突然。
「にゃんっ!」
ヤミが、ピョンと飛び起きた。真っ黒な毛を逆立てる。それと同時に、女主人がバタバタと廊下を走ってきた。
「大変どす! 家のまわりに、新政府軍が……!」
パラメータボックスに警告が表示された。この家が多数の敵に囲まれている。
沖田さんがうっすらと目を開いた。
「……騒がしいね、外。殺気立ったヤツがたくさんいる。ボクを狙ってるのか」
女主人が気丈な顔をした。
「沖田さま、お逃げやす。この家、お隣とつながっとるさかい、隠れて外に出られます。ウチが新政府軍の気ぃ引きますし、その間に、早よう、お行きやす」
沖田さんは体を起こした。フラフラしながら立ち上がると、体を折って咳をする。胸の奥にからむような、イヤな咳だ。
女主人は手早く、沖田さんの身支度を手伝った。沖田さんは女主人を見下ろした。
「キミは逃げなくていいの?」
「ウチを甘く見んとくれやす。近藤センセに認められたおなごどすえ。そない簡単に音ぇ上げたりしいひん。皆さまも、ほら、支度しよし」
アタシたちは急いで装備を整えた。念のため、アタシは変身しておく。
京の町なかの家は、造りが独特だ。間口が狭くて奥行きが長い。階段が押し入れに隠されていたり、思いがけないところに小部屋があったりする。
女主人に教わったとおり、家の奥へと抜ける。垣根に隠された通路を伝って隣家へ逃れ、隣家の涸れ井戸から地下へ潜り、水の尽きた水路を走る。
空き地の涸れ井戸から外へ出た。新政府軍の包囲を突破した場所だ。
「うまく脱出できましたね」
「そうだな。近藤の愛人が度胸のある女で助かった」
「あ、愛人?」
「ん? その説明、なかったっけ?」
「なかったです、ショックですっ。近藤さん、多摩に奥さんがいるでしょう!」
沖田さんがクスクス笑った。久しぶりに笑顔を見た気がする。
「恋人や愛人くらい、みんないるよ。祇園《ぎおん》や島原でなじみの女性とか。屯所は男ばっかりでしょ。楽しいんだけど、寂しくなるときもあるんだよね」
ちょっとイヤな言い方だ。付き合った女の数が男のステータスとか、女遊びをする男のほうがカッコいいみたいなのって、不愉快。
ラフ先生が沖田さんの肩に腕を回した。
「そう言う沖田は、どうなんだよ? 確かオマエ、今、数えで二十四だろ? 彼女の一人や二人、いるんじゃねぇの?」
「いないよ。興味ないから」
「じゃ、男が相手?」
「そっちはもっと興味ない。色恋って、ひとまとめに言うけど。恋には興味ないんだよ。色のほうはともかく」
色と、恋? ニュアンスからすると、恋は普通に恋愛感情で、色はあっち系ってこと?
「意外なんですけど」
「そう?」
「だって、イメージが」
「ゆっくり心を温めてる暇なんてないからさ。命懸けで剣をやってたら、ほかのことに頭が回らない。体も足りない。斎藤さんもそうだよ。ボクと同い年だけど」
「えっ、同い年なんですか? 斎藤さんのほうが年上だと思っていました」
沖田さんは声を立てて笑った。
「斎藤さんが聞いたらいじけるよ、ああ見えて、けっこう繊細なんだから」
ラフ先生は相変わらずニヤニヤしている。
「話をそらすなよ。沖田の、色のほうの武勇伝を聞きてぇんだけど?」
「残念ながら、全然だよ。倒した敵の数と比べたら、二桁少ない」
ケロッとして、そんなことを言う。倒した敵が三桁で、女性経験は一桁? まさか四桁と二桁じゃないだろうし。
アタシが勝手にあれこれ考えていたら、沖田さんがアタシに水を向けてきた。
「ミユメは恋人いるの?」
「は、はい? こ、恋人なんて、いるわけないですっ」
「いないんだ? じゃあ、好きな人は?」
「いま……え、あの、えっと」
いました、過去形です、目の前にいます、アタシの元・好きな人。
朝綺先生のことは、本当にキッチリ吹っ切れた。だから、はい次って、いきなり進んでいけるわけではないけれど。
でも、ここのところジェットコースターみたいに振り回されている心は、焼け付くようにまばゆい人の面影を、恋のときめきと近い場所に留め付けている。壮悟くん、沖田さん、斎藤さん。
沖田さんが自分の胸のあたりを指差した。
「ミユメの好きな人って、ボク?」
からかう口調に、アタシはドキッとしてしまう。違う、と断言することができなくて。
「えっと、嫌いじゃないですよ?」
「斎藤さんみたいな言い方するね。『嫌いじゃない』は『好き』って意味だ。斎藤さん流に言うならね」
「……そうでしたね。そういう言い方しますね、斎藤さんって」
「ボクもミユメのこと、嫌いじゃないよ?」
ときどき思う。ピアズのAIは賢すぎる。
プレイヤが女の子なら、イケメンキャラはたいてい口説いてくる。そういうのがイヤな人のために口説きオフにする機能もあるくらい、本当に全力でガンガンくる。CGがリアルでキレイなせいもあって、かなり困る。
アタシが軽くオーバーヒートした、そのとき。
おしゃべりの時間は強制的に断ち切られた。
WARNING!!
