きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

 そのときだった。女のホログラムが出現した。
 南国らしい肌の色をした美少女だ。少女からオトナへ羽化しようとする年ごろ、みたいだ。十七歳のアタシと同じくらいか、少し年上。
 波打つ豊かな黒髪。彫りの深い顔立ち。黒く濡れた大きな目。ふっくらした唇は、優雅な笑みを浮かべている。踊り子みたいな衣装にメリハリのある体型で、かなりセクシーだ。
 ラフは、かすれた口笛を吹いた。
「すげぇグラマー。いいねぇ」
「いやらしいわね、アンタ」
「出し惜しみしないのはすばらしいことだぜ。アンタもけっこう出してるじゃん」
「最っ低! このタイプのメイルは軽さ優先で選んでるだけよ!」
「はいはい。ま、どっちにしろ、ちょっと子どもっぽいよな、お姫さまは」
「なんですって!」
「オレはこっちの彼女みたいに迫力のあるバストのが好み」
「ほんと最っ低!」
 アタシはラフの土手っ腹に肘鉄をぶち込んだ。
 まあ、体型に関しては事実だけど。
 アタシは華奢だ。敏捷性を重視した体型を選んで設定している。
 一方、目の前に出現したホログラムの美少女は胸がおっきい。半割にしたココヤシのブラが小さすぎる。赤い花が染め抜かれたスカートも、丈は長いけど、左脚の正面に入った深いスリットがなかなか危険だ。
 この踊り子っぽい美少女がホヌアのステージガイドなのかしら。
 踊り子はお辞儀をした。所作そのものが優雅なダンスみたいだ。
「初めまして。シャリンさま、ラフ・メイカーさま、ニコルさま。ホヌアへ、ようこそお越しくださいました。手荒いお出迎えとなってしまいましたことを、どうぞご容赦ください」
 ハイアークラス以上のステージは、いきなりバトルから始まる。それは、言ってしまえば入学試験。このバトルに敗れると、ステージに挑戦することができない。
 踊り子は、ひらりと両腕を広げた。
「ワタシの名はヒイアカ。ホヌアを旅する皆さまにミッションを依頼する者。また、癒しと憩いの場を提供する者です。まずは、西の海岸にございますフアフアの村をお目指しください。フアフアの村でお待ちしていますわ。道中、どうぞお気を付けて」
 ヒイアカはしなやかな腰つきでステップを踏んだ。両腕は何かを物語るみたいに、ゆったりと舞う。指先が空を示した。そこから赤い光が生まれる。光はみるみるうちにヒイアカを包んだ。
「お待ちしていますわ……」
 エコーのかかった声を残して、ヒイアカである光は、ある方角を指してまっすぐに飛んでいった。
 アタシは、マップを拡大表示した。ヒイアカが消えた方角は、ほぼ真西。光のとおりに進めば、海岸線沿いにある人里のマークにたどり着くはずだ。
「ひとまず、フアフアの村とやらを目指せばいいのね。で、アンタたち、今日はどれくらい時間あるの? アタシはさっきログインしたばっかりなの。だから、あと三時間半はあるんだけど」
 オンライン本編における一日あたりのログイン時間は、上限四時間。それが、オンラインRPG『PEERS’ STORIES』に課せられた法的規制だ。
 この規制はうっとうしい反面、ありがたくもある。アタシは、現実では高校生。だから、一日じゅうこっちにはいられない。延々とログインし続ける暇人に後れを取るのは腹が立つ。規制があるから、フェアな実力主義で勝負できる。
 ラフは自分のパラメータボックスを開いてみせた。
「オレとニコルも、あと三時間半だ。進めるだけ進もうぜ」
「あっそ」
 主導権を握ってるみたいな言い方が何だかイヤ。アタシは腕組みをしてみたけど、ラフは気にした様子もない。
「道中に気を付けろって、わざわざ言い置いてったよな。つまり、道中にいろいろ出てくるんだろうな頼むぜ、お姫さま!」
