そいつが再び口を開いた。オレを見つめて、言った。
「あなたが、伊呂波《いろは》、煥《あきら》?」
銀髪の悪魔でもなく、瑪都流の最強戦士でもなく、肩書なしのオレの名前を、そいつは呼んだ。
「確かに、オレが伊呂波煥だが?」
そいつの顔に、パッと笑みが広がった。キラキラした笑顔ってやつだ。子どもっぽいくらい純粋そうな顔。犬だったら尻尾を振りまくってるはずの。
「会いたかった!」
「は?」
何なんだよ? オレ、いつ、こんなのに懐かれたっけ?
「会いたかったんです、パパ!」
「なっ、パパ!?」
「ぼくは、未来を変えるために! パパの時代へやって来たんです!」
「い、意味わかんねぇ!」
「パパ!」
「ちょっ、おい、来るな!」
そいつは屈託なく飛び付いてこようとした。バカか? オレに気安く触るな。飛び付かれる直前、そいつの額を右手だけで押し返す。
「パ、パ……」
「誰が?」
「あなたが」
「誰の?」
「ぼくの」
「おまえ、いくつだ?」
「十五歳、高校一年生です」
「オレは高二だ。ガキはもちろん、女を作るつもりもない。いろいろ無茶があるだろ」
「ですから、ぼくは未来から……」
「黙れ」
頭痛ぇ。何なんだよ、こいつ?
「状況の説明を……」
「黙れ」
オレは、飛び付いてきそうなそいつを押さえたまま、ため息をついた。
と。
感じる。気配と音を。
「パ……」
「だから黙れ。来る」
バイクのマフラー音は、まだ遠い。足音が近い。オレは振り返った。赤い特攻服の連中が、いた。ざっと数える。十三人。
オレの背後から忍び寄る予定だったらしい。それより先に、オレが気付いた。連中は開き直った。走って距離を詰めてくる。手に手に武器を持っている。あの悪趣味な赤は、隣の町のやつらだ。暴走族と名乗ってイキってるやつら。
厄介なことになった。エアガンの連中と、赤服の連中。挟み撃ちかよ?
と思ったら、違った。
「煥、あいつら面倒だぜ! 気を付けろ!」
エアガンの連中のうち背の高い男が、オレに注意を促しながら駆けてくる。少し遅れて、残りの二人も。全員、襄陽の生徒だ。
優等生風の女が声をあげた。
「寧々《ねね》ちゃん! またこんな危ないことしてたの!」
エアガンの女が反応する。
「お嬢こそ、首突っ込んでくるなんて。てか、こっち来て!」
「えっ、えっ、何? あれ、尾張《おわり》くんも一緒なの?」
背の低い男が優等生風の手を引いた。
「安豊寺《あんぽうじ》、こっちだ! 危ねえって言ってんだよ!」
三人は知り合いらしい。
オレは背の高い男に向き直った。顔を見たことある気がする。
「キョトンとするなよ、煥。去年も今年も同じクラスだろうが! 順一《じゅんいち》だよ、尾張順一」
「あ、そう」
「クールだな、相変わらず」
「エアガンぶちかましてくる相手に、愛想ふりまくか?」
「すまんすまん。こいつらに乗っかってみた。敵討ちごっこというか」
「迷惑だ」
ケロリとした表情と口調。ああ、思い出した。移動教室がある休み時間に起こしてくれるやつだ。
「煥、さっきのは謝る。てか、謝らせてください。その上で話があるんだけど、後でな」
順一が顎をしゃくった。指し示した先で、赤服の連中が、間合いを挟んで立ち止まった。真ん中の男がリーダー格らしい。ニヤニヤしながら口を開いた。
「瑪都流の銀髪野郎に烈花《れっか》の残党! 締めてぇやつらが揃ってやがる! ラッキーだな、おい!」
順一がニヤリとして、ささやいた。
「共同戦線ってことで、いいか?」
「信用できるんだな?」
「おれら、むしろ瑪都流に入れてもらいたい。後から詳しく話す」
「兄貴に話せ」
「了解」
赤服のリーダーが吠えた。
「内緒話してんじゃねぇよ! 今からテメェらを潰すって言ってんだよ!」
隣町の赤服の連中とは、何度も戦ってる。ケンカをふっかけられるんだ。オレが「瑪都流の銀髪野郎」だという理由、それだけで。
順一が烈花の女にエアガンを渡した。
「寧々、後ろから援護しろ。おれの銃も使え。貴宏《たかひろ》も寧々に銃を渡せ」
「了解。寧々、お嬢を守ってろよ」
「わかってる」
オレは、栗色頭の謎のやつを振り返った。
「おまえも、ここでじっとしてろ」
「あ、えっと、あの、これは?」
「ただのケンカだ」
「ケ、ケンカ?」
そいつは目をパチパチさせた。よく見たら、目の色もだ。兄貴と同じ、赤みがかった色。伊呂波の家系の目の色だ。
オレの背中に、手が触れようとした。迫る気配にとっさに反応して、払いのけた。軽すぎるような手応え。
「痛っ」
女の声。しまった、と気付く。オレに触れようとしたのは、あの優等生風の。
「お嬢、大丈夫!?」
「大丈夫、ビックリしただけ。でも、いきなり暴力的なことをするなんて。あなた、ちょっと失礼ですよ!」
小柄な女がまっすぐにオレをにらんだ。
「今のは、すまん。ただ、オレに触ろうとするな。苦手なんだ」
にらんだ目が、くるっと表情を変えた。驚いた、みたいな。
「謝るんだ」
不良なのに、という副音声が聞こえた気がした。オレは不良だと名乗ったことはない。勝手にまわりがオレにレッテルを張る。
「とにかく、足手まといだ。そこでじっとしてろ」
「ケンカするんですか? 暴力的なことは、道徳に反してます!」
驚いた目が、またオレをにらんでくる。忙しい女。しかも面倒くさい。
「この状況じゃ、戦うのは避けられない。見たくなきゃ、下向いてしゃがんでろ」
「あなたねぇ、人に向かって命令口調? 友達なくしますよ?」
友達? 最初からいねぇよ、そんなもん。瑪都流だからって理由の仲間意識を共有できる相手は一応、数人いるが。
「小言は後で聞いてやる。今は時間がない。バイクの援軍が来る前に、ここのやつらを倒す。援軍も多くはない。暴れるぜ、烈花」
低く言い放てば応える、吠えるような三人の鬨の声。
体を動かしてる間は、いい。研ぎ澄まされたトコロに行ける。オレが、本当のオレになる。退屈な日常が消える。
「行くぜ!」
オレは地面を蹴った。
口ほどにもなかった。
ケンカは、日が沈む前に片付いた。烈花の残党の三人は、それなりに強かった。
オレたちが烈花と戦ったとき、こいつら、何でいなかったんだ? 相当な戦力だろうに。そう思ってたら、順一が先回りして答えた。
「もともと自滅するつもりだったらしい。幹部がさ、何かヤバいことやってたらしくて。一発でつかまるような、危険なこと。それに関わってなかったメンバーは、このとおり。何も知らされないまま放逐、ってわけ」
ヤバいこと、か。銃か薬の売人でもやってたのか。
「改造エアガンだって、十分ヤバいんだが。あの殺傷能力は完全に違法だ」
何にしても、行くあてのない順一と貴宏と寧々が瑪都琉に入りたいのは事実らしい。入るも何も、オレたちは暴走族じゃないってのに。群れてグループの名前を看板にしたがるやつの気が知れない。
「面倒くせえ。兄貴と話せ」
そういうわけで、学園に戻ることになった。兄貴は今ごろ、生徒会室だ。
間違いなく、兄貴は学園屈指の有名人だ。瑪都琉のリーダーにして、生徒会長。オレにとっては、にこやかな暴君でしかない。毎度毎度、どれだけ振り回されてることか。
背の高い順一と、低い貴宏。似てないが、兄弟らしい。両方とも髪はオレンジ色。小柳寧々は、順一と貴宏の幼馴染。黒髪のショートカット。前髪に一房、オレンジ色のエクステが交じってる。
元・烈花の三人は、まあいい。用件はわかった。遊びをふっかけてきたことも許す。今回のケンカ、あいつらの加勢のおかげで、無傷で済んだし。
問題は、こいつだ。
「おい、おまえ」
「ぼ、ぼくですか?」
「何ビビってんだ?」
「い、いえ、別に、その」
笑うわけじゃなく、目を細めてみせる。赤みがかった茶色の視線が逃げる。
「会いたかった相手が、実は暴力的な男で? それで驚いて、ビビってる? おまえの『パパ』はもっと優しい男なのか?」
「わ、わかり、ません。ぼくは、会ったこと、なくて」
父親に会ったことがない? ほんとに、何なんだ、こいつ?
