そいつが再び口を開いた。オレを見つめて、言った。
「あなたが、伊呂波《いろは》、煥《あきら》?」
 銀髪の悪魔でもなく、瑪都流の最強戦士でもなく、肩書なしのオレの名前を、そいつは呼んだ。
「確かに、オレが伊呂波煥だが?」
 そいつの顔に、パッと笑みが広がった。キラキラした笑顔ってやつだ。子どもっぽいくらい純粋そうな顔。犬だったら尻尾を振りまくってるはずの。
「会いたかった!」
「は?」
 何なんだよ? オレ、いつ、こんなのに懐かれたっけ?
「会いたかったんです、パパ!」
「なっ、パパ!?」
「ぼくは、未来を変えるために! パパの時代へやって来たんです!」
「い、意味わかんねぇ!」
「パパ!」
「ちょっ、おい、来るな!」
 そいつは屈託なく飛び付いてこようとした。バカか? オレに気安く触るな。飛び付かれる直前、そいつの額を右手だけで押し返す。
「パ、パ……」
「誰が?」
「あなたが」
「誰の?」
「ぼくの」
「おまえ、いくつだ?」
「十五歳、高校一年生です」
「オレは高二だ。ガキはもちろん、女を作るつもりもない。いろいろ無茶があるだろ」
「ですから、ぼくは未来から……」
「黙れ」
 頭痛ぇ。何なんだよ、こいつ?
「状況の説明を……」
「黙れ」
 オレは、飛び付いてきそうなそいつを押さえたまま、ため息をついた。
 と。
 感じる。気配と音を。
「パ……」
「だから黙れ。来る」
 バイクのマフラー音は、まだ遠い。足音が近い。オレは振り返った。赤い特攻服の連中が、いた。ざっと数える。十三人。
 オレの背後から忍び寄る予定だったらしい。それより先に、オレが気付いた。連中は開き直った。走って距離を詰めてくる。手に手に武器を持っている。あの悪趣味な赤は、隣の町のやつらだ。暴走族と名乗ってイキってるやつら。
 厄介なことになった。エアガンの連中と、赤服の連中。挟み撃ちかよ?
 と思ったら、違った。
「煥、あいつら面倒だぜ! 気を付けろ!」
 エアガンの連中のうち背の高い男が、オレに注意を促しながら駆けてくる。少し遅れて、残りの二人も。全員、襄陽の生徒だ。
 優等生風の女が声をあげた。
「寧々《ねね》ちゃん! またこんな危ないことしてたの!」
 エアガンの女が反応する。
「お嬢こそ、首突っ込んでくるなんて。てか、こっち来て!」
「えっ、えっ、何? あれ、尾張《おわり》くんも一緒なの?」
 背の低い男が優等生風の手を引いた。
「安豊寺《あんぽうじ》、こっちだ! 危ねえって言ってんだよ!」
 三人は知り合いらしい。
 オレは背の高い男に向き直った。顔を見たことある気がする。
「キョトンとするなよ、煥。去年も今年も同じクラスだろうが! 順一《じゅんいち》だよ、尾張順一」
「あ、そう」
「クールだな、相変わらず」
「エアガンぶちかましてくる相手に、愛想ふりまくか?」
「すまんすまん。こいつらに乗っかってみた。敵討ちごっこというか」
「迷惑だ」
 ケロリとした表情と口調。ああ、思い出した。移動教室がある休み時間に起こしてくれるやつだ。
「煥、さっきのは謝る。てか、謝らせてください。その上で話があるんだけど、後でな」
 順一が顎をしゃくった。指し示した先で、赤服の連中が、間合いを挟んで立ち止まった。真ん中の男がリーダー格らしい。ニヤニヤしながら口を開いた。
「瑪都流の銀髪野郎に烈花《れっか》の残党! 締めてぇやつらが揃ってやがる! ラッキーだな、おい!」
 順一がニヤリとして、ささやいた。
「共同戦線ってことで、いいか?」
「信用できるんだな?」
「おれら、むしろ瑪都流に入れてもらいたい。後から詳しく話す」
「兄貴に話せ」
「了解」
 赤服のリーダーが吠えた。
「内緒話してんじゃねぇよ! 今からテメェらを潰すって言ってんだよ!」
 隣町の赤服の連中とは、何度も戦ってる。ケンカをふっかけられるんだ。オレが「瑪都流の銀髪野郎」だという理由、それだけで。
 順一が烈花の女にエアガンを渡した。
「寧々、後ろから援護しろ。おれの銃も使え。貴宏《たかひろ》も寧々に銃を渡せ」
「了解。寧々、お嬢を守ってろよ」
「わかってる」
 オレは、栗色頭の謎のやつを振り返った。
「おまえも、ここでじっとしてろ」
「あ、えっと、あの、これは?」
「ただのケンカだ」
「ケ、ケンカ?」
 そいつは目をパチパチさせた。よく見たら、目の色もだ。兄貴と同じ、赤みがかった色。伊呂波の家系の目の色だ。
 オレの背中に、手が触れようとした。迫る気配にとっさに反応して、払いのけた。軽すぎるような手応え。
「痛っ」
 女の声。しまった、と気付く。オレに触れようとしたのは、あの優等生風の。
「お嬢、大丈夫!?」
「大丈夫、ビックリしただけ。でも、いきなり暴力的なことをするなんて。あなた、ちょっと失礼ですよ!」
 小柄な女がまっすぐにオレをにらんだ。
「今のは、すまん。ただ、オレに触ろうとするな。苦手なんだ」
 にらんだ目が、くるっと表情を変えた。驚いた、みたいな。
「謝るんだ」
 不良なのに、という副音声が聞こえた気がした。オレは不良だと名乗ったことはない。勝手にまわりがオレにレッテルを張る。
「とにかく、足手まといだ。そこでじっとしてろ」
「ケンカするんですか? 暴力的なことは、道徳に反してます!」
 驚いた目が、またオレをにらんでくる。忙しい女。しかも面倒くさい。
「この状況じゃ、戦うのは避けられない。見たくなきゃ、下向いてしゃがんでろ」
「あなたねぇ、人に向かって命令口調? 友達なくしますよ?」
 友達? 最初からいねぇよ、そんなもん。瑪都流だからって理由の仲間意識を共有できる相手は一応、数人いるが。
「小言は後で聞いてやる。今は時間がない。バイクの援軍が来る前に、ここのやつらを倒す。援軍も多くはない。暴れるぜ、烈花」
 低く言い放てば応える、吠えるような三人の鬨の声。
 体を動かしてる間は、いい。研ぎ澄まされたトコロに行ける。オレが、本当のオレになる。退屈な日常が消える。
「行くぜ!」
 オレは地面を蹴った。