 ふぅん。アタシの意向を無視して突っ走るって感じではないんだ。
 アタシは深呼吸をして、気を取り直した。
「何が出てこようが、望むところよ」
 荒野の台地を下るにつれて、景色は鮮やかになっていく。カラフルな熱帯植物のフィールドは、「南島のステージ・ホヌア」っていうキャッチフレーズのとおりの景色だ。
「見て、海!」
 行く手に海岸線が見え始めた。白砂の浜が緑葉の森に映える。空は青くて、日差しは明るい。
 アタシたちの行く手に、たびたびモンスターが現れた。撃退するのに、それほど苦労はなかった。
 でも、一度だけ、ヒヤッとした。アタシとラフの動線が重なって、効果的な攻撃ができなかったの。
 なにやってんのよバカ! ってアタシが怒鳴るより先に。
「すまん。今のはオレが悪ぃ」
 ラフは潔く頭を下げた。
 なんていうか、毒気を抜かれた。
「べ、別に、どっちが悪いってこともないでしょっ」
「いや、おれのほうが出だしが遅かったし」
 ニコルが間に入った。
「無事に倒せたんだから、よしとしようよ。もしシャリンがイヤでなければ、ボクが司令塔になってもいいよ?」
「ハッキリ言うと、イヤよ。指示されるのは嫌い。でも万が一、必要だと判断したときには、司令塔とやらをお任せするわ」
「了解、了解。たぶんね、普通にエンカウントするモンスター程度は問題ない。でも、ボス戦は連携プレーできるほうが安全だと思うよ」
「ふぅん?」
「お互いの凡ミスのせいでハジかれたら、本末転倒だからね」
 ピアズの世界では、ユーザが操るアバターは死なない。死という概念が、基本的に存在しない。
 アバターのヘルスポイントとスタミナポイントの両方が尽きた場合、死ぬわけじゃなくて、ステージからの追放というペナルティが課せられる。
 ペナルティによってステージを追われることを「ハジかれる」ってう。一定回数以上ハジかれると、クラスを落とされる。
 ちなみに、クラスとレベルは別の概念。クラスは、ユーザのテクニックによって段階分けされてる。レベルは、経験値を積めば積むほど上がっていく。
 レベルが上がれば、ヘルスポイントとスタミナポイントの上限が上がる。ボーナスポイントも与えられる。それを攻撃力や敏捷性みたいな各能力に割り振って、アバターの基礎値を上げていく。
 クラスが高い人はたいていレベルも高い。逆に、低いクラスにレベルが高い人がいることもある。
 というのも、バトルの鍵を握るのはユーザのテクニックだから。基礎値はそれほど大きな問題にならない。テクニックがないユーザは、いつまで経ってもクラスを上げられない。
「アタシ、今まで一度もハジかれてないの。連勝記録に傷を付けないでほしいわね」
「ボクたちもだよ。ほら」
 ニコルが示すパラメータボックスを、アタシはチラッと見た。
 コイツ、アタシよりもレベルが低い。そのくせに、アタシと同じハイエストクラスにいるなんて。つまり、相当テクニックがあるってこと? なんかムカつく。
 ユーザが口元に着けるリップパッチが、表情筋の動きを認識する。それをアバターに反映する。
 アタシは今、ムッとしてる。現実では、顔にも出てると思う。
 でも、画面の中に反映できるのは、ハッキリした表情だけ。微妙な苛立ちの表情なんてリップパッチは認識できないから、アバターのアタシは、愛らしい顔に無表情を保っている。
 開放的な印象のフアフアの村は、結界によって守られていた。道の両サイドには、色とりどりのハイビスカスが咲き乱れている。
 村の入口で、ヒイアカがアタシたちを待っていた。
「皆さま、ようこそお越しくださいました。ここが豊饒の地、フアフアの村です。ホヌアに用意された四つのミッションを旅する間、皆さまにはフアフアの村を拠点にしていただきます。まずは、どうぞこちらへ」