と。
背中に触れようとする手のひらの気配を感じて、オレは払いのけるんじゃなく、飛びのいた。振り返りながら言う。
「条件反射で攻撃してしまう。さわるなって言ってるだろ」
お嬢、と呼ばれていた女。優等生風に、まじめに制服を着てる。
初めて、まともに顔を見た。黒くて長い髪、白くて小さな顔。作り物かよ? と思うくらい完璧な顔立ち。でも、違う。生き生きと輝く、大きな青色の目。まっすぐな怒りの表情。ふと視線を惹きつけられた唇は柔らかそうで、オレは思わず息を呑んだ。
名前、呼ばれてたよな。確か、安豊寺って。
「安豊寺鈴蘭《あんぽうじ・すずらん》です。条件反射で攻撃って、どれだけ暴力的なの? 信じられない。さっきだって、あんなに蹴ったり殴ったり」
一瞬とはいえ見惚れて損した。口うるさいやつは嫌いだ。
「やらなきゃ、こっちがやられる。不快なら見なくていいと忠告した」
「不快でも、見る必要があると思った! 立派な暴行罪ですよ! 通報されたら……」
「この河原でのケンカは、通報されない。部外者が口出しするな」
安豊寺が一歩、オレに近付いた。もう一歩、さらに一歩。結局、触れられる近さにまで。
「後ろからじゃダメでも、正面から近付けば、いいんですね」
どういうつもりだ?
いきなり、安豊寺に足を踏まれた。意外すぎて驚いた。
「わたし、頭に来てるの。平気で人に暴力を振るうなんて。攻撃されたら痛いでしょ?」
足を踏んでるのは攻撃のつもりか? このくらい、痛くもかゆくもないんだが。
それにしても小さいんだな、女の足って。すり切れたオレの革靴の上に乗った、安豊寺の革靴。一年なんだよな。ピカピカといってもいいくらいだ。
「小言は……」
「後で聞くって、さっき言ってました」
面倒くせぇ。
「……生徒会室で聞く」
オレが、じゃなくて、兄貴が。たぶん兄貴なら、安豊寺を丸め込めるから。
「というわけで? 煥《あきら》ひとりの手に負えないから、全員ここへ連れて来た?」
兄貴はクスリと笑って、愛用の椅子から立ち上がった。肘置きとキャスターの付いた椅子は背もたれの角度とクッションの質がいいらしい。生徒会室に兄貴が持ち込んだ私物だ。
容姿端麗、成績優秀。口を開けば、弁舌さわやか。スポーツも、かなりできる。趣味はバンド活動で、ギターと作曲が得意。
しかも兄貴は、生徒会長、且つ、暴走族と呼ばれる瑪都琉のリーダーだ。去年から、襄陽では髪の色が自由になった。その案を強引に押し通したのが兄貴だ。全生徒からの支持は、そこで手に入れた。
オレたちが生徒会室を訪れたとき、兄貴は仕事をしていたわけじゃなく、バンドスコアを書いていた。新曲のアレンジだ。ついでに詞も書きゃいいのに、なぜかオレに押し付けてくる。
兄貴はバンドスコアのノートを閉じて、元・烈花の三人を順に見た。
「尾張順一くんと貴宏くんの兄弟。それから、小柳寧々さん。きみたちのことは、烈花の総長だった男から聞いてる。面倒を見てやってほしい、とのことだ。歓迎するよ」
話、ついてたのかよ。
ホッとした顔で、三人は兄貴に挨拶した。兄貴も笑顔で受け答えする。基本的に、兄貴はいつも笑ってる。オレと正反対だ。
オレは兄貴に、赤服とのケンカのことを報告した。兄貴は肩をすくめた。
「ご苦労さまだったね。緋炎《ひえん》は最近、見境がないな」
ああ、そういえば、赤服の連中は緋炎とかいう名前だった。自他ともに認める暴走族だ。
「近々報復があるかもしれない」
「煥の言うとおりだ。きみたちは基本、三人で行動して。一人にならないようにね」
兄貴の指示に、尾張兄弟と寧々はうなずいた。
三人には、明日、瑪都琉の連中を紹介する。そういうことで、話が終わった。三人が生徒会室を出て行った。
兄貴が「さて」と言って、安豊寺に向き直った。
「意外な組み合わせだね。確か、安豊寺鈴蘭さんだったかな?」
「は、はい」
「学校には、もう慣れた?」
「おかげさまで」
安豊寺は、ふわっと笑った。
この女、笑うのか。しかも、ふわっと。兄貴の前では。
「知り合いなのか、兄貴?」
「前に、ちょっとね」
兄貴は適当に濁した。でも、安豊寺が顔を赤くしながら説明した。
「四月に、わたし、校内で迷ってて、生徒会長に助けていただいたんです」
「助けたなんて大げさだよ。おれのこと、すぐに生徒会長ってわかってくれたよね。あれは地味に嬉しかった」
「入学式でのお話、印象に残ってました。わたしも生徒会に入りたくなったくらいです」
だまされてる。兄貴の外ヅラに、完璧にだまされてる。兄貴も相当ケンカっ早いんだぞ。
兄貴がチラッとオレを見た。つられる形で、安豊寺もオレを見る。
「煥はおれの弟なんだ。ひょっとして、知らなかったかな?」
安豊寺の表情が変わった。青い目が、すぅっと冷たくなる。嫌われてるらしい。
「知りませんでした。そういえば、同じ苗字ですよね。伊呂波って珍しいのに、気付かなくて。だって、全然、似てませんから」
顔も骨格の感じも、実はかなり似てるんだが、似てるとは言われない。
似てない理由は、兄貴は長身でオレは普通くらいだから、とかじゃなくて、オレの銀色の髪と金色の目のせいだ。笑わないせいと、人嫌いのせいだ。冷たいとか怖いとか無愛想とか評される、オレの非社会的な性格のせいだ。
「鈴蘭さん」
兄貴が安豊寺を呼んだ。安豊寺は少し慌てたそぶりを見せた。
「あ、は、はいっ。何でしょうかっ?」
「煥が失礼なことをしたかもしれない。ごめんね。ただ、煥にも事情があるんだ。おれに免じて、煥を許してやってほしい」
「免じて、って生徒会長に言われたら……」
いいえ許しません、とは応えられない。だよな? たいていの女はそうなると思う。安豊寺も例外じゃないようだし。
兄貴がこっそりオレに目配せした。厄介ごとは片付けてやったぞ、って? あー、はいはい。感謝してるよ。じゃあ、ついでに、もう一人のほうもどうにかしてくれよ。
壁際でじっと立ち尽くしてるそいつは、さっきから一言も口を利いてない。しゃべり方を忘れたみたいだ。
オレと目が合うと、そいつは口を開けた。唇が動いた。でも、声が出てこない。
何してるんだ? 遊んでるわけじゃないみたいだ。顔をしかめてる。苦しそうというか、悔しそうというか。
しゃべりたいのに、しゃべれない? いや、でも、声も言葉もちゃんと出るはずだ。さっき、しゃべってたじゃないか。パパだの未来だの、変なことばかり。
そういえば。
「おい、おまえ、名前は?」
