甘いホットミルクでお腹を温める。だんだん、気持ちが落ち着いてくる。
 おにいちゃんは食卓の向かいに座って、ハチミツを入れないホットミルクを飲んでいる。
「おにいちゃん」
「ん?」
「起こしちゃったよね?」
「寝てなかったから大丈夫。さっき、夜勤から帰ってきたばっかりだ」
「じゃあ、今、眠い?」
「いや、平気。夜勤中でも、小刻みに仮眠をとってるんだよ」
 沈黙。
 冷蔵庫がブーンという音をたてている。あたしは黙っていられなくて、口を開いた。
「最近は毎日よね、夜勤」
「利用者さんのわがままにお応えしてるんだ」
「アサキって人?」
「うん。朝が綺麗っていう字で、朝綺なんだ。頭の切れる、おもしろい男だよ」
 友達のことを話すみたいな口調だ。朝綺って人のこと、初めてちゃんと聞いた。
「おにいちゃんはその人の日常生活の介助をしてるんでしょ? なんで夜勤が必要なの?」
「朝綺は夜の間、寝ているときだけ、人工呼吸器を着けてる。それのチェックをしないといけないんだ」
 人工呼吸器? 寝てるときは、自力で息ができないの?
「い、医療機器の誤作動なんて、めったに起こらないものよね?」
「起こってもらっちゃ困るよ。ぼくの知識じゃ、人工呼吸器を直すことなんかできないしね。ただ、ぼくは、特別な機能のために夜勤に入ってるんだ。その機能は、どんな高度なマシンにも実現できない。逆に、人間の介助者であればそれができる」
「どういう機能?」
「安心感を与えるっていう機能。それを実現するためには、人間がそばにいるのがいちばんなんだ。夜の間、一時間に一度、ぼくが人工呼吸器の動作状態をチェックする。それが安心感につながって、朝綺はゆっくり眠れるんだ」
 朝綺って人の気持ちが、あたしにもわかる。夢にうなされて飛び起きた今、おにいちゃんがいてくれることが心強い。何もしてくれなくてもいい。そこにいてくれるだけでいい。
 朝綺って人は、ずるい。わがままよ。あたしのおにいちゃんを、そうやって毎晩、独占してる。お金を出して雇ってるとはいっても、友達だっていっても、ずるい。あたしにも、安心感がほしい夜はあるんだから。
「ねえ、おにいちゃん」
「ん?」
「おなか減った。朝ごはん作って」
「はいはい。わかりましたよ、お姫さま」
 最近よく「お姫さま」って呼ばれる。ラフがそう呼ぶから、ニコルにもうつってる。どうしておにいちゃんまで同じ呼び方するのよ?
 それにしても。今さらだけど。
「おにいちゃん、あのメガネ、かけるのやめたら? というか、やめなさい。メガネがなければイケてる顔してるんだから、ちょっと自覚して」
 おにいちゃんはホットミルクを喉に引っかけて、盛大にむせた。