「なんだ?」
 こぼれる心が、止まらない。
「あんた、何者? ほんとにそこにいるの? 実在するのよね? 生きてる人間なのよね?」
 沈黙が落ちた。美形キャラのCGが「アタシ」を通して「あたし」を見つめる。
 ラフ、何か言って。アタシに答えて。不安にさせないで。そこにいるんでしょ?
 今、アタシたちはアバターの姿で、虚構の世界を生きてる。時間制限の中で、ひとつの冒険を共有してる。顔も名前もわからない「アンタ」との人間関係が、今の「あたし」にとって、限りなく尊い。
 ラフの手がアタシの頭をポンポンと叩いた。アバターの表情は変わらない。本当のラフは、どんな表情をしてるんだろう?
「お姫さまこそ、そこにいるんだよな? オレの声を聞いて、オレと同じ景色を見て、オレの隣でミッションをやってる。そうだよな?」
 いつになく低い、かすれがちな、ラフの声。
「いるわよ。アタシはここにいる。コントローラを握って、リップパッチを着けて、アンタに声を届けてる。アンタを見つめてる」
 焦れったい。言葉を重ねても、アタシが存在するってことを十分に証明できない。隣にいるなら、手を握るだけでいいのに。
「ラフがオレならいいのにな」
「どういうこと?」
「逆か。オレが本当にラフならいいのに。アンタが本当にお姫さまならいいのに。ここでこうして出会うことが現実なら……いや、やめとこ。らしくねーよな」
「それがアンタの本心?」
「言わねーよ。オレってば照れ屋だから」
「なんなのよ、それ」
 ラフは再び、アタシの頭に手を乗せた。その手の重みとぬくもりを想像してみる。おにいちゃんの手のひらと、どっちが大きいんだろう?
「お姫さまが沈んでたんじゃ、こっちも調子が狂っちまう。現実のほうで、なんか困ったことでもあったか? オレが聞いてやるから、話せ。聞くことしかできねえけどさ」
 ここでラフに話しても、アタシの生活は何も変わらない。話したって無駄だ。不要な労力。
 それなのに、話してみたくなってしまうのは、どうしてなんだろう?
「うらやましい世界よね、ここって。キャラクターはみんな特別待遇」
「特別? どんなところが?」
「存在してていいんだもの。なんの根拠もなく、ただ存在するための場所が用意されてる。殺されても死なない。ハジかれても戻れる。ほんとに都合がいい世界」
「シャリン。ほんとに、何があったんだよ?」
 まじめな口調。久しぶりに名前を呼ばれた気がする。
「そうね。次のうち、どれが事実か当ててちょうだい。一、引きこもりになってる。二、殺されそうになった。三……三、生きてる意味、わかんない……」
 あたし、何を言ってるんだろ? どれが事実か、だなんて。どれも事実なのに。
 ラフの手がアタシの頭から離れた。
「ひでえな」
 アタシはラフを見上げた。
「さあ答えはどれでしょう? どれも答えじゃないかもね」
「もっと気の利いたクイズを考えてくれ」
「気が利かなくて悪かったわね」
 ふっ、と、ラフは小さな息を吐いた。たぶん、ユーザがほんの少しだけ笑ったんだ。吐息みたいな笑いをリップパッチが集音した。アバターの表情は動いてないけど、アタシはラフの笑顔を感じた。
「お姫さま、アンタはそのまんまでいい。お上品に黙りこくってないで、下手な言葉を投げて寄越せよ」
「下手って、なによ」
「しゃべってくれよ。どうでもいい話でかまわないんだ。しゃべってくれなきゃ、アンタがそこにいることを確かめられない。現実の世界で面と向かって話してるわけじゃない。顔色も表情もわからない。だから、しゃべってくれ。オレの目の前にいるんだって証明してくれ」
 ラフの言葉は熱っぽい。はぐらかしたり、からかったりするばかりの普段とは、違う。
 今のがラフの本心? ラフは、アタシに存在しててほしいと思ってるの? 大切だって思ってくれてるの?
 戸惑いが胸の中で膨らむ。心臓がドキドキ、駆け出している。
 アタシは今、どんな顔してる? アバターのシャリンは? ウィンドウに自分の顔を表示……なんてできない。
「ふ、不公平よ。アタシにしゃべれって言うなら、アンタもしゃべりなさいよ」
 アタシだって、アンタの存在を確かめていたい。
「わかったよ、お姫さま。そのうち、必ずな。お、一曲終わったみたいだ」
 ラフが祭の炎へと視線を向けた。太鼓のリズムが止んで、喝采が起こっていた。