訊いてなかったよな、確か。向こうはオレの名前を知ってたけど。
そいつは口を開いた。今度は声が出た。
「師央です。伊呂波師央、十五歳です」
年齢は訊いてない。すでに知ってるし。
兄貴が首をかしげた。
「伊呂波? でも、うちの家系じゃないだろう?」
「いいえ、同じ伊呂波家です。ぼくは、信じてほしいんですけど、信じられないかもしれないけど、ぼく、未来からきました」
「未来っ?」
さすがの兄貴も声がうわずった。それが常識的な反応だよな。でも、師央と名乗ったそいつはめげない。まっすぐな目で兄貴を見つめた。
「ぼくは、伊呂波煥の息子です。だから、あなたは、ぼくの伯父なんです」
兄貴が、プッと噴き出した。
「伯父、か。確かにね。煥に子どもができれば、おれは伯父か」
「おい、兄貴。信じるのかよ?」
師央が声を高くした。
「信じてください! ぼくは、未来から、運命を変えるために__! __を、__に、して__っ」
「何を言ってるんだ?」
師央の口は動いている。でも、声が途切れる。その言葉は禁句だ、というルールが課せられてるみたいに。
あきらめるようにうつむいた師央は、汚れたシャツの胸ポケットを探った。何かをつかみ出す。そして、手のひらを開いた。
オレは息を呑んだ。兄貴の表情が固まるのも見えた。
師央の手のひらの上に載っているのは、純白の宝珠だ。大きくはない。直径は、オレの親指の爪の幅と同じくらい。測ったら、確か、二センチちょっとだった。
「白獣珠が、なぜ?」
曇りのないメタルが蔓草のように、白獣珠に巻き付いている。金でも銀でもプラチナでもないメタルだ。一部がフック状になっていて、そこに鎖を通して首から提げる。
首から提げている、はずなんだ。オレは自分の首筋に触れた。金属の鎖が、確かにある。鎖を指に引っかけて、引っ張る。
ある。オレがいつも身に付けている白獣珠。オレの異能の根源。オレの白獣珠はここにある。だったら、師央の手にあるモノは?
師央が顔を歪めた。必死な表情だった。
「この白獣珠が証拠になりませんか? これは、未来の白獣珠です。ぼくが未来から持ってきたんです。だから今、この時代に二つある。本来、世界に一つしかないはずの白獣珠が今、現にこうして二つあるんです」
偽物じゃないのか? と、まず疑うものだろう。ほかの品物なら。でも、白獣珠は別だ。疑う必要なんて、ない。
感じるから。本物だという息吹、鼓動。二つの気配が、完全に調和している。同じ白獣珠が、ともにここにある。その存在感は、間違いなく絶大で。
しかも、さっきから白獣珠の様子がおかしい。ひどく熱い。こいつに何かの意志があるのは今までも感じてたが、言葉を聞いたのは初めてだ――因果の天秤に、均衡を。
どういう意味だ? 白獣珠の本能ともいえそうな何かが、明らかに嫌がってる。師央が現れてから、ずっとだ。こいつのせいで、因果の天秤とやら狂ってんのか?
オレは、すっと目を細めた。
「おまえ、本当に、何者だ?」
低く冷えた、切れ味のいい声。自分でもうんざりするくらい、威嚇に向いた声だ。
師央が涙を浮かべた。へなへなと座り込んだ。
「信じてください、パパ」
その瞬間。
「ぶっ、くくっ、あははは! パ、パパ! あはははっ、煥が、パパって!」
兄貴が盛大に笑い出した。
「お、伯父さん?」
「おー、そうかそうか。おれは文徳伯父さんだよな。ちょっ、これ、笑える!」
腹を抱えて笑い転げる兄貴につられて、師央に笑顔が戻る。見れば、安豊寺も笑ってる。オレだけが取り残されてる。
とりあえず、オレは白獣珠をシャツの内側にしまった。笑い続ける兄貴に声をかける。
「これからどうするんだ?」
兄貴は目尻の涙を拭った。泣くほど笑うなよ。
「まあ、鈴蘭さんを家まで送らないとな。それから、師央を連れて帰る」
「は? こんなわけわからんやつを連れて帰る? 理由がわからねぇよ」
兄貴はサラッと答えた。
「理由? おもしろそうだから、だ」
うわ。またかよ。オレを厄介ごとに巻き込む、その一言。
「何て呼べばいいですか?」
「何とでも呼べ」
「じゃあ、パ……」
「パパはやめろ」
「それなら、おとう……」
「却下」
「えーっと、ちちう……」
「却下!」
「だって、何とでも呼べって」
「言ったが、父親って発想から離れろ」
食卓の向かいでは、兄貴が爆笑している。笑いごとじゃねぇよ。まったく。
オレは、だし巻き卵を口に放り込んだ。丁寧に巻かれた卵の淡い味。しゅっと染み出るだしの香り。
「うまい」
思わず、本音がこぼれた。師央がパッと顔を輝かせた。
「うわぁ、よかったです!」
師央を拾ったのは昨日のことだ。昨日の晩飯はそのへんのファミレスだった。いつもどおりってわけだ。
オレと兄貴は、セキュリティ完備の2LDKに二人で暮らしている。オレも兄貴も料理なんかできない。たまに瑪都流のメンバーが作りに来る。オレたちに実家ってものは存在しない。両親って人もいない。莫大な遺産と遠巻きの親族が、オレと兄貴の後ろ盾だ。
師央が早朝に起き出したのは気が付いた。外に出ようとしたから止めた。
「勝手にうろちょろするな」
「じゃあ、一緒に来てもらえますか? 朝ごはんの材料、買いたいんです」
いちばん近いコンビニへ師央を連れていって、金も出してやった。帰ってきた師央は、キッチンに立った。三十分後に、純和風の朝飯が出来上がった。白米、味噌汁、だし巻き卵、白菜の浅漬け。
「浅漬けは、出来合いのものなんですけど。味、お口に合うかな?」
オレと兄貴を前に、師央は肩を縮めた。兄貴は即座に食べ始めて、「うまい!」と目を輝かせた。外ヅラのいい兄貴はお世辞も得意だけど、この顔は本気だな。
ただ、なんとなく、オレは箸をつけるのに抵抗があった。だって、師央の正体がわからない。言葉も行動も意味不明だ。
黙ってたら、呼び名云々の話になって、兄貴が爆笑して、オレは腹が立って、でも、だし巻き卵はうまくて。
視線を上げてみる。師央の笑顔にぶつかる。ドキリ、とする。いや。ザワリ、か。何だろう? 白獣珠が、オレの違和感に同期して、拍動をわずかに速める。
能力を持ってるせいか、オレは勘がいい。予感や直感は、たいてい当たる。そのオレが、師央の赤茶色の目を見ていると、なつかしさ、寂しさ、やるせなさを感じる。
――すまない――
届かない言葉。
――生きてくれ――
届けたい願い。
記憶に似た、予知夢のような何かに、胸が騒ぐ。オレはこの未来を知っているのか?
