海牙が、額を押さえる手を下ろした。緑色の目は陰っている。
「運命を変える、か。できれば、ぼくもそうしたいと思いますよ。歴史に名を残す物理学者は長寿の傾向があってね。ぼくも彼らにあやかりたいところなんですが」
 鈴蘭が自分自身を抱きしめた。力を込めているのがわかる。それでも、小柄な体の震えが収まらない。
「わたしも、どうにかしたい。何度目のループでも、同じように思ったはず。だけど、師央くんはこうしてここにいる。わたしにできることがあるの?」
 師央が涙を拭いた。オレは拳を固める。考えなきゃいけない。手がないなんて、信じたくない。
 理仁が椅子から立った。服の内側から、朱獣珠を取り出す。朱い輝きの宝珠を指先で弾いた。
「どのループでも試してないこと、あるよ。一か八かだけどさ、案外うまくいく気がする」
 全員、ハッとして理仁を見た。オレは理仁に詰め寄った。
「試してないこと? そんなのがわかるのか?」
「ま、これだけは確実にね。その前に一つ、身の上話、していい? おれが朱獣珠を嫌ってるって話。嫌ってる理由をね、聞いてほしくて」
 理仁はもう一度、朱獣珠を指先で弾いた。師央が首をかしげた。
「朱獣珠そのものを、ですか? 能力を持ってることを、ですか?」
「朱獣珠のほうだね。こいつのせいで、おれの家族、悲惨だし。といっても、師央よりは平和だよ? 師央のシナリオはひどすぎる」
 理仁は天井を仰いだ。言葉を探してるように見えた。少し間があって、理仁は再び口を開いた。
「おれの親父はさ、普通の人なんだ。能力がないって意味でね。でも、朱獣珠のチカラは、もちろんよく知ってて。若いころから、何度も頼ってたらしい。そういや、師央以外のみんなは見たことある? 四獣珠のチカラが発動するとこ?」
 オレは、ない。鈴蘭も海牙も、首を横に振った。
「そーだよね。たぶん、それが正常なんだ。預かってるだけで、使わない」
 師央が理仁に確認した。
「理仁さんは、見たことがあるんですね。おとうさんが朱獣珠を使うところを」
「何度もね。そのたびに、ペットが死んじゃって、親父の財産はガバガバ増えてった」
「ペットの命を代償に?」
 オレは合点がいった。
「正木が四獣珠を狙うようになるって話に、さっき理仁は、やっぱりと言った。それは父親を見てきたからなのか」
「正解だよ、あっきー。ハマっちゃうんだな、あのチカラに。そりゃ、便利だもんね。おれだって使いたくなったことがあるよ。親父を消してくれ、ってね」
 鈴蘭が眉を曇らせた。
「長江先輩のおとうさんって、襄陽学園の理事長ですよね? そういうかたなんですか?」
 理仁がため息をつく。
「そーいうかた、なんだよね~。朱獣珠があるからって、後先考えてなくてさ。おれが中学のとき、一時期マジでヤバかった。経営全部がドミノ倒しになりかけてたの。家政婦に給料払えなくなったりしてさぁ、姉貴と二人でファミレスに世話になったね」
 海牙が腕組みをした。
「でも、全面的に立て直しましたよね。今はむしろ以前より経営状況がいいはずです」
「海ちゃん、知ってんだ? 預かり手の家系を調べたって言ってたっけ? 不自然だと思ったっしょ?」
「運がよすぎる、と思いましたよ」
 理仁が鼻で笑った。歪んだ口元が、普段の理仁と違う。両目に暗い怒りが燃えている。
「運じゃなかったんだよ。朱獣珠が起こした奇跡でね。でも、親父が願ったんじゃないんだ。そのときだけはさ、おふくろだった。経営が破綻ギリギリまでいったとき、おふくろがさ、何て言ったと思う?」
 ぐるりと、理仁がオレたちを見渡す。海牙が答えを知っていた。
「だから、植物状態なんですね。リヒちゃんのおかあさんは」
 オレも鈴蘭も師央も、息を呑んだ。理仁は淡々とうなずいた。
「自分の身はどうなってもいいから、って言ったんだよね。そしたら、経営が奇跡的に回復した。おふくろは倒れて、それっきり。なのに、親父、平然としてやがんの。怖いよ~、マジで。次は誰が代償に使われるか、わかんないもん」
 口調だけは軽いふりをしている。笑いを保とうとする理仁の顔に、憎しみが透けて見える。
 鈴蘭が口元を覆った。
「だから、長江先輩は朱獣珠が嫌いなんですか」
「うん、大っ嫌いだね。こんなもん預かってるって、マジで最悪。あっきーと鈴蘭ちゃんと海ちゃんがうらやましい。四獣珠の怖さ、見ずに済んでてさ。でも、おれは見てるわけでね。だから余計に、おれは師央を助けたいって思うわけ」
 理仁は師央に笑いかけた。ちゃんとした笑顔だ。普段の理仁に戻っている。
「おふくろのことがあって、わかった。命の質量って重いんだよ。生命保険とか、ふざけんなってくらい安い。だって、うちの財産、一億じゃ利かないよ。それをおふくろ一人の正常な命ひとつで全部、あがなった。すげぇ話じゃん? だから、殺されちゃダメだよ、おれら。じーちゃんばーちゃんになるまで生きてようぜ」
 オレはうなずいた。命の重さは、オレも知っている。両親が死んでからの日々。ねじ曲がりかけた心。あんな思いを、師央にさせたくない。