 ヒイアカが優雅な身のこなしで歩き出した。アタシたちはその後についていく。ヒイアカが足首に着けた木製の鈴のアンクレットが、歩くたびに、涼しい音を鳴らす。
「それにしても、脳天気なステージね。一つ前のステージが戦場だったから、気休めになるわ」
「同感だね。南国ムードっていいよな。キャラの露出度が高くてさ」
 アタシは遠慮なく、ラフの足を踏んづけた。
 フアフアの村では旅の必需品を買い物できる。武具や防具。傷や状態異常を治療するための薬。食材や食料。
 それと、ロミロミと呼ばれるマッサージが人気らしい。特殊な効果をもたらすんだって。
「フアフアの村に象徴されるとおり、ホヌアは平和です。外敵も内乱もありません。森羅万象の神々や精霊が、人の子とともに住まう島です」
「ふぅん。それで、ミッションの内容はどうなってるのかしら?」
 ヒイアカが足を止めて、アタシたちに向き直った。心なしか、頬が赤い。
「実はワタシ、二つ先の新月の日に結婚するのです。その婚姻の儀のために必要なものがありますの。月と星の祝福を受けた宝石『ホクラニ』です。ホクラニをつないで、首飾り《レイ》を作りたいと思っています。皆さまには、ホクラニを回収していただきたいのです」
 ホヌアの人々は昔から、月の暦を大切にしている。
 新月は次第に満ちて、満月は次第に欠けて、やがて再び、月のない夜を迎える。それは、三十日間の物語。夜ごとに違う顔を見せる月は、ホヌアでは、毎日異なる三十の名で呼ばれている。
 かつて、いにしえの時代のできごと。神々《アクア》は月が美しく変身するさまを誉めたたえ、三十の名のために三十の輝夜石《ホクラニ》を生み出した。
 そして、あるとき。神々《アクア》の末娘にして歌と踊りの申し子であるヒイアカは、天界の宴で極上の舞を披露した。列席した神々《アクア》はヒイアカの舞を喜んだ。その褒美として、ヒイアカは三十個のホクラニを贈られた。
「ホクラニには神々《アクア》のお力が宿っています。それを手にした者の祈りや願いを叶えることができるのです。ワタシは、友人に困ったことが起こるたび、ホクラニをお貸ししてきました」
 ニコルは肩をすくめて、先回りして言った。
「貸したものが返ってこないから、ボクたちを使いっ走りにする。要するに、そういうミッションなんだね」
 ヒイアカは困った様子で、首を左右に振った。ココヤシのブラに収まりきれない胸が、たぷんぷるんと弾む。
「ワタシ、頼まれると断れない性分なのです。そもそも、普段ワタシはホクラニを使いませんし。それでしたら、必要とするかたに使っていただくほうがいいですよね?」
「このヒイアカって女、バカが付くほどのお人好しね」
 ヒイアカは胸の前で両手の指を組み合わせた。両腕の間に挟まれた胸が、ぎゅむっと形を変える。アタシの隣で、ラフがかすれた口笛を吹いた。
「三十個すべてのホクラニを回収する必要はありません。ワタシの婚姻を知ると、ほとんどのかたはホクラニを返してくださいました。お祝いの品まで贈っていただきました」
 残りはいくつ? と言いかけたアタシと、ラフの声が重なった。ニコルが、ふふっと喉を鳴らす。ムカつく。
 ヒイアカは続けた。
「あと四つだけなのです。皆さまには、それら四つのホクラニを回収していただきたいのです」
 茅葺き屋根の平屋のコテージが、アタシたち宿だった。
「リゾート地のエキゾチックなホテルって感じね」
 籐のソファが涼しげでオシャレだ。アタシはソファに腰掛けて、すらりと長い脚を組んだ。ちなみに、現実のアタシも手足が長くて細身の体型だ。3D投射で作ったアバターだし、そんなに嘘はついてない。
 ラフはハンモックによじ登った。ニコルは、床に敷かれたキルトの上に腰を下ろした。ヒイアカも床に座っている。