「煥、さん?」
呼ばれて、ハッとした。師央がオレの名を呼んだんだ。
「それなら許す」
「あ、はい、ありがとうございます。あの、煥さん、考えごとですか?」
「何でもない」
「朝はパンのほうがよかったですか?」
「どっちでもいい」
兄貴が口を挟んだ。
「おれは和食が好きだな。それにしても師央くん、料理がうまいんだね。どこかで習った?」
「ありがとうございます。伯父……じゃなくて、文徳さん。師央って呼び捨てしてください。そっちのほうが慣れてるので」
「わかった」
「料理は、見よう見まねです。ぼく、そういう能力があるんです」
能力? ってのは、一般的な意味か? それとも……。
「おい、煥、眉間にしわが寄ってるぞ。もうちょっと柔らかい顔をしてろ。師央が怖がってるじゃないか」
「この顔は生まれつきだ」
「嘘だ」
「即答したな」
「おれは知ってるぞ。昔の煥はかわいかった。おにいちゃんって、いつもおれの後を……」
「十年以上昔だろ!」
幸せで、平和で、両親もいて、毎日、楽しかった。それが壊れるときが来るなんて思ってもみなかった。
でも、きっと、これは仕方のない運命なんだ。オレは宝珠の預かり手だから。宝珠はチカラを持ってる。チカラは争い事を招く。それくらい、頭の悪いオレにもわかってる。
食事の後片付けまで、師央は完璧だった。苦労して育ってんのか? 普通に湧いた疑問。同時に湧くのは、不吉な予感。
同じことを、兄貴も考えていた。皿洗いの背中に聞こえない声で言う。
「家事、慣れすぎだ。日常的にやってるんだろう。どういう家庭事情なんだろうな?」
例えば、親がいない? 親戚の家に、遠慮しながら住んでる?
あいつはオレを父と呼ぶ。兄貴を伯父と呼ぶ。そのタチの悪い言い方に従うなら、ゾッとする。
「オレは、詮索するつもりはねぇよ。でも、兄貴は信じるか?」
「おれが師央の伯父だって話?」
「信じられるはずもないか」
兄貴は肩をすくめた。
「さあ、どうだろう? 起こり得なくはないと思うけどな」
「オレは信じられない。時間をさかのぼる? 異常だ。あり得ない」
「奇跡の宝珠の預かり手で、不思議な能力の使い手が、頭から、異常を否定するのか?」
兄貴は、無駄にさわやかに笑った。
「オレは白獣珠の力を見たことがない」
「軽々しく使うものではないからな。でも、もしも師央が使ったのなら……」
水音がやんで、兄貴が言葉を切った。皿洗いを終えた師央が振り返った。
兄貴はさりげなく表情を変えた。生徒会長モードだ。ってのがわかるのは、オレだけだろうな。いや、亜美《あみ》さんにもわかるか。亜美さんは兄貴の彼女だ。
「師央、ありがとうな」
「このくらいでよければ、いつでも」
「助かるよ。ところで、今日、どうするつもりだ?」
「えーっと」
師央は何も考えてないらしい。兄貴は、しれっと言った。
「それなら、襄陽学園に来るといい。煥、制服を貸してやれ。新品のが一着、あるだろ?」
オレの制服はケンカのせいでボロボロで、見かねた兄貴が新品を買った。でも、オレはいまだに古いほうを着てる。
「ちょっと待てよ、兄貴。学外者を連れ込めって? バレたらどうするんだ?」
「ほぉ。じゃあ、煥は師央をほっとくのか? いつ緋炎が復讐に来るか、わからないのに?」
「この部屋なら安全だ」
「なら、煥もここにいてやれ」
「イヤだ」
「だったら、師央を連れて出るぞ」
「…………」
兄貴に逆らっても、ろくなことはない。というか、面倒くさくなってきた。
「制服、貸してやれよ」
兄貴のダメ押し。オレのため息。
「わかったよ」
師央が無邪気に飛び上がった。
「うわぁ、いいんですか! やったぁ! パパと同じ学校に行けるなんて!」
「パパじゃねえ!」
そんなこんなで、朝から、すでに疲れている。
とりあえず、登校中。あくびを噛み殺しながら歩く。オレの前には、兄貴と師央。理系の話をしている。師央の背中には、オレが貸したリュックサックがある。
兄貴は師央を気に入ったらしい。たぶん信用してる。何より、純粋に、おもしろがってる。まあ、兄貴の価値基準的には、おもしろいってのが最強なんだが。
背の高い兄貴が、師央を見下ろす。まだ華奢な師央が、兄貴を見上げる。同じ栗色の髪。笑った横顔が似てて驚いた。昨日から何度も驚かされている。
兄弟みたい、だよな。オレと兄貴よりもずっと、兄貴と師央のほうが似ている。姿はもちろん、雰囲気ごと、全部。
学校が近付くにつれて、同じ制服の人影が増える。肩章が軍服っぽい、襄陽学園の制服。男子のネクタイも女子のリボンも、赤。校章の色が学年で違う。
毎朝の憂鬱が、そろそろ始まる。視線が集まってくる。首筋が、ざわざわと粟立つ。来るな、と念じる。願いが通じたことはない。
「おはようございまーす、文徳先輩!」
「ああ、おはよう」
女子の集団。いくつもの集団。兄貴が笑顔で応える。そのとばっちりが、オレにも飛んでくる。
「煥先輩、おはようございまーす!」
「もうっ、今日もクールなんだからぁ!」
うるさい。
去年、兄貴と同じ高校に上がって、こうして声をかけられるようになって、最初は面食らった。戸惑った。少しだけ、嬉しかった。銀色の髪、金色の目のオレは、姿だけで怖がられて避けられる。避けないのは瑪都流の中心メンバーだけだ。
でも、襄陽学園では、オレは普通に声をかけられるのか? 期待したけど、違った。オレが挨拶されるのは、朝だけだ。兄貴と一緒に登校する朝だけ。すぅっと、胸が冷えた。結局、怖いのか。避けるのかよ。オレひとりのときは。
半端にかまわれると、イラつく。全部シカトされるのより、さらに。
「文徳先輩、その子は親戚さんですか?」
水を向けられた師央が固まる。兄貴は平然と師央の肩を抱いた。
「そうなんだ。いとこでね。しばらく同居することになった。襄陽に一時編入するんだ」
さわやかな笑顔の仮面で、しゃあしゃあと嘘をついてる。兄貴の嘘はなかなかバレない。たまに、オレですら信じそうになる。おかげで、師央もまったく疑われてない。
「いとこさんかぁ。きみ、一年生?」
こくこく、と、うなずく師央。口で言えよ。まあ、女子たちの勢いが怖いのか。完全に逃げ腰だ。兄貴にしがみついてるし。
兄貴は適当に女子たちをあしらった。再び歩き出す。
「おい、兄貴、師央のこと広めていいのか? 師央は身元不詳だ。それを学園に潜り込ませるんだぞ。教職員にバレたら面倒だろ。黙っておくほうがいい」
兄貴は肩をすくめた。
「そうカリカリするなよ。教職員と緋炎、どっちが危険だ?」
「緋炎だが」
「先生の説教食らう程度、平気だろ。師央の安全を思って、嘘くらい付き合え」
一瞬、納得しそうになった。だけど、ちょっと待て。やっぱり変だろ。
「兄貴はどうして師央を信用する? 何を根拠に?」
肩越しに振り返って、兄貴は笑った。
