師央を拾った日から、一週間経った。相変わらず、師央はうちに居着いている。マメなやつだ。朝夕の飯はもちろん、昼の弁当まで作ってる。一昨日なんか、クッキーを焼いていた。寧々への差し入れにしたらしい。
「寧々さん、喜んでくれました。鈴蘭さんも甘いものが好きって言ってましたよ」
 経過報告はけっこうだが、一言余計だ。鈴蘭は関係ないだろ。
 このところ、割と平穏だ。緋炎の報復には警戒してるが、今はまだ目立った動きはない。厄介ごとといえば、むしろ内輪のほうだ。鈴蘭の送り迎えをすること。鈴蘭が理仁を避けまくること。その両方に、なぜかオレが巻き込まれている。
 オレと鈴蘭との間に、会話はほとんどない。間に師央が入るから助かる。
 でも、放課後。ときどき、ほんとに、ごくたまに、鈴蘭と二人だけになってしまう瞬間がある。
 沈黙。
 会話って、どうやるんだ? 鈴蘭はカバンから本を出して読み始める。オレは何もできずに、鈴蘭の横顔を眺める。鈴蘭は、澄ました横顔を保ったままだ。
 心臓が騒ぎ出す。鈴蘭を視界に入れておけなくて、目を閉じる。うるさい鼓動をごまかすために、唄を口ずさむ。兄貴が書いた曲だ。オレがそこに詞を付ける。
 ハミングの合間に、鈴蘭からバンドの曲かと訊かれて、そうだと答えた。その一往復だけ、会話が成立した。
 バンドの練習に、鈴蘭は来ない。師央は毎日、来ている。もはやマネージャーと化してるレベルだ。飲み物を用意したり、仮録音の機材を調整したりしている。
 兄貴の彼女の亜美さんは、バンドのベーシストだ。ベースは、基本的に指弾き。パワフルなスラップには定評がある。容姿は、イケメンって言われるくらいの、長身でショートカットの美人。その亜美さんが師央をえらく気に入っている。
「師央は、煥とそっくりな顔してるのに、こんなに表情豊かでキュートなんて。ほんっとに、おもしろい」
 亜美さんと牛富さんと雄、バンドメンバーの三人は、幼なじみでもある。お互い、物心つく前から一緒だった。
 その昔は、オレたちの家系は主従関係だったらしい。武人の血筋である伊呂波家が主人、亜美さんたち三人の家は従者、伊呂波の武力の背景にあったのは白獣珠だ。
 安豊寺家にも長江家にも同じような歴史がある。そういう話を、理仁がしていた。オレはあまり聞かなかった。
 知りたいのは、オレが生まれる前の過去じゃなくて、オレが生きていく先の未来だ。あるいは、オレが死んだ後の未来。師央は本当にオレの息子なのか? オレは近い将来、死ぬのか?
 襄陽学園の軽音部には二つの部室がある。そのうち一つは、人気No.1のバンドが独占する。残りの所属バンドは一室をシェアするしかない。弱肉強食のルールが、襄陽学園軽音部の伝統だ。
 今のNo.1はオレたちだ。去年の夏からずっと、人気は揺らいでいない。兄貴の影響力と、楽器勢四人の演奏力の賜物だ。楽器ができないオレは、歌うしか能がない。そんなにうまいとも思ってない。
 師央はロックを聴いたことがなかった。最初の練習の日には、轟音にビクついていた。が、三日もすると慣れてきて、ギターを習得《ラーニング》し始めた。指が痛いと言いながら、楽しそうだ。
「ところで、今さらなんですけど、バンド名って何なんですか?」
 確かに今さらな質問を、師央がしてきた。兄貴が答える。
「瑪都流《バァトル》だ」
「え? それ、暴走族の名前なんじゃないですか?」
「おれたちが暴走族を名乗ったこと、ないんだよな」
 兄貴はおもしろそうに笑っている。
 師央が説明を求める目でオレを見た。オレはぼそぼそと答えた。
「バンド名が独り歩きしたんだ。初期のファンに不良が多かったのもある。ファンが冗談で、下っ端だと名乗り出したのがきっかけだった。瑪都流の下っ端を名乗る不良が勝手に急速に増えて、気付いたら、今みたいな大集団になってた」
「それじゃ、暴走族って誤解なんですか? でも、ケンカとか、してますよね?」
 シンセの雄が、のんびり笑った。おとなしいように見えて、ケンカは十分強い。
「こっちから吹っかけることはないよ。向こうから来られることは、けっこうあるけど。瑪都流を目の敵にしてるヤンキーが多くて」
「誤解されてケンカ売られるんですか?」
 牛富さんは大柄で馬鹿力で、家が柔道場だから、鍛えられてる。亜美さんは剣道の有段者だ。乱戦になると、段位以上の腕を見せる。
 雄も牛富さんも亜美さんもかなわない相手が、オレの兄貴だ。幼児期に叩き込まれた古武術がベースで、自分流に磨き上げた体術がとにかく強い。
 そして、オレは突然変異だ。運動能力が異常なことは自覚している。筋力、瞬発力、動体視力、反射能力。何もかも、スポーツテストの数値を振り切る。
「じゃあ、バンドがカッコいいロックで、ファンに不良が多くて、バンドメンバーがたまたまケンカに強くて、だから、瑪都流が暴走族化したんですか?」
 亜美さんが苦笑いでうなずいた。
「しかも、あたしたち、バイクにも乗るしね。昔さ、チラッとモトクロスやってたの。モトクロスって、わかる? サーキットでのバイク種目なんだけど。あれで走りの正確さを鍛えたのよね。やっぱり、運動能力の高い煥が最速でさ」
 牛富さんが引き継ぐ。
「月に一回、夜にバイクを走らせてるよ。ただ、暴走なんかじゃねぇ。公道は、ルールを守って走ってるしな。爆音もふかしてねぇぞ」
 師央が気の抜けた顔をした。ふにゃっと笑っている。
「そうなんだ。怖がって損した気分です。最初、本当に怖かったんですよ」
 兄貴がニヤッとした。
「怖かったって、煥のことか?」
「はい」
「こいつは、いつでも、素で怖いだろ?」
「おい、兄貴」
「ほら、すぐにらむ」
 部室が笑いに満ちる。オレはうまくそこに乗っかれない。唇を噛んで、そっぽを向いた。
 兄貴は、もうちょっとだけ慎重だったら申し分ないのに。「おもしろそうだから」って一言で、全部が決まるんだ。暴走族と呼ばれて否定しなかったのも、おもしろ半分だった。なのに、オレたちは近隣で最強になってしまった。