 早速ですが、とヒイアカは切り出した。
「まずは、島の南の森へ行っていただきたいのです。そこには、オヘという名の精霊の少女が住んでいるのですが、このところ、彼女のやんちゃが目に余るのです」
「その子がどんなやんちゃをするの?」
「ニコルさま、聞いてくださいます? 月に一度、上弦の月のころ、オヘは人里に現れて貢ぎ物を要求するのだと……里の者たちが困っているようなのです」
「それって、やんちゃっていうか、もっと悪質な気がするんですけど」
「オヘは、もともと、力のある精霊ではありませんでした。むしろ、引っ込み思案でおとなしく、奥手でした」
「それが急にどうして?」
「ワタシは彼女の片想いを知っていました。オヘは、森を潤す雨の神に恋をしていたのです。彼女にホクラニを貸したのは、自信を持ってもらいたいからでした。ホクラニで身を飾った彼女は輝いていました。彼女は雨の神に想いを打ち明けました。けれど……」
 ヒイアカは目を伏せて、悲しそうに首を左右に振った。
 ニコルは肩をすくめた。
「ふられた腹いせにグレちゃったってところかな?」
 フアフアの村を案内されてる間に、なんとなく役割分担が成立している。
 ニコルがリーダー役。あれこれ指図するっていうわけじゃなくて、たとえば、三人まとめてヒイアカと会話するとき、ニコルのユーザがボタン操作をしたり合いの手を入れたりして、ヒイアカのAIに話の続きを促している。
 アタシにとっては、自動スクロールみたいな感じ。楽でいいわ。
 ヒイアカが話を再開する。
「オヘは失恋し、ひどく落ち込み、森の奥に引きこもってしまいました。泣き暮らしていたらしいのですが、その無念の思いがホクラニに作用したようなのです。あるとき人里に姿を現したオヘは、すっかり人が変わっていました」
「あらカワイソウ」
「お姫さま、言い方が冷たいぜ」
「見も知らぬ他人の恋バナなんて興味ないもの。とにかく、ホクラニを取り返して、オヘを正気に戻せばいいんでしょ?」
 アタシの言葉に、ヒイアカはうなずいて、うるんだ目でアタシたちを見つめた。
「このようなことになるなんて、ワタシが間違っていました。オヘにホクラニを貸さなければよかった。皆さま、お願いです。どうぞ彼女を救ってください」
 装備品の変更は特に必要ない。でも、ウィンドウショッピングは楽しい。アタシたちは、村に立ち並ぶ露店をひととおり冷やかして回った。
 ピアズの世界では、携帯できる回復アイテムはとにかく高い。安上がりでスピーディな回復には、人里で休憩するのがいちばんだ。食堂でのごはんや治療院での施術でステータスを回復できる。
 でも、放っておいても、一分ごとに最大ゲージの一パーセントが回復する。一日あたり四時間までしかプレーできないから、回復アイテムなしでも、どうにかやりくりできるゲームバランスだ。
 ニコルは食材を買い込んだ。
「アンタ、料理のスキルを持ってるの?」
「うん。けっこう何でも作れるよ」
「それ、便利!」
「でしょ」
 料理スキルは、旅先で、食堂と同じ効果を発揮する回復手段だ。回復アイテムと違って、食材はけっこう安い。料理が作れるなら、便利なことこの上ない。
「でも、アンタ、変わった趣味ね。普通は料理より戦闘スキルを優先させて習得するものでしょ?」
「ボクの場合、戦闘はラフがいるし。料理人としてお役に立つから、期待しといて」
「興味はあるわ」
 今、料理スキルは三十種類くらい配信されている。それぞれ、効果はいろいろだ。
 ケガや毒によって減らされるヘルスポイントと、移動やスキル発動によって消費するスタミナポイント。その二つを回復させることと食材を効率的に使うことと、うまく料理スキルを活用するためには、当然ながらたくさんのレシピを習得しておいたほうがいい。