「ただの勘だよ。煥の行動原理と同じさ。師央は信用できる。無条件に受け入れていい。そう思わせる何かが、師央にはある。煥だって感じてるだろ?」
否定できない自分がいた。
変なやつが降ってきた。真っ先に警戒すべきだった。でも、背中にかばって戦った。警戒じゃなく、保護。なぜか、それが当然の気がしたんだ。
ただ、オレの中に混乱もある。師央が来てからこっち、白獣珠が、たまに不快そうな声をあげる。因果の天秤に、均衡を。何度も言われて、もう覚えた。
いや、だけど、白獣珠が嫌がってるのは師央自身ではない気がする。だって、師央も白獣珠を持ってるんだ。因果の天秤云々と、オレの白獣珠と同じく告げる白獣珠を。
「あの、煥さん、ぼくは……」
「寄るな。学校では、オレに近付くな」
オレにとって、いつもの言葉だった。つい口を突いて出るくらい、いつもの。
師央がどんな顔をしてるか、見なくてもわかった。オレが傷付けた。胸がザラッとした。不快感。どうして? 傷付いたからじゃなく、傷付けただけなのに。
「聞き捨てならない! あなた、本当に失礼なんですね。今の言葉は、ひどすぎると思います。師央くんに謝ってください」
突然、横合いから、お節介な言葉が飛んできた。この声は、昨日、聞いた。響きだけは美しいけど、中身は口うるさい。
オレはうんざりと、兄貴はさわやかに、師央は嬉しそうに、その女のほうを向いた。
安豊寺は、兄貴と師央と、挨拶を交わした。そこは笑顔。挨拶を短く切り上げて、オレを見て、再び眉を逆立てた。
「おはようございます、煥先輩」
「……あぁ」
「挨拶もできないんですか?」
「小言かよ?」
「はい、小言です。昨日、結局、聞いてくれませんでしたからね」
面倒くさい。兄貴効果でおとなしくなったと思ったのに。
安豊寺は、ぐっとオレに近寄ってきた。ちっちゃいな、こいつ。オレも平均身長くらいだけど。安豊寺が、真下からオレを見上げる。怒った顔。大きな目が、生き生きして、キラキラしてる。
胸が、また、ザラッとした。ザラッと? いや、ドキッと?
黙ったオレを前に、安豊寺の小言が始まった。
「師央くんは訳ありなんでしょ? 昨日の話だけじゃ詳しい事情はわからなかったけど、師央くんが一人ぼっちで心細いのは、わたしにもわかります。先輩にもわかりますよね? なのに、さっきみたいな言葉、ぶつけるんですか? あなたは、行動が乱暴なだけじゃなくて、心まで乱暴なんですね。乱暴で、冷たいです。もっと相手の心を思いやって……」
「黙れ」
延々と続きそうな小言を、一声でぶった切った。乱暴で冷たい心なんて、言われなくてもわかってる。キレイな声して、キレイな顔して、目の前で宣言してくれなくていい。
「煥先輩、あなたは……」
「しつこい。師央が心配なら、あんたが世話しろ。こいつもあんたも一年だ」
「どこまで無責任なんですか!」
「師央のことを第一に考えろってんだろ? なら、不良のオレと一緒はマズい。あんたら普通の生徒と過ごすのがいい。だからあんたに、世話しろって言ってんだ」
安豊寺が目を見張った。どうして驚く? オレは当たり前のことを言っただけだ。
ちょうどそのとき、視界に、知った人物が映った。元・烈花の三人、尾張兄弟と寧々だ。おはようとか何とか、挨拶が乱れ飛んだ。オレは順一の挨拶に軽くうなずいて、貴宏と寧々に告げた。
「師央を一年に潜り込ませたい。世話してやれ」
「了解っす!」
「何それ、おもしろそう!」
師央が遠慮がちに頭を下げた。
「ぼくのほうからも、皆さんに、お願いしたいです」
安豊寺は進学科、ほか二人は普通科らしい。早速、作戦会議が始まった。この授業は出欠確認が緩くて潜り込みやすい、とか。
オレはにぎやかになった集団を離れた。騒がしいのも、人とつるむのも、笑うのも、しゃべるのも苦手だ。昔はこうじゃなかった。今はこうじゃなきゃやってられない。
いっそのこと、もっと完全に、孤独になりたい。なのに、そうもいかない。
「煥、置いていくなよ」
兄貴が追いついてきた。いつもだ。銀色の髪と金色の目、強すぎるケンカ、しかも異能持ちの、誰もが恐れる不良。オレはそれでいいのに、オレが一人になることを、兄貴は許さない。
「煥、新曲の歌詞、壮行会には無理だよな。ガレージライヴには間に合うか?」
授業に出たり出なかったり、寝ていたり起きていたり。普段どおりだ。間延びした時間が過ぎていった。
放課後になった。教室に、瑪都流《バァトル》の中心メンバーで三年の牛富《うしとみ》さんが来た。
「文徳から頼まれた。部室に煥を連れて来いってさ」
わざわざ牛富さんを寄越すってことは、絶対逃げるなよって意味だ。面倒なやつが部室にいるのか。たぶん、あの口うるさい安豊寺だ。師央の保護者気取りでもしてるんだろう。
しぶしぶ牛富さんについていったら、案の定、部室はにぎやかだった。安豊寺はオレを見るなり、キッとにらんできた。
師央が、ぴょんと飛んできた。尻尾を振ってるのが見える気がした。
「煥さん、お疲れさまです!」
「別に疲れてない」
「今日、楽しかったんですよ!」
あれやこれやと報告が始まる。聞きたいわけじゃない。適当に聞き流しながら、オレは部室を見やった。この軽音部の部室は校舎の東の隅にある。
オレは兄貴のバンドでヴォーカルをしている。中学時代から、メンバーは変わっていない。兄貴はギターと作曲で、バンマスでもある。ちなみに、ドラムは牛富さんだ。
「……って感じで、数学ではヒヤッとしたんです。でも、寧々さんがフォローしてくれて。やっぱり普通に学校に通えるって、いいなぁ」
師央の笑顔が、不意に少し陰った。
「どういう意味だ、それは? 普通に学校に通ってないのか?」
「__のせいで、__の危険があるから」
師央の口が動いた。声が出ない。昨日と同じ状況だ。事情を説明しようとすると、できない? 暗示でもかけられてるのか? マインドコントロール? 師央はうつむいて、首を左右に振った。オレの胸がざわついた。気付けば、口走っている。
「楽しかったなら、よかったな」
師央の顔に微笑みが戻った。
「すごく普通で、楽しいです!」
瑪都流が集まる場所は、いくつかある。中心メンバーだけなら、軽音部室。それ以外もいるときは学外になるわけだが、いちばん大きな拠点は港の倉庫だ。
ここは港町だ。飛行機が発達するより前は栄えていて、世界じゅうの外国船が行き交っていたらしい。今は、昔ほどの活気はなくなってて、使われなくなった倉庫がたくさん放置されている。その一つを瑪都流が占拠しているわけだ。
そういう簡単な説明を、兄貴が、順一と貴宏と寧々に聞かせてやった。三人はまじめにうなずいた。その後すぐ、寧々は部室を出ていった。部活の大会が近いとのこと。不良とつるんでるくせに、部活やってるのかよ?
