このところ、あたしはうまく笑えない。
 ファーストキス。失恋。山南さんの最期。いちばんの原因は何だろう?
 壮悟くんは相変わらず、食堂にも院内学園にも出てこない。あたしはあれ以来、少し怖くて、壮悟くんの病室に近付いていない。
 朝綺先生と麗先生のことを目撃した翌朝の院内学園は、つらかった。作り笑いでごまかしてみたけれど。
「優歌、元気ないんじゃねぇか?具合でも悪いのか?」
 朝綺先生には一瞬でバレた。でも、あなたのせいです、なんて言えない。
「何でもないですよ?」
 あたしは平気なふりをした。朝綺先生はアッサリしていた。
「そっか。まあ、問題ないなら、それでいいんだ」
 胸がズキッとした。
 いや、そんなことないだろって、顔をのぞき込んでほしかった。強がらなくていいから頼れよって、強引なくらい心配してほしかった。
 でも、そんな距離に、朝綺先生は踏み込んでくれない。大人の対応、先生としての接し方を決して超えない。
 当然のことだ。ステキな恋人がいる男の人なのだから。よその女の子には、必要以上に接したりしない。
 じわじわと悲しくて、朝綺先生の目を見られない。
 ピアズの中でもそうだった。ラフ先生ときちんと話せずにいる。沖田さんが話しやすい人で、よかった。いろいろ話しかけてくれるから助かる。
 だけど、沖田さんの存在もリアルすぎて残酷だ。斬りたくない人を斬ってしまった後、ちょっとしたおつかいなんかの日常イベントをこなしながら、笑顔が突然、空虚になったりする。あの悲しいまなざしは耐えがたい。
 どうして、と思ってしまうのは、壮悟くん自身のこと。壮悟くんが何を考えて、誠狼異聞という物語を書いたのか。どうして、何のために、どんなメッセージを込めて、あんなにつらい経験をプレイヤにさせようと思い付いたのか。
 ため息。
 くいくいと、そでを引っ張られた。望ちゃんが大きな目で見上げてくる。
「優歌ちゃん、大丈夫? 最近、疲れてない?」
「えっと、ちょっとね」
「夜、何かやってるよね。唄を作るのが忙しいの?」
 望ちゃんの病室は隣だ。ピアズをプレイする音や声。聞こえてしまうのかもしれない。
「うるさいですか?」
「うるさくはないけど。遅くまで起きてて大変だなって」
 ピアズのオンラインでのプレイ時間は一日四時間まで、というルールが公式で定められている。でも、朝綺先生があたしの体調を心配して、普段は二~三時間のキリがいいところで止める。ログインするのは午後八時ごろだから、それほど夜更かしではないけれど。
 あたしは望ちゃんに笑いかけた。
「唄じゃないバイトをしているんです。思っていたより大変で。でも、大丈夫ですよ」
「本当? 優歌ちゃん、無理するから心配」
「今日疲れているのは、昨日眠れなかっただけです。お昼寝するから、平気ですよ」
「そぉ? 無理しちゃダメだよ」
「はい。平気平気」
 しっかり者の望ちゃんは、前にあたしが失恋したときも話を聞いてくれた。まだ十歳だなんて信じられないくらい、頼もしい子だ。
 望ちゃんは大人っぽく眉をひそめた。
「それにしても、壮悟くんって、困った人だよね。どんなに話しかけても、無視ばっかりなんだから」
「壮悟くんに会いに行っているんですか?」
「うん。勇大と一緒に、毎朝ね。今朝も呼びに行ったの。怒鳴らなくなっただけマシかな。でも、相変わらず出てこないし。それに、しょっちゅういなくなるんだって、看護師さんも困ってた」
「知らなかった。えらいですね、望ちゃん」
「当然だよぉ。センパイだもんね。壮悟くんは年上だけど、ここに来てから日が浅いから、しっかり面倒見てあげるの」
 望ちゃんは、やせた体で、胸を張ってみせた。
 ツキン、と胸が痛む。あたしには、望ちゃんに言えない隠しごとがある。仲良くするとか、先輩後輩の関係で接してあげるとか、できそうにない。
 熱くて力の強い腕、広い胸の速い鼓動、乾いて荒れた唇の弾力。その記憶は、怖くて甘い。何が怖いのか、自分でもよくわからない。そのくせ、甘い夢への好奇心は確かにある。