「見て見て、シャリン。ボクのレシピコレクション!」
 ニコルのパラメータボックスには、ずらりと料理名が並んでる。配信されている料理スキルのすべてがそろっていた。
「物好きね」
 誉める代わりにそう言って、アタシたちは再び旅路に就いた。
 オヘが持つホクラニは「戦神《クー》の星」と呼ばれる。戦神《クー》がホヌアの夜を支配する上弦の月のころ、最も強い力を発揮する。
 シダ、ツタ、アコウ、ヤドリギ。そのほかたくさんの植物が生い茂っている。その全部がやたらと巨大だ。
 ここは熱帯雨林。ホヌアの南側一帯に、うっそうとしたジャングルが広がっている。
 先陣を切るニコルが杖を掲げる。植物がワサワサと動いて、勝手に道を空けた。ニコルの使役魔法だ。かなり強力みたい。
「ボクの魔力は植物系に特化してるんだ。なかでも、使役魔法は最高レベルまで修得してる。だから、こういう森のエリアでは、ボクは無敵だよ」
 ニコルはフキの葉を椅子にして座ってるんだけど、そのフキの茎は二股に分かれて脚になって、すたすた走ってる。
 隊列の順番は、アタシがニコルの後ろ。アタシの後ろにラフ。森の奥へ奥へと、アタシたちは進む。
 ラフが笑った。
「やっぱ、ひっでぇよな、ニコルって。このエリア、ほんとは、アクション要素満載の迷路型ダンジョンだぜ。それをニコルのやつ、まっすぐ切り開いてくんだから。ダンジョンを設計したプログラマは、きっと今ごろ涙目だ」
 アタシは小首をかしげた。っていう動きは、画面には再現されなかった。
「でも、ニコルって、ステータスは相当な傾斜配分よね? これだけ強力な使役魔法を持ってるんだから、ツケも相当じゃない? 体力も腕力も皆無でしょ」
「うん。体力は自信ないなあ。このクラスのボスにぶん殴られたら、一発で戦闘不能かもね。腕力は一応、魔法使いキャラの平均値くらいかな。杖の重量もゼロではないから。シャリンの剣なら、ギリギリ装備できると思う」
「何にせよ、ひ弱の非力には変わりないわね」
 ニコルが緊張感のない声で警告した。
「あ、前方にモンスター発見~」
 虫や鳥の姿のモンスターだ。ただし、サイズはアタシの身長より大きい。
 ニコルは杖を伸ばして、手近なツタに触れた。ツタは、するすると伸びてモンスターに絡みつく。狙いは羽や翼だ。ツタにまとわりつかれて、モンスターが動きを止める。
「行くわよ、ラフ!」
「おう!」
 アタシは剣を抜いた。ラフは、ブーツに隠した短刀を取り出した。背中の双剣を振るうには、バトルフィールドが狭すぎるから。
 動きを封じられたモンスターに、あっさり、とどめを刺す。バトルはあっという間だった。
 アタシは剣を鞘に収めて髪を払った。これ、アタシのお気に入りの勝利モーション。
「ニコルがいると、便利ね」
「でしょ。形勢がマズいときには二人の後ろに隠れるから、そのときはよろしくね」
「はいはい」
 雑談しながら歩いていく。
 ニコルは、かわいらしい見た目どおり、人当たりがいい。軽い話し方のラフは、ときどきムカつくけど、悪いやつじゃないみたい。
「アンタ、変わった名前を使ってんのね」
「オレのこと?」
「そう、アンタよ。ラフ・メイカーだなんて」
「二十一世紀の初めごろに流行った懐メロのタイトルだよ。親父のミュージックポッドから発掘して、気に入った曲なんだ。で、シャリンの名前の由来は?」
「ゲームでは必ず沙鈴《シャリン》ってハンドルネームを使うの。深い意味はないわ。好きな字を重ねただけ」
 ニコルが、アタシを振り返る。
「ボクたち、シャリンの名前を知ってたんだよ。コロシアムモードに記録が残ってるからね。いつも一人でステージをクリアしてるでしょ。すごいなって思ってた」
「ひょっとして、アンタたちがホヌアを選んだ理由って、アタシがここに入ったことを知ったからなの?」