兄貴が順一と貴宏に言った。
「寧々さんを一人にするのは怖いな。繰り返しになるけど、いつ緋炎の報復があるか、わからない。三人は、一緒に行動してほしい」
貴宏が、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「了解っす。まあ、もともとそのつもりですよ。じゃ、寧々んとこ行ってきます」
「よろしく頼む。ところで、彼女は何部なんだ?」
「アーチェリーっすよ。あいつ、スポーツ推薦いけるレベルなんです。てか、全国級なんすよ。なのに、おれらとつるんでるから」
貴宏が眉の両端を下げた。不良とつるんでるから、何だ? 内申が悪くてスポーツ科に落ちた?
いずれにしても納得だ。エアガンでの狙いの正確さは、アーチェリーで鍛えたってわけか。髪を派手に染めてなくて、前髪に一筋だけのオレンジ色を入れてるだけなのも、すぐに隠せる工夫だろう。スポーツの大会では、黒髪が有利だ。審査員や観客の心象がいい。
不愉快な記憶がよみがえる。銀色の髪が生む偏見。染めてやろうかと、何度も思った。髪の色なんかじゃなく、オレ自身を見てほしかったから。
でも、兄貴がオレを止めた。煥はそのままでいい、おれがどうにかしてやると言って、確かに、どうにかしてくれた。校則を変えたんだ。髪の色が自由化した。染めてるやつが増えたおかげで、オレの奇抜な地毛も目立たなくなった。少しだけ気楽になった。
寧々と尾張兄弟がいなくなって、安豊寺が立ち上がった。
「わたしも、お暇します。軽音部の練習を邪魔しちゃいけないし」
兄貴が機材をいじる手を止めた。オレを見る。イヤな予感しかしない。
「煥、鈴蘭さんを送ってやれ」
やっぱりな。一応、オレは無駄な抵抗を試みる。
「兄貴が行けよ」
「煥がエフェクトの調整をするか? 固まってないアレンジを固めて、今度のライヴの契約書作って、パンフの原案を起こす? バンド関係の用事もろもろと、送るのと、どっちが煥の仕事かな?」
オレは、薄いカバンを肩に引っかけた。
「来い、安豊寺。家まで送る」
「いいえ、けっこうです! わたし、一人で帰れますから!」
青い目が、にらみ上げてくる。刺さる敵意に、オレはため息しかない。勝手にしろよ。って言えりゃ楽なのに。
兄貴は笑顔で肩をすくめた。瑪都流メンバーも、ニヤニヤしてる。ドラムの牛富さん。ベースで、兄貴の彼女の亜美さん。シンセサイザーで、オレとタメの雄《ゆう》。
師央がおずおずと手を挙げた。
「ぼくが、送りましょうか? 皆さんは練習があるでしょうし」
「師央くん、ありがとう。お願いしてもいい?」
いや、弱い師央じゃ意味がない。
結局、安豊寺と師央が並んで歩いている。その後ろを、オレが歩いている。歩くの遅いな、こいつら。安豊寺が小柄なせいか。
襄陽学園は町の真ん中あたりにある。学園より港寄りは繁華街。反対側は、そこそこ裕福な住宅地。特に、港からいちばん遠い山手のエリアは高級だ。安豊寺の家は山手エリアにある。徒歩通学の圏内だ。
昨日、成り行きで家の前まで送った。庭の広い大きな家だった。記憶の中にあるオレの実家に似ていた。門衛の雰囲気とか、芝生の庭の感じとか。寧々は安豊寺を“お嬢”と呼ぶ。中学時代のあだ名らしい。確かに安豊寺はお嬢さま育ちだ。
逢魔が時、っていう時間帯だ。日が沈んで、でも、ぼんやり明るい。
「煥さん」
振り返った師央に呼ばれた。安豊寺は前を向いたままだ。オレの顔なんか見たくない、ってとこか。
「何だ?」
「煥さんと文徳さん、どっちがモテますか? 今日、教室でそんな話になってて」
下らねぇ。
「見てわかれ。兄貴に決まってるだろ」
「見てても、わかりませんでした。煥さんのクールなとこがいいって人も多いし」
「遠巻きに見物するのと、モテるのと、全然違うだろうが。兄貴は普通にモテるんだよ。誰とでも平等に接するし、モテるくせに彼女一筋だし」
安豊寺が勢いよく振り返った。
「か、彼女っ?」
「さっき、部室にいただろ。三年の亜美さん。兄貴は昔から、亜美さんしかいないって言ってる。親同士も認めてたしな。許嫁って言っていい」
安豊寺は立ち止まって、ポカンとしている。師央が恐る恐る声をかける。
「あの、鈴蘭さん?」
「……えーっと……びっくりした……ごめん、うん、平気。そ、そっか、そうなんだ。文徳先輩、許嫁がいるんだ」
兄貴のこと、気になってたのか?
