アタシは、ラフとニコルを交互に見つめた。静かなBGMに、焚き火が爆ぜる音が混じる。
「なんでアンタたちはこっちにしかいないの?」
 理不尽な質問。現実の空間を超越できるピアズの世界だからこそ、アタシは二人と出会えたのに。
 アタシは、泣きそうに震える声で続けた。
「こっちが現実ならいいのに。仲間がいて、一緒に戦ったり笑ったりできて。こっちの世界のほうが、現実なんかより、よっぽど健全よ」
 そんなこと、当たり前。健全で当然。健全であるように設計された世界なんだから。そのために、徹底的に管理されてる世界なんだから。
 健全すぎて、安全すぎて、嘘くさいところもある。不公平で、特別すぎると感じることもある。作り物だって、露骨にわかっちゃうときもある。
 でも、アタシは今、非現実の世界だけを望んで生きてる。リアルな日常なんていらない。
 ラフがそっと言った。
「オレだって、いつも思ってるよ。これだけ自由に走り回れりゃ楽しいだろうなって。たかがゲームだ。虚構の世界だ。だけど楽しい。全身全霊で楽しんでるよ、オレは。シャリンの気持ち、わかるよ」
「ラフ……」
「あのさ、ちょい古い話な。オレの親父がオレくらいだったころ。オンラインゲームの全盛期には、ネット上に別人格を持つのは一般的だったんだって。オンラインの国際法も整備されてなくて、めちゃめちゃに荒れてたらしい」
 西暦二〇二五年。各国の政府は、野放しにされていたネットの世界に猛烈な規制を加えた。理由は、SNSやオンラインゲームを悪用した大規模な犯罪。売春と臓器売買が世界的にまかり通っていたのを、徹底的に排除した。
 その後、政府の対応に仕返しをするように、一班ユーザから見れば追い打ちをかけるように、世界的なSNSのサーバが同時多発的にサイバーテロによって破壊された。
 破壊からの復旧は、意外にも素早かった。創造のための破壊だと、最初から予定されていたかのごとく。
 今のオンライン空間は、旧体制とはまるっきり違う。完全に管理され、規制された世界。現実のIDカードがなければ、オンラインの戸籍に名義登録できない。逆に、オンラインのIDカードがあれば、現実での身分証明も可能だ。
「その昔話がなんなの?」
「オレは昔話の中の世界に憧れてた。戦国時代ってわけだろ。オレ、のし上がって天下を取る自信があったぜ。ネット上に国を建てるくらいの腕はある。プログラミングもハッキングも得意でね。でも今は、無理だと感じてるよ」
「どうして?」
「思い知ったんだ。どんなに荒れた虚構の世界でも、そこで出会う相手は生身の人間だってことを」
「生身の人間……」
「向こうさんも、オレと同じだ。頭脳と精神と感情だけの無防備な姿で、この世界に存在してる。ちょっと書き換えれば支配できちまうコンピュータプログラムと一緒にしちゃ、ダメだよな。簡単に制圧できるだなんて、思い上がりもいいとこだ」
 ラフの端正な顔に表情はない。ピアズのスタンダードなオプション感情は八種類。喜怒哀楽の四要素が、それぞれ二パターンずつだ。ラフのユーザは今、どのパターンをも選んでない。
 足りないんだ。たった八パターンじゃ、人間の心は表現できない。ミニゲームの景品で手に入れた変顔なんか、こんなときには役に立たない。
 アタシは、だけど、笑ってみせた。冗談っぽく、軽い口調をつくってみせた。
「ラフって意外にまじめなのね。博愛主義っていうのかしら? 世の中の人間みんながアンタみたいだったら、地球の未来は平和だわ」
「なに言ってんだよ。オレはむしろ、刹那主義に生きてる大バカ野郎だ。だから天下を取ってやろうなんて憧れを持ったんだ」
「でも、今は違うんでしょ?」
「オレは変わったよ。アンタのせいだぜ。アンタに出会わなけりゃ、オレはつまらない野心を捨てきれずにいた」
 スピーカ越しの低いささやきに、あたしの心臓がギュッとつかまれる。動揺した指先は、反射的にコントローラを操った。シャリンが苛立ちの表情をつくる。
「なにそれ? 意味わかんない」
 ラフは静かに微笑を浮かべた。
「アンタを守りたいと思った。理屈じゃねえよ。オレがこの虚構の世界を揺るがしたらさ、アンタ困るだろ? 今、アンタは現実でうまくいってない。この世界のためだけに、人格と命を保ってる。そうだろ?」
「……うん」
「だったら、ほかの人間なんか関係ない。オレはアンタの存在だけを理由に、自分の野心を投げ出せるよ」
 やめてよ、って言ったつもり。でも、声にならなかった。息ができないくらい、胸の鼓動が膨れ上がってる。
 南国風にアレンジされた星空のBGM。焚き火の薪が爆ぜる音。
 優しく微笑んだラフ。右のほっぺたの傷。すっと通った鼻筋と、薄い唇、両目は、焚き火を映し込んで、黒くきらめいている。
 そのキレイすぎるCGに、誰かの真心を秘めた絵に、アタシは吸い込まれそうになる。
 沈黙が落ちて。
 突然、ラフは微笑の種類を変化させた。ニヤリと、からかうような微笑。ラフはウィンクして、自分の胸元を親指で差した。
「お姫さま、忠告しとくぜ。オレがカッコいいこと言っても、オレに惚れるなよ」
「なっ……バ、バカ!」
 アタシよりも素早く動いたのはニコルだった。
「さすがに今のは聞き捨てならない」
 ニコルは足下の小石を拾ってラフに投げつけた。
「すまん、許せ! 口が滑った」
「助太刀ありがと、ニコル」
 アタシもラフに小石を投げる。恥ずかしくて、しょうがない。
「ちょっ、やめろやめろ! マジでヘルスポイント減るから! 料理食って全快したばっかなんだぜ。やめてくれ、おい、ふざけすぎたオレが悪かったってば!」
 ラフはついに立ち上がって逃げ出した。
 アタシたちは笑い出す。アタシもラフもニコルも、どうでもいいことがおもしろくて楽しくて、笑ってる。
 やっぱりこっちの世界がいい。アタシは、ずっとここで生きていたい。