嫌がってるのは師央自身ではない気がする。だって、師央も白獣珠を持ってるんだ。因果の天秤云々と、オレの白獣珠と同じく告げる白獣珠を。
「あの、煥さん、ぼくは……」
「寄るな。学校では、オレに近付くな」
 オレにとって、いつもの言葉だった。つい口を突いて出るくらい、いつもの。
 師央がどんな顔をしてるか、見なくてもわかった。オレが傷付けた。胸がザラッとした。不快感。どうして? 傷付いたからじゃなく、傷付けただけなのに。
「聞き捨てならない! あなた、本当に失礼なんですね。今の言葉は、ひどすぎると思います。師央くんに謝ってください」
 突然、横合いから、お節介な言葉が飛んできた。この声は、昨日、聞いた。響きだけは美しいけど、中身は口うるさい。
 オレはうんざりと、兄貴はさわやかに、師央は嬉しそうに、その女のほうを向いた。
 安豊寺は、兄貴と師央と、挨拶を交わした。そこは笑顔。挨拶を短く切り上げて、オレを見て、再び眉を逆立てた。
「おはようございます、煥先輩」
「……あぁ」
「挨拶もできないんですか?」
「小言かよ?」
「はい、小言です。昨日、結局、聞いてくれませんでしたからね」
 面倒くさい。兄貴効果でおとなしくなったと思ったのに。
 安豊寺は、ぐっとオレに近寄ってきた。ちっちゃいな、こいつ。オレも平均身長くらいだけど。安豊寺が、真下からオレを見上げる。怒った顔。大きな目が、生き生きして、キラキラしてる。
 胸が、また、ザラッとした。ザラッと? いや、ドキッと?
 黙ったオレを前に、安豊寺の小言が始まった。
「師央くんは訳ありなんでしょ? 昨日の話だけじゃ詳しい事情はわからなかったけど、師央くんが一人ぼっちで心細いのは、わたしにもわかります。先輩にもわかりますよね? なのに、さっきみたいな言葉、ぶつけるんですか? あなたは、行動が乱暴なだけじゃなくて、心まで乱暴なんですね。乱暴で、冷たいです。もっと相手の心を思いやって……」
「黙れ」
 延々と続きそうな小言を、一声でぶった切った。乱暴で冷たい心なんて、言われなくてもわかってる。キレイな声して、キレイな顔して、目の前で宣言してくれなくていい。
「煥先輩、あなたは……」
「しつこい。師央が心配なら、あんたが世話しろ。こいつもあんたも一年だ」
「どこまで無責任なんですか!」
「師央のことを第一に考えろってんだろ? なら、不良のオレと一緒はマズい。あんたら普通の生徒と過ごすのがいい。だからあんたに、世話しろって言ってんだ」
 安豊寺が目を見張った。どうして驚く? オレは当たり前のことを言っただけだ。
 ちょうどそのとき、視界に、知った人物が映った。元・烈花の三人、尾張兄弟と寧々だ。おはようとか何とか、挨拶が乱れ飛んだ。オレは順一の挨拶に軽くうなずいて、貴宏と寧々に告げた。
「師央を一年に潜り込ませたい。世話してやれ」
「了解っす!」
「何それ、おもしろそう!」
 師央が遠慮がちに頭を下げた。
「ぼくのほうからも、皆さんに、お願いしたいです」
 安豊寺は進学科、ほか二人は普通科らしい。早速、作戦会議が始まった。この授業は出欠確認が緩くて潜り込みやすい、とか。
 オレはにぎやかになった集団を離れた。騒がしいのも、人とつるむのも、笑うのも、しゃべるのも苦手だ。昔はこうじゃなかった。今はこうじゃなきゃやってられない。
 いっそのこと、もっと完全に、孤独になりたい。なのに、そうもいかない。
「煥、置いていくなよ」
 兄貴が追いついてきた。いつもだ。銀色の髪と金色の目、強すぎるケンカ、しかも異能持ちの、誰もが恐れる不良。オレはそれでいいのに、オレが一人になることを、兄貴は許さない。
「煥、新曲の歌詞、壮行会には無理だよな。ガレージライヴには間に合うか?」