「残念だったな。さっさと歩け。暗くならないうちに帰るほうがいい」
ポカンとしてた安豊寺が、怒り顔になった。
「デリカシーないですよね、煥先輩」
勝手に言ってろ。
オレたちは再び歩き出した。足音高く進む安豊寺は、さっきより歩くスピードが速い。師央がオレを見た。
「煥さんは、彼女いますか?」
「いない。つくるつもりもない」
安豊寺が口を挟む。
「彼女、できないと思うよ。失礼だし、暴力的だし、デリカシーないし」
安豊寺もたいがい、口調がキツいけどな。オレに対してここまで言うやつも珍しい。兄貴を除けば、前代未聞だ。
「でも、煥さん、もうすぐ彼女できますよ。結婚も早いんです。高校を出て二年目だから」
「ふざけんな」
「だけど、ぼくが__未来なんです」
師央のセリフが不自然に途切れる。安豊寺がまた足を止めた。今度は体ごと師央に向き直る。
「昨日も未来の話をしてたね。白獣珠を見せながら。わたしが同席してもいい話なの?」
確かに昨日、師央は安豊寺の前で白獣珠の名を言った。でも、今の安豊寺の口振りは、あまりに迷いがない。
「白獣珠を知ってたのか?」
安豊寺は静かな目をオレに向けた。温度のない視線。嫌われてるな、と感じる。
「わたしは師央くんと話したいんです。割り込まないでください。でも、仕方ないですよね。四獣珠は大切なものだから。煥先輩が目の色を変えるのも、仕方ない」
髪がザワッと逆立つような気がした。こいつ、なぜ知ってる? 何を、知ってるんだ? 思わず、拳を固めた。手のひらに爪が突き立って、チリッと痛む。
「鈴蘭さんには、聞いてもらいたいです。鈴蘭さんは、全部を知る権利が、あります」
師央が言った。安豊寺は師央を見つめた。
「権利の根拠は? わたしの血筋? それとも、わたしの未来に関係があるの?」
ひとつ、沈黙。師央が言葉を選ぶための、空白。選ばれた言葉たちが紡がれる。
「ぼくは、鈴蘭さんの未来や運命を知っています。それが、ぼくがここにいる理由です」
「わたしの未来に、何が……」
その瞬間、まばたきひとつぶんの間に、いくつものことが連鎖的に起こった。
敵意の飛来を感じた。飛び道具だ。
カバンを捨てた。右の手のひらにチカラを集める。地面を蹴って飛び出す。左腕で安豊寺を抱える。右手を肩の高さに掲げた。光の障壁《ガード》を展開する。
バシッ!
障壁《ガード》に何かが衝突して燃え尽きた。粉砕したモノの破片がパラパラと落ちる。それが何かに気付いて、ゾッとした。
銃弾。
もちろん実弾だ。順一たちが使ってたエアガンのBB弾とはわけが違う。
「師央、走るぞ。銃で狙われてる」
突っ立ってる師央の正面に、オレは踏み込んだ。師央を背中にかばう。
バシッ!
二度目の銃弾が飛来して、消滅する。これは緋炎の仕業なのか? あいつら、銃にまで手を出してるのか?
「ちょ、下ろして!」
オレの左腕の中で安豊寺が暴れた。黙っててくれないと抱えにくい。
「じっとしてろ」
「へ、変なとこ、さわらないでっ!」
言われて初めて気付いた。手のひらに当たる感触の柔らかさ。ヤベぇ、気持ちい……じゃなくて! オレは慌てて安豊寺を突き放した。
「オ、オレは、別に、さわるつもりはっ」
「ムッツリスケベ!」
「ち、違うっ」
「最低!」
「誤解だ!」
三度目。空気の裂ける音。展開したままの障壁《ガード》に、手応え。
バシッ!
安豊寺が息を呑む。師央が震える声を絞り出す。
「銃声、聞こえないのに」
「サイレンサー付きの遠距離ライフルだろうな。狙われたのがオレじゃなきゃ、死んでる。でも、たぶん狙撃は終わりだ。直接攻撃の連中が来た」
オレが言い終わるより先に、マフラー音が聞こえ始めた。閑静な住宅地をバイクの集団が爆走してくる。
安豊寺が吐き捨てるように言った。
「暴走族って、騒々しい。あんな音させて、どこがカッコいいの?」
「同感だな。下手くそが改造すると、あんな音にしかならない。無駄に重くなって、走行の性能も落ちる」
思わず本音を口にした。安豊寺は無視。おい、この嫌われ方は、さすがに不本意だぞ。
住宅地を巡る坂道の下のほうから、ヘッドライトが現れた。五台、か。突っ込んでこられたら厄介だが。
「おまえら、下がってろ」
言いながら、師央と安豊寺を追いやる。どこかの邸宅を囲う塀に背中を預ける形だ。
あっという間に、五台のバイクに囲まれた。五台とも全部、真っ赤に塗りたくられたハーレー。ボディに緋炎のロゴがスプレーされている。
いかつい体格の男が五人、ハーレーを降りた。メットを脱いだやつが一人いる。顔を知ってる。幹部だ。
「よぉ、銀髪。昨日はうちの下っ端どもが世話になったな。あんなレベルじゃ退屈だっただろ? ってことで、骨のあるのを連れて来たぜ」
無駄に律儀な男だ。報復しに来たんだろう? バイクで突っ込んでくれば話は早いのに、わざわざ挨拶付きの決闘とは。
「どけ、邪魔だ」
「邪魔だってんなら、どかしてみな?」
「痛い目を見るぜ」
「そりゃこっちのセリフだ」
「忠告するが、銃はやめとけ。足が付きやすい」
「何言ってやがんだ、あぁ? ダラダラおしゃべりしてる時間はねぇんだよ。やれ」
幹部が顎をしゃくった。三人の男が飛びかかってきた。遅い。そして、バラバラだ。
一人目のナイフをかいくぐって、そのみぞおちに肘を叩き込む。体勢を沈めた流れに乗せて、回し蹴り。二人目の脚を払う。三人目の拳の軌道を上腕でそらす。前のめりの敵の体に、膝をぶち込む。ダメージの浅い二人目の腰を踏む。
これで三人とも、しばらく起き上がれない。あと二人。
前進して、幹部との距離を詰める。跳躍。かかとを頭上に落とす。ヒットする直前、勢いを殺した。でなきゃ、こいつの命がない。幹部は声もなく沈んだ。あと一人。
振り返って、舌打ちする。刃渡りの長いナイフが光っていた。安豊寺を狙っている。オレは飛び込んだ。角度が悪い。敵へのカウンターは望めない。ナイフの正面に、左腕を差し出した。
焼け付く痛みが上腕に走った。体勢を崩しながらも、敵を突き飛ばす。
「煥先輩!」
背中の後ろで安豊寺が叫んだ。敵が視線を動かした。オレから、師央へと。
「危ねぇっ!」
敵がナイフを振りかざして、師央に突っ込む。師央は右手を突き出して、目を見開いて立ち尽くしている。
瞬間、オレは目を疑った。師央の手のひらの正面、何もない空間に、光が集まる。
敵が師央に襲い掛かった。その瞬間、障壁《ガード》を形作る光がクッキリと見えた。敵が弾き飛ばされながら悲鳴をあげる。ヘルメットが煙を上げて焼け焦げた。異臭が混じる。たぶん、髪が焼けた匂いだ。
師央が、へたり込みそうになった。オレは駆け寄って、その腕をつかんだ。
「おまえ、今、何をした!?」
「障壁《ガード》を、出しました」
「オレの能力を、どうして?」
「見よう見まね、です」
オレは唇を噛んだ。師央には謎が多すぎる。考えがまとまらない。考えても仕方がない。今は、現実だけを見るほうがいい。
「まずはここを離れる。走れ。とりあえず、安豊寺の家を目指す」
危険を感じたら、進路を変えればいい。勘だが、今日の襲撃はこいつらだけだと思う。