 ニコルはちょっと笑って前を向いた。ラフがアタシの後ろ側から答えた。
「前のステージの終盤で追いついたんだ。お姫さまは気にも留めてなかっただろうけど、こっちはアンタに興味があったからさ、ステージを移るタイミングを揃えて、声かけさせてもらった」
「興味があったって……な、なによ、それ?」
「ん? 言葉のとおりそのままの意味だけど?」
「こ、このストーカー!」
「まあ、追っかけをやったことは否定しない。いやな思いをさせたなら謝る。すまん」
 サクッと謝らないでよ。調子狂う。
「べ、別に、今さら、もうどうでもいいわよ。とにかくっ、アタシの足を引っ張ったら許さないわよ! すぐピアを解消してアンタたちを置いていくんだからねっ」
「はいはい。お姫さまに置いていかれないように精進するよ。ところで、ニコル。時間、そろそろだろ?」
 ラフが言う時間っていうのは、現実での時間のこと。
 今日は、一緒に行動するようになって二日目だ。待ち合わせは、熱帯雨林の入り口だった。ラフとニコルのほうがアタシより先に来ていた。
 ニコルはパラメータボックスを開いた。
「うわっ、ヤバい! 残り三分を切ってる!」
「そうなの? アタシはあと二十五分くらいあるけど」
「今日はボクだけ早めにログインしてたんだ。先に入って設定をいじらなきゃいけなかったから。中途半端だけど、ボクはこのへんで落ちるしかないね」
「ニコルがいないと、道が面倒くさくなるわ。アタシたちも今日はここで足止めね」
「ごめん。シャリンは明日も入れる?」
「入れるわ」
「じゃあ、午後八時ログインってことで集合しよう。ここをポイントにするけど、買い物とか大丈夫?」
「了解よ。変更があったら、サイドワールドでメッセージを送って」
「オッケー。バイバイ、シャリン。また明日」
 ニコルは手を振って、ふっと消失した。
 景色が一瞬で変化した。深い緑色が一斉に覆いかぶさってきた。
「こんなんだったんだ……」
 ニコルの魔力の前では従順だった熱帯雨林が今、妖気すら漂わせている。襲いかかってきそうだ。足下に、ニコルが使役していたフキの葉が落ちていた。
「こりゃあ、やっぱ、完全に足止めだな」
 ラフは、目の前にそびえ立つ巨大な木を見上げた。鳥の声が降ってくる。ギャアギャア、と、不気味な鳴き声。
「ラフ、どうする? アタシたちも落ちる?」
「んー、せっかくだから何か話そうぜ。ほら、クォーターミニッツのご褒美、まだもらってないしな」
「バカ! ログアウトするわよ」
 冗談冗談、とラフは手を振ってみせた。コイツのこういう軽いノリ、ほんとにムカつく。
「お姫さまは、いつごろからピアズやってるの?」
 当たり障りのない話題に切り替わった。普通の会話だったら続けてもいい。画面に向かっての会話なら、アタシも一応ちゃんとできるから。
「アタシが始めたのは、一年くらい前よ。ピアズが配信されて、半年以上たってたと思う」
「半年以上か。いいタイミングだな」
「どういう意味?」
「ちょうどバグがなくなって、運営が落ち着いてきた時期だから。ほら、ピアズは『法令上、唯一公認されたオンラインゲーム』って政府のお墨付きで、仰々しく配信が開始されただろ」
 二十一世紀初めごろと違って、今は、ネットの世界は全面的に管理されている。「ネットで他人とつながるゲーム」だなんて、アタシが小さいころは昔話みたいなものだった。
「最初はユーザが殺到して、サーバの負荷がハンパなくてさ、フリーズやエラーが、しょっちゅう起こってた。国内外のエンジニアを総動員で駆り出して、大騒ぎだったんだぜ。そんだけでっかい社会現象なの、ピアズってゲームは」
「詳しいのね」
「オレも駆り出されたもん。オレってば、できる男だから」
 なによ、それ? 結局コイツ、自慢したかっただけなの?
