海牙が先導する道は人通りがなかった。裏路地を選んで走っているらしい。バイク並みの時速数十キロを出してローラースケートで疾走するところなんて、目撃されたくないだろう。オレとしても、人目がないのはありがたい。緋炎や警察に見付かったら、厄介だ。
 やがて、県境の高原地帯に入って、広々とした邸宅に到着した。まわりには人家も店もない。
「目的地ですよ」
 海牙は、さすがに軽く息を弾ませていた。ローラースケートから革靴に履き替える。
 そういえば、とオレは思い出した。
「方向音痴と言ってたが、今日は迷ってなかったな」
 海牙は、波打つ髪を撫でつけた。苦笑いしている。
「いくら何でも、通学路では迷いませんね」
 なるほど確かに、オレの家から一旦、大都高校のそばまで行った。そこから改めて、この邸宅へと向かった。位置関係からすると、大回りになっている。
 理仁がメットを取った。
「このお屋敷が海ちゃんちってこと?」
「いえいえ、まさか。ぼくはここに住ませてもらってるだけですよ。総統の何番目かの持ち家で、お気に入りの別荘だそうです」
「ふぅん。そういや、大都はほとんど全員が寮生だっけ? 海ちゃん、違うんだ?」
「縛られるのが苦手でね。監獄ですよ、あの寮は」
 海牙の案内で、バイクを駐車場に置いた。黒服の守衛にメットを預ける。
 普通だ、と感じた。意識を研ぎ澄ませてみても、違和感はない。それでも、オレは海牙に念を押した。
「信用していいんだな?」
「守衛さんのことだったら、どうぞ信用して。父君の形見に傷が付かないよう、見張ってくれますよ」
「阿里海牙という人間のことは? 信用できるのか?」
「んー、まあ、そのへんは、個人の見解ってものがあるでしょうね」
 理仁がやんわりと間に入ってきた。
「まずは話を聞かないとね~。でしょ、海ちゃん?」
 海牙は笑って、先に立って歩き出した。
「こっちへ、ついて来てください」
 枯山水の庭を抜けていく。西日を浴びた池がオレンジ色にきらめいている。
 松の木の陰から不意に、巨大な黒い犬が現れた。ガッシリとデカい頭が、オレの胸の高さにある。オレでもギョッとした。鈴蘭が喉の奥で悲鳴をあげた。
 黒い犬が口を開いた。ゴツい牙と薄い舌を持つ口が、器用に動く。
「よぉ、おかえり、海牙。友達でも連れて来たのか?」
 しゃべった。犬がしゃべった。低い男の声で、普通にしゃべった。
 聞き間違い? じゃないよな。鈴蘭も師央も理仁も、目を見張って固まっている。
 海牙は平然としていた。
「ただいまです、アジュさん。こちら、総統がお呼びの皆さんですよ」
 アジュと呼ばれた犬が笑った。犬の口から、普通の男の笑い声が出てきた。
「ああ、四獣珠の面々か。そう驚いた顔をするな。おれも能力者だ。これでも人間だよ」
 師央が恐る恐る進み出た。犬の姿のアジュと、あまり目の高さが変わらない。
「変身、できるんですね? 人間の姿から、この大きな犬の姿に?」
「こういう家系でね。預かってる宝珠の関係で、犬絡みのチカラを持ってる。坊やは何者だ? おれを探ろうっていう波動を感じる」
 理仁が茶々を入れた。
「師央が変身能力を習得《ラーニング》したとしてもね~、こんな強そうなワンちゃんにはなれないよ。チワワになっちゃうと思う」
「ぼくって、チワワなんですか?」
「かわいい子犬系男子でしょ。あっきーは、パッと見、狼系? の割には、実は草食系男子だよね~。ね、じれったいっしょ、鈴蘭ちゃん?」
「なな何でわたしに話を振るんですか!」
「理仁、いちいちふざけてんじゃねえ!」
 アジュが豪快に笑った。笑われるこっちとしちゃ、気分がいいものでもない。
「おいおい、そうにらむなよ。銀髪の悪魔だっけか。噂は聞いてたんだが、意外に普通の高校生だな」
 耳を疑った。
「オレが、普通?」
「おじさんの目には、そう映るってこった。よかったな、海牙。愉快な友達ができて」
 海牙が苦笑いを浮かべた。
「友達になれるかどうかは、未確定ですよ。今日これからの話次第ってとこですかね。まあ、とにかく彼らを総統のところへお連れしてきます」
「おお、そうか。引き留めて、すまんな」
 アジュは前肢の片方を軽く挙げて、立ち去った。海牙が歩き出しながら言った。
「気さくな人でしょ、アジュさん。これから夜勤なんですよ。守衛の仕事に就くときは、あの姿なんです。普段は人間の姿で生活しています」
 犬にありがちな匂いが、そういえば、しなかった。
「ここには、能力者がたくさんいるのか?」
「一定数は、いますよ」
「能力者を集めて、何をするつもりなんだ?」
「総統が集めておられるのは、違います。能力者ではありません。彼らを雇っているのは、失業者対策というか。とにかく、能力者が集まっているのは副次的なものなんです」
 師央が海牙の背中に尋ねた。
「組織に所属している、と言ってましたよね? ここの人たちもみんなそうなんですか?」
「ええ、まあ、そうですね。組織といっても、社会的公認ものじゃなくて、もっと緩い集まりなんですよね。総統が個人的に雇用してる人たちとか、ぼくみたいに、厄介になってるだけの人間もいるし。一応、KHAN《カァン》ってチーム名はあるけどね」
 K、H、A、N、と海牙は綴りを言った。鈴蘭が小首をかしげた。
「何かの略称ですか?」
「さあ? ぼくは知りません」
 つかみどころのないやつだ。
 屋根瓦を見上げると、何かの紋章が入っていた。家紋と呼ぶにはシャープなデザインだ。目を凝らすと、文字も見えた。KHAN、と刻まれている。