敵襲の警告。にゃっ、とヤミが鳴いた。パラメータボックスに“DOWN!”の指示。
「伏せてください!」
アタシは叫びながら体を低くした。
直後。
銃声。
涸れ井戸のある風景が、ひしゃげた。力場が展開された。
「にゃんっ!」
ヤミが、ピョンと飛び起きた。真っ黒な毛を逆立てる。それと同時に、女主人がバタバタと廊下を走ってきた。
「大変どす! 家のまわりに、新政府軍が……!」
パラメータボックスに警告が表示された。この家が多数の敵に囲まれている。
沖田さんがうっすらと目を開いた。
「……騒がしいね、外。殺気立ったヤツがたくさんいる。ボクを狙ってるのか」
女主人が気丈な顔をした。
「沖田さま、お逃げやす。この家、お隣とつながっとるさかい、隠れて外に出られます。ウチが新政府軍の気ぃ引きますし、その間に、早よう、お行きやす」
沖田さんは体を起こした。フラフラしながら立ち上がると、体を折って咳をする。胸の奥にからむような、イヤな咳だ。
女主人は手早く、沖田さんの身支度を手伝った。沖田さんは女主人を見下ろした。
「キミは逃げなくていいの?」
「ウチを甘く見んとくれやす。近藤センセに認められたおなごどすえ。そない簡単に音ぇ上げたりしいひん。皆さまも、ほら、支度しよし」
アタシたちは急いで装備を整えた。念のため、アタシは変身しておく。
京の町なかの家は、造りが独特だ。間口が狭くて奥行きが長い。階段が押し入れに隠されていたり、思いがけないところに小部屋があったりする。
女主人に教わったとおり、家の奥へと抜ける。垣根に隠された通路を伝って隣家へ逃れ、隣家の涸れ井戸から地下へ潜り、水の尽きた水路を走る。
空き地の涸れ井戸から外へ出た。新政府軍の包囲を突破した場所だ。
「うまく脱出できましたね」
「そうだな。近藤の愛人が度胸のある女で助かった」
「あ、愛人?」
「ん? その説明、なかったっけ?」
「なかったです、ショックですっ。近藤さん、多摩に奥さんがいるでしょう!」
沖田さんがクスクス笑った。久しぶりに笑顔を見た気がする。
「恋人や愛人くらい、みんないるよ。祇園《ぎおん》や島原でなじみの女性とか。屯所は男ばっかりでしょ。楽しいんだけど、寂しくなるときもあるんだよね」
ちょっとイヤな言い方だ。付き合った女の数が男のステータスとか、女遊びをする男のほうがカッコいいみたいなのって、不愉快。
ラフ先生が沖田さんの肩に腕を回した。
「そう言う沖田は、どうなんだよ? 確かオマエ、今、数えで二十四だろ? 彼女の一人や二人、いるんじゃねぇの?」
「いないよ。興味ないから」
「じゃ、男が相手?」
「そっちはもっと興味ない。色恋って、ひとまとめに言うけど。恋には興味ないんだよ。色のほうはともかく」
色と、恋? ニュアンスからすると、恋は普通に恋愛感情で、色はあっち系ってこと?
「意外なんですけど」
「そう?」
「だって、イメージが」
「ゆっくり心を温めてる暇なんてないからさ。命懸けで剣をやってたら、ほかのことに頭が回らない。体も足りない。斎藤さんもそうだよ。ボクと同い年だけど」
「えっ、同い年なんですか? 斎藤さんのほうが年上だと思っていました」
沖田さんは声を立てて笑った。
「斎藤さんが聞いたらいじけるよ、ああ見えて、けっこう繊細なんだから」
ラフ先生は相変わらずニヤニヤしている。
「話をそらすなよ。沖田の、色のほうの武勇伝を聞きてぇんだけど?」
「残念ながら、全然だよ。倒した敵の数と比べたら、二桁少ない」
ケロッとして、そんなことを言う。倒した敵が三桁で、女性経験は一桁? まさか四桁と二桁じゃないだろうし。
アタシが勝手にあれこれ考えていたら、沖田さんがアタシに水を向けてきた。
「ミユメは恋人いるの?」
「は、はい? こ、恋人なんて、いるわけないですっ」
「いないんだ? じゃあ、好きな人は?」
「いま……え、あの、えっと」
いました、過去形です、目の前にいます、アタシの元・好きな人。
朝綺先生のことは、本当にキッチリ吹っ切れた。だから、はい次って、いきなり進んでいけるわけではないけれど。
でも、ここのところジェットコースターみたいに振り回されている心は、焼け付くようにまばゆい人の面影を、恋のときめきと近い場所に留め付けている。壮悟くん、沖田さん、斎藤さん。
沖田さんが自分の胸のあたりを指差した。
「ミユメの好きな人って、ボク?」
からかう口調に、アタシはドキッとしてしまう。違う、と断言することができなくて。
「えっと、嫌いじゃないですよ?」
「斎藤さんみたいな言い方するね。『嫌いじゃない』は『好き』って意味だ。斎藤さん流に言うならね」
「……そうでしたね。そういう言い方しますね、斎藤さんって」
「ボクもミユメのこと、嫌いじゃないよ?」
ときどき思う。ピアズのAIは賢すぎる。
プレイヤが女の子なら、イケメンキャラはたいてい口説いてくる。そういうのがイヤな人のために口説きオフにする機能もあるくらい、本当に全力でガンガンくる。CGがリアルでキレイなせいもあって、かなり困る。
アタシが軽くオーバーヒートした、そのとき。
おしゃべりの時間は強制的に断ち切られた。
WARNING!!
敵襲の警告。にゃっ、とヤミが鳴いた。パラメータボックスに“DOWN!”の指示。
「伏せてください!」
アタシは叫びながら体を低くした。
直後。
銃声。
涸れ井戸のある風景が、ひしゃげた。力場が展開された。