 でも、それでわかった。ラフの「中の人」ってエンジニアなのね。しかも、かなりピアズに詳しい系の。どうりで、隠し技みたいなスキルばっかり持ってるわけだわ。
「言っとくけど、アタシは、流行りに乗っかったわけじゃないわ。数十年ぶりのオンラインゲームだから、なに? アタシは、レトロでシンプルな剣と魔法の世界観が好きなの。ほかに興味のあるゲームがなかったからピアズを始めたのよ」
「なるほどね。オレも、ピアズの世界観が気に入ってるよ。二十世紀末ごろの古き良きRPGみたいだよな。オレ、あの時代のRPGをマジでリスペクトしてる」
「古き良き、ね。復刻版を兄が集めてるから、アタシもひととおりプレーしたわ。グラフィックは頼りないけど、ストーリーはいいのよね」
「お、話が合うな」
 ラフがアタシを見つめて微笑んだ。
 彫りの深い顔立ち。黒いふたつの目が、キラキラ輝いている。吸い込まれそうなまなざし。こうやって見てたら、傷のあるラフの顔、ほんとにカッコよくて。
 じゃなくて。
 アタシは慌てて目をそらした。
 グラフィックがキレイすぎるのも問題だわ。ネットを介した向こう側にはユーザがいる。それなのに、うっかり見とれちゃうなんて、恥ずかしすぎる。
「あ、アンタたちは、ピアズ、どうなの? どれくらい、やってるの? レ、レベル自体は、かなり、低いみたいだけど」
「オレたちは、まあ、四ヶ月ってとこかな」
「ええっ? う、うそっ?」
「うそじゃねえよ。てか、ニコルのパラメータ、チラッと見てたろ?」
「レベルだけは見たけど。言われてみれば、確かに、四ヶ月……でも」
「なんなら、プレー履歴、しっかり見せようか? ハイエストクラスのステージは、これで二つ目だ」
「そんな短期間でここまで来たなんて、信じらんない」
 アタシがハイエストに来るまでに、半年以上かかったのに。
「いや、だって、オレたち、一人じゃねえから。オレとニコルは最初からピアを組んでるんだ。お互いのスキルを活かし合いながら進めてきた」
 言い訳するみたいなラフの口調に、アタシも気を取り直した。いや、まだ釈然としないんだけど。
「スキルって? ニコルは完全に補助系の便利屋だけど。アンタも何か特殊なことができるわけ?」
 ラフは、あのムカつく笑顔をつくった。
「焦るなよ。おっつけ披露していくさ。といっても、お姫さまほどの手数は持ってないぜ。お姫さまは、配信されてるスキル、全部ゲットしてるんだろ。その貧乳戦士体型で修得できるやつ、全部」
「アンタ失礼すぎる! スピード重視の戦士タイプよ。ひ、貧乳とか言わないで! スキルなら全部キッチリ持ってるわ。そんなの当然でしょっ」
「当然と言うかねぇ? 保有数マックスまでスキルを持ってるユーザって、国内でも片手の指で数えられると思うけど」
「アタシにとっては当然なのよ」
「サイドの作業クエで頑張ってるってことか」
 スキル修得のためのシングルクエスト、通称、作業クエスト。オンライン本編じゃなくて、オフラインのサイドワールドに用意されてる修行モードだ。
 作業クエストでのスキル修得は効率が悪い。オンライン本編のほうが、経験値以外にもいろいろボーナスがあるから、レベルアップもスキル修得も圧倒的に早い。
「好きなのよ、作業クエ。集中してたら、時間を忘れる」
「シャリンの『中の人』って女だよな?」
「は?」
「いや、なんというか、作業クエで黙々と複雑なコマンド入力に集中し続けるとか、そんなん好きなのって、だいたい男じゃん?」
「アタシのことオカマだっていうのっ? 女に決まってるでしょ!」
「んー、まあ知ってるけど」
「なんで、何を、知ってんのよ!」
「さあね」
 ラフは、一文字傷のある右頬で笑ってみせた。アタシの髪の一房に、ひょいと触れる。
「ちょっとっ」
「キレイな色だな」
「許可なく話をそらさないで!」
「いいじゃん。女の子を誉めるのに、いちいち許可も必要ねぇだろ?」
「話が中途半端になるのが気持ち悪いのよ!」
「じゃあ、さっきの作業クエの話は終了。黙々と修行しまくってきたから、今のお姫さまの強さがあるってことで、オレは納得した。これでOK?」
