パンッ!
 銃声が響いた。ハッとして振り返る。
「海牙!」
「まだ無事ですよ!」
 逃げ回る海牙に、世良が銃口を向けている。
 オレは世良のサイドに回り込んだ。二丁目の銃がオレを狙う。オレは避けない。障壁《ガード》を繰り出して、まっすぐ突っ込む。
 世良が飛びのく。海牙が世良の背後を突こうとする。世良が後ろざまに蹴り上げた。ブーツのかかとから、スパイクが飛び出す。ギリギリでかわす海牙を、世良が軸足を替えて追撃する。海牙が跳び離れる。
 入れ違いで、オレが世良に殴りかかる。よけられる。二発、三発。拳を繰り出しても、当たらない。体術だけなら、世良のほうが正木より強い。ムチのようにしなう世良の蹴りをかわす。速い。隙がない。
 オレと海牙が、少し離れる。世良が銃を構える。狙撃を回避して、連携して近付く。ダメージを与えられない。オレと海牙にピタリと狙いを定めて、世良がひっそりと笑った。
「KHANにいたころ、阿里くんのことが、ずっと目障りでした。単なるひがみですがね。力学《フィジックス》の使い手で、情報分析と身体能力に優れる。それだけじゃなく、容姿端麗。総統にも特別に気に入られている。ひがまないほうがおかしいでしょう?」
 憎しみと殺気が、世良の全身から噴き出している。海牙が目を細めた。
「それで? ぼくがパーフェクトなイケメンだから、ひがんで、どうしようというんです?」
 世良が海牙へと踏み出した。銃口の狙いはブレない。
「私は運がいい。チャンスに恵まれた。憎い相手を二度も殺すチャンスに!」
 正面からぶつけられる膨大な殺気に、海牙でさえ息を呑む。一瞬、確かに、海牙は怯んだ。
 刹那、空白。
 そして、銃声。
 世良が目を見開いた。その両手から銃が落ちた。右の太ももを押さえて、よろける。
 再び、銃声。
 世良の右肩が被弾した。ぐらりと崩れ落ちる。
 オレも海牙も唖然として、世良を撃った男を見つめた。
「まったく。勝手に殺さないでもらいたいですね。ぼくはこのとおり、まだ生きている」
 軽やかに憎まれ口を叩くのは、腹這いの体勢で銃を撃った男だ。緩く波打った髪と、緑の目の。
「さすがは阿里海牙ですね。いいところを持っていくんですから」
 海牙が、五年後の自分に駆け寄った。
「ぼくも文徳くんも満身創痍なんですよ。さっさと治してもらえますか?」
「へぇ。こういう声としゃべり方なのか。意外と鬱陶しいですね、ぼくって」
 二人の海牙が笑い合う。大人のほうの海牙が、玄獣珠を差し出した。
「二つもあったら、オーバーキルするかもね。でも、足りないよりはいいでしょう」
「何をするか、わかってるんですか?」
「この一枝のループを終わらせるんでしょ」
「想像がついてましたか」
「五年前、師央くんを亡くしたときにね」
 海牙が、二つ目の玄獣珠を受け取った。首から提げたほうも、服の上に引っ張り出す。
「オーバーキルってことはないでしょう。本当はここで死ぬはずの大ケガです。人の命の質量が懸かってるんですよ。石二つ砕けるくらいで、ちょうどいいはず。鈴蘭さんのチカラは偉大ですよ。こっちもお願いしたいところだけど」
「時間がないんです。生きてるうちに治してください」
 海牙は目を閉じた。玄獣珠が、チカリと光る。
「ぼくの声に応えよ、二つの玄獣珠。願いを叶えてほしい。阿里海牙と伊呂波文徳の傷を癒せ。代償は、玄獣珠!」
 二つの玄獣珠が粉々になった。その小さな二点から、爆発的なチカラが起こる。吹き散らす光と風を、肌で感じた。
 見慣れたほうの海牙が、オレを振り返った。顔いっぱいで微笑んでいる。
