あたしは別のことを口にした。
「ここ、鍵がかかっていたはずです。どうやって入ったんですか?」
「飛路朝綺からカードキー借りた。借りたっていうか、押し付けられて」
「朝綺先生と仲直りしたんですか?」
「するわけないだろ。意味わかんねぇよ、あの人。いきなり部屋に来て、優歌が屋上にいるから話して来いって、カードキー置いてった」
 ドキッとしてしまった。優歌って呼び捨てにされたせいだ。壮悟くんに名前を呼ばれたのは初めてだった。
「あたしと話すって、何を?」
「とりあえず、文句言いに来た。ビンタされた後、看護師の人らにめちゃくちゃ笑われたんだぞ。あっという間にナースステーションに知れ渡ったらしくて、来る人来る人、からかっていくんだ。すげぇ恥ずかしかった」
「そうですか」
「口の中、ちょっと切った。血が止まんなくて、あーおれは白血病なんだなって改めて感じた。血小板、足りてないんだ。だから傷がふさがりにくくて血が止まらない」
 さっきとは全然違う意味で、ドキッとした。ゾッとしたって言うほうが正しい。心臓が冷たく飛び跳ねた。
「それは……ほんとにゴメンなさい。壮悟くんの病気のこと、忘れていました。少しのケガや感染症も危険なのに」
「別に。重傷じゃないし。精神的ショックのほうが大きかった。人に叩かれたの、初めてだったから」
 壮悟くんの頬を叩いた右手はジンジン痛んだ。あたしも人を叩いたのは初めてだ。せいせいしたのは事実だったけど、あの後、右手はガクガク震えて力が入らなかった。
「麗先生に謝りましたか?」
「……関係ないだろ」
「謝ってないんですね」
「あれから一度も見かけてないし」
「キミって、キス魔なんですか?」
「はぁ?」
 壮悟くんがあたしを見る。あたしも壮悟くんのほうを向いた。壮悟くんは顔をしかめた。
「あたしにも麗先生にもキスしたでしょう?」
「……キス魔なんかじゃない。初めてだったよ。あんたにキスしたのが、初めて」
「本当に?」
「嘘ついて何になるんだよ? ここ最近、自分でも、わけわかんないんだ。感情とか衝動とか、暴れ出したら止められない。混乱してる。じっとしてられなくて、怒鳴ったり庭に隠れたり。何でこんなふうなのか、わかんない」
 壮悟くんは言葉を紡ぎながら、だんだんうつむいた。あごの形が隠れると、まつげの長さがよく見えて、年下の男の子なんだなって、急に思い出した。
「不安なんですね」
 あたしの言葉に、壮悟くんはうなずいた。
「治んないんじゃないか、また再発したらどうしようって不安で。家族に負担かけまくってるし、病院のスタッフが一生懸命やってくれてるのもわかってる。おれなんか、世界のお荷物みたいなもんだ。早く治りたい、早く死にたいって、どっちも思う」
「治るか死ぬか、さっさとどっちかにしてって、その気持ち、あたしにもわかります。あたし、病院とは縁が切れないから」
「食物アレルギーって言ってたっけ?」
「はい。入院ばっかりです。大半の食品が普通に食べられないぶん、お薬をたくさん飲んでいて。栄養剤はもちろん、炎症止めとかも、本当にたくさん。ただ生きているだけで、ものすごくお金がかかるんです。食事のたびにみんなに気を遣わせているし」