壮悟くんが初めて食堂で朝ごはんを食べる。そのせいで、今日はみんなが沸き立った。看護師さんたちまでニコニコだ。
「あら、ようこそー」
 ものすごい大歓迎を受けたから、壮悟くんは仏頂面になったけれど、照れているだけなのが丸わかりだった。
 食堂の席は特に決まっていなくて、好きなように集まったり、ばらけたりする。今日は見事に、壮悟くんのまわりに男の子が集まった。
 ここの男の子は、勇大くんを筆頭に、やんちゃ坊主ばっかりだ。ほかの子の食べ物をほしがったり、ケンカしたり、大声を出したり、いきなりヒーローに変身し出したり。
「壮悟くんに男の子たちのお世話をお任せしてもいいですか?」
「世話って何?」
「自分のお盆のもの以外を食べないように、ちゃんと見張っていてほしいんです」
 壮悟くんは面倒くさそうにうなずいた。
「副作用とかの関係か。わかったよ」
「お願いしますね」
 一応、壮悟くんに任せておいて、あたしと望ちゃんも、さりげなく様子を観察していた。でも、そんな必要はなかった。壮悟くんはすごくよく目が利くんだ。
「おいこら、行儀よく食えって言ってるだろ。あんたはおれと同じ薬だろうが。ベーコンはダメなんだよ。おれも食いたいけど、我慢してんだ。治ったら、腹いっぱい食うぞ」
 荒っぽい口調なのに、なぜか男の子たちは聞き分けがいい。怖くないのかな? だけど、朝綺先生も言葉はキレイじゃないし。男の子にはこれくらいがちょうどいいのかな。
 望ちゃんは頬杖を突いて、ニヤニヤしている。
「壮悟くんって、実はいいやつかもね。背も高いし、けっこうカッコいいし?」
「そうみたいですね」
「優歌ちゃん、キープしておけば?」
「えっ、な、何言ってるんですか?」
「朝綺先生もいいけど、彼女いるっぽいよ。フリーの男の子、狙わなきゃ」
 ぐうの音も出ない。
 さっき、とんでもないことを言われた気がする。好きな女が隣に寝てて、とか何とか。あまりにもビックリして、スルーしたというか、ごまかしてしまったというか。
 ああ、まずい。ドキドキする。
「優歌ちゃん? 顔が赤いけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。何でもないですよ?」
「ふぅん? そぉお?」
「な、何でもないですってば! ほ、ほら、ごはん食べないと!」
 あらかた全員が食事を終えたころだった。朝綺先生が食堂に姿を現した。界人さんが車いすを押して、麗先生も一緒だ。
 あっという間に、朝綺先生と界人さんは子どもたちに囲まれた。麗先生は逃げ出して、壁際に下がった。あたしと目が合うと、苦笑いする。
 あたしは席を立って、麗先生のところへ行った。
「おはようございます。珍しいですね、麗先生がここへ来られるなんて」
「珍しいというか、初めてよ。院内学園の話は、朝綺からよく聞かされてるけど」
「朝綺先生も界人さんも、大人気なんですよ。若い男の人って、院内には少ないでしょう?小児病棟の看護師さんは女性ばっかりだし」
「だから壮悟も大人気ってわけね。楽しそうにしてるじゃないの。今日、実はあいつの様子を見に来たんだけど、心配なかったみたいね」
 壮悟くんが、ふと、こっちを見た。こわばった顔つきだ。壮悟くんは理生くんを振り切って、こっちへ来た。
 麗先生は腕組みをした。
「何よ?」
 壮悟くんは大きく息を吸って、吐いて、勢いよく頭を下げた。
「ゴメンなさい」
「何のこと?」
「いや、その……だから、いろいろ、失礼なこと言ったし、したし、その」
「顔、上げなさい。子どもたちが変に思うでしょ。あんたのことはそれなりにわかったつもりよ。謝らなくていい」
 壮悟くんは背筋を伸ばした。麗先生を見て、少し首をかしげる。
「臨床試験、見放さないでもらえますか?」
「何言ってるのよ。あんたの臨床試験は決定事項よ。今さら引っくり返ることなんてないの。だから、確実に抗がん剤治療を完了させなさい。臨床試験は、わたしが成功させてみせるから」
 壮悟くんは唇を噛んでうなずいた。
 そこへ勇大くんが駆けて来て、壮悟くんに飛び付いた。
「壮悟、いつまで美人と話してんだよ! 歯磨きしなきゃいけないだろ!」
「痛ってぇな! 呼び捨てすんなって言っただろうが!」
「壮悟おにぃちゃぁ~ん」
「やめろ、それも気持ち悪ぃ」
 二人でわいわいやりながら、洗面台に向かっていく。ほかの子どもたちもどんどん寄ってきて、壮悟くんにくっついた。
「うらやましいです。あたし、あんなふうにされたら、支えきれません」
「壮悟も体調がいいとき限定だけどね。副作用が強く出てる日は、フォローしてあげて」
「そうですね。気を付けておきます」
 朝綺先生と界人さんが、麗先生のところへ戻ってきた。
「すげぇな、壮悟のやつ。一瞬でなつかれやがって」
「安心したよ。今朝の彼は、いい顔をしてる」
 朝綺先生はゆっくりと手を持ち上げて、自分の目元を指差した。
「お互いさまだけど、腫れてるな。少しは眠れたか?」
「はい。大丈夫です」
 界人さんが、あごをつまんで考える仕草をした。メガネの奥の目は緑色ではないけれど。
「今夜も午後八時でいいかな? エピローグ、どんなふうになるか楽しみだ」
「え?」
 麗先生がサラリと髪を払った。その髪の色は、オーロラカラーではないけれど。
「テストプレイのレポート、何て書こうかしら? 書きたいことがたくさんあるの」
「あ……!」
 突然、光が弾けるように気付いた。
 ニコルさんとシャリンさんだ。こんなに近くにいたなんて。
 朝綺先生が、ラフ先生と同じ表情で、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。
「そーいうこと。じゃ、今夜八時、いつもの場所で」
「はい!」
 あたしの旅の仲間たちはそれぞれ微笑んで、子どもたちでにぎわう朝の食堂を後にしていった。