壮悟くんはまた歩き出した。あたしも付いていく。
 ずんずん歩いている。小児病棟の階段を上って、空中回廊に出て、回廊をぐるっと巡って、研究棟に入って。
「あんたさぁ、いつまでついてくんの?」
「壮悟くんは、どこに行くんですか?」
「どこだっていいだろ」
「今日、治療や検査はないんですか?」
「薬、何十錠も飲んでる。逆に、あんたは何? 割と元気そうだけど、どこが悪いわけ?」
 つっけんどんな言い方だ。でも、腫れものにさわるような扱いより気楽かもしれない。
「あたしは食物アレルギーです。食べ物に含まれるタンパク質に反応しやすくて、食べられるものが極端に少ないんです」
「食べられないんだ。だから、そんなにちっちゃいのか」
「ち、ちっちゃいのは家系のせいもあって」
 両親も大きくないし、姉も妹も小柄で華奢だし。あたしがいちばんちっちゃいけど。
「それで? アレルギー反応起こして担ぎ込まれたってわけでもないだろ。ピンピンしてるし」
「今回は検査入院です。どの構造のタンパク質が大丈夫なのか、逆にダメなのか、いろいろ調べる臨床試験に協力しています」
「そんな試験、何になるの?」
「ほかのアレルギー患者さんの治療の基礎研究とか、特定のタンパク質に対する反応式の解明とか。あたしの体質は敏感すぎるから、生活には不便ですけど、研究には役に立つんです」
「へー。実験動物ってわけ」
 研究棟の廊下を突っ切って、階段を降り始める。ざっくばらんな訊き方を壮悟くんがしたから、あたしも単刀直入に尋ねた。
「壮悟くんは白血病なんですよね?」
「そうだけど」
「白血病は、がんの中でも治療の研究が進んでいるって聞いたことがあります」
「どうだか。七十年も前から同じ治療法なんだぜ。副作用も欠点も、いくらでもある方法だ」
 皮肉な言い方だった。
 階段を降りる足がゆっくりになる。あたしは壮悟くんに並んだ。
「欠点って?」
「白血病がどんな病気か、知ってる?」
「えっと、血液のがんですよね?」
「正確には、血球のがんだけどね」
「あ、はい、確かに。血液の中にある血球、つまり白血球と赤血球と血小板を、上手に造れなくなる病気ですよね」
 背骨の内側に骨髄《こつずい》がある。骨髄の中に造血幹細胞《ぞうけつかんさいぼう》がある。
 造血幹細胞が血球を造っている。血球の種類は三つあって、外から侵入した敵を退治する白血球、肺が吸収した酸素を全身に運ぶ赤血球、そして、傷口の出血をふさぐ血小板だ。
 がんに冒されると、造血幹細胞は血球を正しく造れなくなる。だから、その患者の体は、白血球によって外敵の侵入を防げなくなる。赤血球によって酸素を全身に運べず、貧血になる。血小板によって傷口の血を固めることができなくなる。
「ちなみに、がん細胞の定義、知ってるか?」
「無制限に増え続ける細胞、ですよね。普通の細胞には寿命があって、サイクルがあります。古い細胞が死んで、新しい細胞が代わりに働くようになるけれど」
「計画細胞死《アポトーシス》。死なない存在はないんだ。人が必ず死ぬのと同じ。細胞レベルでも、必ず死は訪れる」
「でも、がん細胞は死なないんですね」
「がん細胞ってのは、要するに、遺伝子に異常が起きた細胞なんだ。遺伝子の中の染色体がイカレてるわけ」
「染色体の異常。聞いたことがあります。ヒトの遺伝子には四十六本の染色体があるけれど、がん細胞は、正常なヒトの遺伝子構造を保たなくなってしまった細胞だって」
「がん細胞は狂ってる。死なずに増え続ける。そんな狂ったやつらがおれの中にいるんだ。まともな細胞の居場所を奪って、無制限に増えて、おれの体を壊していく」