そもそも、良識ある住宅地で仕掛けること自体、失策だ。今ごろ、誰かが通報してるだろう。伸びてるこいつらは、警察に回収される。
オレは、自分と安豊寺のカバンを拾った。安豊寺の足に合わせて、坂を駆け上がる。
傷の痛みが拍動している。でも、たいした深さの傷じゃない。このくらいなら、すぐにふさがる。
走るうちに、完全に暗くなった。やがて、安豊寺の自宅の明かりが見え始める。そのころには、早歩き程度のスピードになっていた。
安豊寺はせわしない呼吸をしている。一度耳につくと、ひどく気になった。色っぽいように聞こえて、焦る。そんな呼吸の仕方、するなよ。
オレは、安豊寺と師央に訊いた。つっけんどんな口調になった。
「歩くか? もう襲撃はないと思うぞ」
安豊寺と師央は足を緩めた。二人とも肩で息をしている。安豊寺がまた、オレに手を伸ばそうとした。見下ろすと、サッと手を引っ込めた。
「あ、あの、ケガ、大丈夫、ですか?」
息の多いしゃべり方に、ドキッとした。安豊寺の黒い前髪が汗に濡れている。軽く開かれた唇。真剣な表情の目。
オレはそっぽを向いた。師央と目が合いかけて、足元を見た。
「これくらい、慣れてる。安豊寺は無傷だろ?」
「はい」
「じゃあ、いい。気にするな」
「気に、しますっ。ちょっと、腕、貸してっ」
オレの左腕に安豊寺の手が触れた。ザワッと、寒気に似たものが背筋に走る。触れてくる手を払いのけようとして、左腕がビクリとする。安豊寺が小さく首をすくめた。
いけない。払いのけて、傷付けては、いけない。
でも、苦手なんだ。触れられるのも、触れ合うのも、他人の体温や柔らかさも。
安豊寺の黒髪が近い。いい匂いがした。一瞬で息が詰まった。安豊寺がオレを見上げた。夜の中に輝く青い目に射抜かれた。
「じっとして。すぐに治すから」
安豊寺がオレの左の上腕に手のひらをかざした。しなやかな形の手だ。それが不意に、ふわりと発光する。
「この光って、安豊寺、あんたも能力者なのか?」
安豊寺の手から淡い青色の光があふれ出して、オレの腕を包む。温かい。やわやわと、湯の中をたゆたうみたいに。
しゅわしゅわと炭酸が弾けるような感触とともに、傷口がふさがって痛みが消えていく。
安豊寺が歯を食いしばっていた。眉間にしわを寄せている。
「煥先輩の嘘つき。こんなに、痛いじゃないですか。傷、ズキズキして、ヒリヒリして。なのに、平気なふりしてたなんて。嘘つきです」
青い光が、すぅっと消えた。安豊寺がオレの腕から離れた。その瞬間、ふっと吹き抜けた夜風が、思いがけず冷たい。
「傷が、治った」
「これがわたしの能力、癒傷《ナース》です。わたしも能力者で、預かり手なんです」
安豊寺は制服のリボンをほどいた。カッターシャツのボタンを一つ外して、襟の内側に指を差し入れる。鎖がのぞいた。細い指が鎖を引くと、ペンダントトップが現れた。金でも銀でもないメタルに守られた宝珠。夜の中でも、冴え冴えと青い石。
オレの胸で白獣珠が鼓動している。同じリズムで、青い石の内側に淡い光が脈打っている。
「青獣珠《せいじゅうしゅ》か?」
「そうです。青龍の力を秘めた宝珠、青獣珠です。わたしは青獣珠の預かり手として、傷を癒すチカラを持っています。でも、限界があります。痛みを引き受けられる範囲の傷しか治せません。致死的な傷は、痛すぎて耐えられない」
安豊寺は右手で、自分の左の上腕をつかんだ。
「オレの傷、痛かったか?」
「痛かったです」
うつむいた安豊寺が弱々しく見えた。ごめんと、つい謝りそうになった。オレのせいじゃないのに。
「頼んでない。大したケガでもなかった」
「大したケガです!」
「オレにとっては、日常茶飯事だ。ケンカばっかりだからな。箱入りのお嬢さまには、想像もつかないだろ」
「そういう言い方、嫌いです! わ、わたしは別に、あなたのためじゃなくてっ、自分の自己満足のために、治しただけだから! だって、わたしのせいでケガしたみたいで。そ、そんなの、見てるだけで、痛いから……」
言葉尻がすぼんでいく。
安豊寺の声が聞こえたんだろう。屋敷の門衛がこっちへやって来た。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
オレは中年の門衛に安豊寺のカバンを渡した。
「物騒な連中と鬼ごっこしてきた。門を入るまで、見送らせてくれ」
門衛がオレに軽い疑いの目を向けている。そりゃそうだろう。見るからに崩れたオレの格好。お金持ちのお嬢さまを見送るには不釣合いだ。
「失礼ですが。お名前を頂戴してよろしいでしょうか?」
オレは、使いたくない名乗りを使った。
「伊呂波煥。白虎の伊呂波だ」
奇跡の根源、四獣珠。人が願いをいだくとき、願いに見合う代償を差し出すならば、四獣珠は願いを聞き入れる。願いは叶えられ、奇跡が実現する。
四獣珠には、四聖獣の力が宿っている。青は東方の青龍。白は西方の白虎。朱は南方の朱雀。玄は北方の玄武。四つの選ばれた家系が、四獣珠を預かっている。預かり手は当代に一人。その者は必ず異能を授かる。
白虎の伊呂波というオレの名乗りに、門衛は背筋を伸ばした。予想どおりだ。こいつは四獣珠の事情に通じている。オレの家の門衛がこんなふうだった。
門をくぐるまで、安豊寺は無言だった。さよなら、と師央が手を振った。その後になって、安豊寺はようやく声を発した。
「待って!」
門の格子の向こうから、青い目がオレをとらえた。人形みたいに整った顔が少しこわばっている。
「煥先輩、今日、ご、ごめん、なさい。わたし、生意気ばっかりで、口ばっかりで。足手まといにしかならなくて。何も、できなくて。役に立てなくて」
急に何を言い出すんだ? オレは左腕を掲げてみせた。
「できるだろ。役に立ってる。安豊寺のおかげで、無傷だ。兄貴に叱られなくてすむ」
安豊寺は目を丸くした。それから、小さく微笑んだ。唇の両端が持ち上がって、頬にえくぼができた。
オレは、息が止まる。初めて、まともに安豊寺の笑顔を見た。ただそれだけなのに、驚いて、ドキリとして、目をそらす。
「煥先輩、あともう一つ。わたしのこと、鈴蘭って呼んでください。わたしは先輩のこと、下の名前で呼ぶから。それに、安豊寺だと、青龍に縛られてるみたいで」
同じなんだ、と気付いた。オレが白虎を名乗りたくないのと同じだ。
「わかった、鈴蘭」
呼んでみて、また息が止まって、騒ぐ胸に戸惑って、鈴蘭に背を向ける。意味がわからない。名前を呼ぶだけで胸が苦しい。普段は、誰の名をどう呼ぼうと平気だ。亜美さんも寧々も、下の名前で呼んでる。
鈴蘭。その名前だけ、どうして? まるで何か特別なチカラを持つみたいに。
黙っていた師央が、口を開いた。
「ぼくは、知ってました。鈴蘭さんも能力者だってこと」
「未来で見てきたからか?」
「直接は見てません。だって、__は__、__から」
「話せないなら話すな。半端な情報は、かえってイライラする」
オレの八つ当たりに、師央はまじめにうなずいた。そして、話のトーンを変えた。
「おなかすきましたね。夕食、何を作りましょうか?」