「やってやりましたよ。数値がなくなった視界って、ずいぶんシンプルですね。後は……」
 海牙の視線に導かれて、オレは、鈴蘭と師央と未来のオレたちに向き直った。赤ん坊は、いつの間にか泣き止んでいる。師央はもう障壁《ガード》を消している。鈴蘭の全身から、青い光が噴き出している。
「鈴蘭! 師央!」
 オレは駆け寄った。一瞬、ギョッとする。銀髪の男が仰向けに寝かされて、目を閉じていた。血に汚れた服の胸の上に赤ん坊がいて、キョトンとオレを見上げている。
 銀髪の男はオレで、赤ん坊は師央だ。横たわるオレの唇が、かすかに動いた。鈴蘭と師央の名を呼んでいる。
「鈴蘭、バカか? 自分のほうを先に治せって言っただろ!」
 大人の姿の鈴蘭は、目を閉じて動かない。腹に血の染みが広がっている。治療する鈴蘭は、その傷口に右手をかざしたまま、オレの声に顔を上げた。痛みに顔をしかめて、涙で頬が濡れている。唇の色がなくなってるのがわかる。せわしない息をしている。
「あ、煥先輩の、傷のほうが、深かったの。だから、先に」
 鈴蘭の声がわなないている。鈴蘭の左手を両手で握った師央も、苦痛の声を漏らしながら顔を伏せている。
 横たわる、大人の鈴蘭。力なく目を閉じた顔。胸を殴り付けられたように感じる。悲しい。自分自身が打ち砕かれそうなほど強く、悲しくて悲しくて悲しい。失いたくない。
「バカ。オレなんかより、おまえ……」
「煥先輩、わたしだって煥先輩を助けたい。やっと、力になれたの」
 無理して微笑んだ頬に、また涙が落ちる。
「痛かっただろ、オレのぶん。今だって、痛いくせに」
「平気、です。女は、強いんですよ? 赤ちゃん産むとき、絶対、もっともっと、痛いはず、だから。でも、頑張れるんだから!」
 気が付いたら、体が動いていた。鈴蘭と師央を抱きしめていた。
   ――オレの大切な――
   家族で、宝物。
 痛みが流れ込んでくる。撃たれた腹が、焼け付くように痛い。ろくに呼吸も保てないほど痛い。脳が痛みを拒絶する。意識がブラックアウトしそうだ。
 歯を食いしばる。痛みに耐える。
 だって、耐えてくれたんだ。鈴蘭も師央も、オレを癒すために。痛くて、苦しかったはずだ。こんな役目を二人に押し付けるなんて、オレは悪魔だな。
「ごめんな、鈴蘭、師央。痛い思いを、させてる」
 オレの腕の中で、二人が、そっと笑った。
「煥先輩って、頑固ですね。わたし、大丈夫、って言ってるのに」
「パパは、ぼくを、守ってくれ、たんです。ぼくも、守り、たいんですよ」
 涙が出そうなのは痛みのせい? 情けなさのせい? それとも、愛しさのせい?
 鈴蘭と師央は、本当は全部わかってんだろ? オレの弱さも、独りよがりなところも。肩肘張ってるくせに、ひとりじゃ生きられなくて、ずっと誰かのぬくもりに飢えていて、支えがほしくて助けがほしくて、愛されたくて。
 オレを救ってくれるのは、鈴蘭と師央だ。
 鈴蘭と師央を、オレは、ギュッと両腕に抱きしめていた。痛みに耐えながら。痛みを分け合いながら。
 オレたちは一緒に生きていく。そのかけがえのない未来を、絶対に失いたくない。決して滅ぼされたくない。必ず手に入れてみせる。
 腕の中の、呼吸の音。壊れそうなくらい温かい。人の命の柔らかさと触れ合うことに、ずっと怯えてきた。変わりたい。大切なものを守れる男になりたい。
 青い、青い光。
 ある瞬間に、ふと、オレの胸の中に青い光が現れた。傷の痛みが引いていく。
 鈴蘭がささやいた。
「終わりました。うまく、いきました」
 オレは、閉じていた目を開いた。大人の鈴蘭が、静かな寝息をたてていた。