ここは四角い庭の角のあたりだ。秋バラの茂みの陰になった場所。ぐるりと見渡したとき、庭にほかの誰かがいることに気付いた。
茂みの隙間から見えた。小さな庭の反対側の隅っこに、ベンチがある。男の人と女の人がいた。笑い合っている。
気付かなかったなんて。大好きな声なのに。
「ほんと、料理が上達したよな、麗」
朝綺先生。
優しいだけじゃなくて、甘い笑顔だった。先生としての普段の顔じゃないって、あたしには直感的にわかった。
朝綺先生は、麗先生の前だから、そんな笑い方をするの?
麗先生は、今は白衣を着ていない。シンプルなワンピースだ。ふわっとした色が似合っている。ひざの上には、大き目のお弁当箱がある。
「料理は、やったことがなかっただけよ。あたしは、やれば何でもできるの。上達して当然でしょ」
ツンとした言い方だけど、意地悪そうに振る舞うのは口調だけだ。お弁当箱から何かをすくうスプーンの手つきは、この上なく優しい。麗先生は朝綺先生の口元にスプーンを運ぶ。パクッと、スプーンから食べる朝綺先生。
ただの食事介助、には見えなかった。
麗先生は、自分の口にも食事を運ぶ。朝綺先生と同じスプーンで。
「朝綺、お茶いる?」
「もらう。ああ、タンブラーくらい、自分で持てるよ。ストロー差してあるし」
あたしの隣で、壮悟くんが声をひそめた。
「あの二人が付き合ってるって噂、マジなんだ?」
「付き合ってる? そんな噂あるんですか?」
「風坂麗が万能細胞による医療技術をマスターした理由は、恋人のためだっていう噂がある。つまり、最初の患者は自分の恋人で、人体実験って言えるくらいの無茶な治療だけど、恋人を生かすためにやってのけたんだって」
恋人。朝綺先生と麗先生が、恋人同士。
胸が痛い。心臓が打つたびにバラバラになりそう。痛い、痛い、痛い。
秋バラの茂みの向こうに見える二人は美男美女で、お似合いで、それに、噂が本当だとすれば、命を懸けた絆で結ばれているはずで。他人が割り込む余地なんて少しもない。
目を背けたい。目がそらせない。
あたしが気付いていなかっただけで、二人はたぶん、あたしたちより前から庭にいた。同じスプーンでの二人の食事が終わって、麗先生がお弁当箱にふたをする。
「朝綺は近ごろ、何でも食べられるようになったわね」
「胃腸の機能はけっこう完全に近いよ。まあ、量はあんまり食えねぇけど。不随意筋《ふずいいきん》のほうが先に回復した形だな。肺と心臓がいちばん早かったし」
不随意筋。自分の意識とは関係なく動く筋肉のことだ。内臓を形づくる筋肉がそう。朝綺先生は、筋肉が動かなくなっていく病気を持っていたと、この間言っていた。
「随意筋のほうはやっぱり時間が多少かかるのね。随意筋を動かす指令の出し方を、脳がもう覚えてないのよ。朝綺は電動車いすやロボットアームを使っての生活が長かったんだから」
「飯くらいスマートに食えるようになりたい」
「焦らないの」
朝綺先生がいたずらっぽく笑った。
「でも、たまにはいいよな。こうやってお姫さまに食事の世話してもらうのも」
「何を甘えてるのよ?」
「甘えさせてくれよ。おれ、リハビリも検査もテストも、一日もサボってないんだぜ。たまにはご褒美をもらったっていいはずだ」
違う。知らない。
朝綺先生がこんな甘い声をしているなんて、あたしは知らなかった。悲しい色をした心臓が飛び出してしまいそうで、あたしは口を押さえた。
茂みの隙間から見えた。小さな庭の反対側の隅っこに、ベンチがある。男の人と女の人がいた。笑い合っている。
気付かなかったなんて。大好きな声なのに。
「ほんと、料理が上達したよな、麗」
朝綺先生。
優しいだけじゃなくて、甘い笑顔だった。先生としての普段の顔じゃないって、あたしには直感的にわかった。
朝綺先生は、麗先生の前だから、そんな笑い方をするの?
麗先生は、今は白衣を着ていない。シンプルなワンピースだ。ふわっとした色が似合っている。ひざの上には、大き目のお弁当箱がある。
「料理は、やったことがなかっただけよ。あたしは、やれば何でもできるの。上達して当然でしょ」
ツンとした言い方だけど、意地悪そうに振る舞うのは口調だけだ。お弁当箱から何かをすくうスプーンの手つきは、この上なく優しい。麗先生は朝綺先生の口元にスプーンを運ぶ。パクッと、スプーンから食べる朝綺先生。
ただの食事介助、には見えなかった。
麗先生は、自分の口にも食事を運ぶ。朝綺先生と同じスプーンで。
「朝綺、お茶いる?」
「もらう。ああ、タンブラーくらい、自分で持てるよ。ストロー差してあるし」
あたしの隣で、壮悟くんが声をひそめた。
「あの二人が付き合ってるって噂、マジなんだ?」
「付き合ってる? そんな噂あるんですか?」
「風坂麗が万能細胞による医療技術をマスターした理由は、恋人のためだっていう噂がある。つまり、最初の患者は自分の恋人で、人体実験って言えるくらいの無茶な治療だけど、恋人を生かすためにやってのけたんだって」
恋人。朝綺先生と麗先生が、恋人同士。
胸が痛い。心臓が打つたびにバラバラになりそう。痛い、痛い、痛い。
秋バラの茂みの向こうに見える二人は美男美女で、お似合いで、それに、噂が本当だとすれば、命を懸けた絆で結ばれているはずで。他人が割り込む余地なんて少しもない。
目を背けたい。目がそらせない。
あたしが気付いていなかっただけで、二人はたぶん、あたしたちより前から庭にいた。同じスプーンでの二人の食事が終わって、麗先生がお弁当箱にふたをする。
「朝綺は近ごろ、何でも食べられるようになったわね」
「胃腸の機能はけっこう完全に近いよ。まあ、量はあんまり食えねぇけど。不随意筋《ふずいいきん》のほうが先に回復した形だな。肺と心臓がいちばん早かったし」
不随意筋。自分の意識とは関係なく動く筋肉のことだ。内臓を形づくる筋肉がそう。朝綺先生は、筋肉が動かなくなっていく病気を持っていたと、この間言っていた。
「随意筋のほうはやっぱり時間が多少かかるのね。随意筋を動かす指令の出し方を、脳がもう覚えてないのよ。朝綺は電動車いすやロボットアームを使っての生活が長かったんだから」
「飯くらいスマートに食えるようになりたい」
「焦らないの」
朝綺先生がいたずらっぽく笑った。
「でも、たまにはいいよな。こうやってお姫さまに食事の世話してもらうのも」
「何を甘えてるのよ?」
「甘えさせてくれよ。おれ、リハビリも検査もテストも、一日もサボってないんだぜ。たまにはご褒美をもらったっていいはずだ」
違う。知らない。
朝綺先生がこんな甘い声をしているなんて、あたしは知らなかった。悲しい色をした心臓が飛び出してしまいそうで、あたしは口を押さえた。