「……OKってことにしてあげるわ」
「サンキュ。今みたいに、どういう会話の組み立て方がOKとかNGとか、ズバッと言ってくれよな。っつっても、お姫さまの考え方はどうやらロジカルなタイプみたいだから、けっこうやりやすいぜ」
 アタシは驚いた。アタシの考え方も性格も、面倒くさいって言われることしかないのに。
 ラフは改めてアタシの髪の色を誉めて、どこで入手したのかを訊いてきた。アタシは誘導されるように答える。
「コロシアムで勝ち抜いて手に入れた限定カラーよ。持ってる人間は相当少ないはずだわ。アタシの髪は、もとは赤毛だったんだけど」
「シャリンには、赤よりこっちのほうが似合いそうだ」
「そ、そういうナンパな言動はやめなさいよ。いい加減にして。ぶっ飛ばされたい?」
 ペースを乱されて、アタシは本気で戸惑った。
 うっそうとした木々が、途切れた。ぽっかりと開けた広場。広場の周囲には、黄金色のタケが茂っている。
 広場の中心に、一本の巨大なタケが、立っている。タケの内側から、黄金色の光がにじんでいる。
 アタシは進み出て、先頭だったニコルに並んだ。
「どうやらここがオヘの住み処のようね」
 ニコルはフキの葉から飛び下りた。フキの葉は、ひょこひょこと走って森へ帰っていく。ラフはアタシとニコルの間に立って、さらに一歩、先へ踏み出した。
 ザワザワと、広場を囲むタケが一斉に葉を揺すり始めた。風はない。
 中央のタケが黄金色の光を明滅させた。明滅は、心臓の鼓動みたいなリズムだ。どくん、どくん。だんだん光が強くなっていく。
「オヘって、タケの中から現れるのね? かぐや姫?」
 ニコルが知識を披露した。
「タケの中に人が住むっていう発想は、太平洋の島々の伝説らしいよ。かぐや姫伝説も、そのうちのひとつ。もともと南洋から入ったんじゃないかって説があるんだ」
「変なこと知ってるのね」
「趣味だよ。伝説や神話、好きなんだ」
 黄金色のタケの茎に、スッと亀裂が走った。亀裂はねじ曲がって、左右に広がる。
「おっ、出てくるぜ」
 黄金色の女がタケの中から現れた。女は長い脚で、苔むした地面に降り立つ。女の背後で、タケの茎が元通りに閉ざされた。
「招いた記憶はないけれど、お客さまかしら?」
 タケそのものみたいな、硬そうな肌。黄金色の全身は、ボディスーツでも着てるような印象。裸なんだけど、裸っぽくない。スタイルはすごくいい。
 ラフは、コンピュータ制御のその女にウインクしてみせた。
「アンタがオヘかい、グラマラスなおねえさん?」
 アタシはラフの束ね髪をぐいっと引っ張った。
「敵キャラまでナンパしてんじゃないわよ」
「痛てて、マジでダメージ入ってる! ボス戦の前にそれはやめてくれ!」
「ふんっ」
 タケの色をした女は、眼球のない目でアタシたちを順繰りに見た。
「ワタクシの名はオヘ。アナタたちが何者かは知らないけれど、アナタたちからは敵意を感じる。去りなさい」
「ずいぶん高飛車なかぐや姫ね」
 オヘは色っぽい感じに笑って、プログラムされたセリフを吐いた。
「ヒイアカが結婚? おめでとうと伝えてちょうだい。でも、ホクラニは返さないわよ。ワタクシにも幸せになる権利はあるはずだもの。ワタクシは誰よりも美しくなって、あのかたを振り向かせるの」
 ニコルは眉をハの字に開いて、困った顔をした。
「こういう流れじゃあ、やっぱりこの人自身がボスだよね」
 オヘは腰に手を当てた。
「あら、見逃してあげようと思ったのに、帰らないのね。ホクラニを返せって? だったら、力ずくで奪ってみなさい!」
 タケの小枝のような髪が、ミシミシと音を立てて逆立った。オヘの胸が淡く発光している。
「あの光がホクラニか。戦神《クー》の星、だっけ?」
 オヘの胸の谷間の奥に輝きが埋まっている。冴え冴えとした、透明な光だ。風圧を放つほどの魔力。剣の間合いより遠い地点に立っていても、その風が感じられる。 
 バトル開始のカウントダウンが表示された。アタシは剣を抜き放った。隣でラフが双剣を構える。
 3・2・1・Fight!