クラの家から出ると、サトウキビを抱えたおばさんたちがいた。ニコルが愛想よく話しかける。おばさんたちは話し好きだった。
「おや、アンタたちが噂の旅人かい。ねえねえ、アンタたち、長に会ってきたんだろ? 長とクラはちっとも似てないって思わなかった?」
「クラは長の本当の子どもじゃないのさ。十二年前、隣の里がアリィキハにやられてね。ちっちゃかったクラだけが運よく逃げ延びて、長の養子になったの」
「クラはまじめで、いい人間だよ。ただ、長の地位を継ぐには、ちょいと頼りないね。男なんだから、たまにはガツンとやりゃいいのに」
「当人もわかってるみたいだけどね。でも、自分は長の代理に過ぎないって言って、あの人が帰ってくるのを待ちわびてるのよねえ」
「あの人ってのはね、長の血のつながった子どものこと。クラより一つ年上だっけ。頭もいいし体も強いし腕も立つし、やっぱり次の長はあの人よねえ」
「ちょうど一年くらい前に長とケンカして飛び出して、それっきり、どこ行っちまったのかしら? 早く戻ってきてほしいよ」
噂好きのおばさんたちのおかげで、里の内情がいろいろわかった。さらに情報を集めようってことになって、アタシは、ラフやニコルと別行動をとることにした。
一人になると、なんだかんだ言って、気楽だ。アタシは、シャリンの体で大きく伸びをした。
「……って、何やってるんだか。オーバーリアクションの癖がついてるかも」
ラフやニコルとしゃべりながら、ゲームを進めるせいだ。作業クエでも、ひとりごとが増えちゃってる。いや、もともとひとりごとは多いほうだけど。
「あ、そうだ! 今のうちに、温泉に行っとこう!」
温泉の効用って、ありがたい。ヘルスポイントもスタミナポイントも完璧に回復する。しかも女性キャラの特権として、一定期間、疲労しにくい体質になる。利用しない手はないでしょ。
アタシは里の外れの温泉のほとりの茂みで、装備品を外した。軽量型の剣も、シースルーのマントとスカートも、ビキニタイプのメイルも。ついでに、ツインテールのリボンまでほどいて、オーロラカラーの髪を背中に流す。
「助かったぁ。さっき食事したけど、ネネの食材ってバランス的に偏りがあるのよね。完全には回復しなくて、参ってたの」
乳白色の湯に体をひたす。たちまち、アタシの頬はピンク色にほてった。ちょっと色っぽいCGが、いい感じ。パラメータボックスを表示して、ゲージの回復を確認する。
ごくらく、ごくらく。
クラは、夕刻に長の家へ来いって言ってた。きっと、里での情報収集が終わったら夕刻になる設定だ。そして望月が空に上れば、ホクラニの力が発揮される。ストーリーが動く。
ガサリ。
「ん?」
大きなシダの葉っぱが不自然に揺れた。
何かが、そこにいる……!
アタシは、装備品を置いた茂みから剣をたぐり寄せた。湯けむりを透かして、物音のほうをにらむ。
ガサッ、ガサリ。
「なんだっていうのよ? こんな人里のそばにモンスター? こっちは裸だってのに」
剣の鞘を取り払って、ピシリと構える。こんなとこで、こんな格好で負けたら、いろんな意味で恥だわ!
と。
「ちょっ、ニコル、押すな!」
「うわわわわっ!」
ラフとニコル!
葉っぱの影から二人が転がり出てきた。しぶきがあがる。温泉が波立つ。
「……アンタたちねぇ」
「な、なあ、聞いてくれ! これには深い理由があってだな……」
「男キャラにとってはねっ、温泉をのぞくイベントは、ゲージの回復が……」
「バカッ!」
くたばれ、バカども!!
“Cruel Venus”
アタシは、のぞき魔どもをまとめて温泉の外に叩き出した。
結局ドタバタだった温泉帰り道、クラを見付けた。白い星形の花が咲く木の下だ。
ぼんやりと花を見ていたクラに、アタシは声をかけた。クラは驚いた様子で、小さく跳び上がった。
「ああ、シャリンさまでしたか。すみません、考え事をしていました。シャリンさまは里の者たちと話ができましたか?」
「そうね」
「この花はプア・メリアといいます。子どものころ、ワタシはよくこの木のそばで遊んでいました。次の長になるべきあのかたがプア・メリアを好いていたので」
「家出しちゃったんでしょ、その人」
「あのかたが里を出て行かれたのは、長に反発してのことでした。ですが、二人の口論の原因はワタシの存在だったと思います。年月を重ねるにつれて、あのかたは、ワタシを遠ざけるようになられました」
「ふぅん。アンタ、いじめられてたの?」
「あのかたは、本当はとてもお優しいのです。故郷を失ったワタシを引き取るように、と長を説得してくださったのは、あのかたでした。ご自身も幼くして母親に先立たれておられますから、ワタシのことをほうってはおけなかったのでしょう」
クラはプア・メリアの花びらに触れた。彫りの深い横顔が寂しそうにかげっている。
足下に落ちた影が、いつの間にか、ずいぶんと長い。景色が橙色の光に染まり始めている。クラが言ってた「夕刻」だ。ストーリーが進み出した。
クラは気を取り直すように、アタシに微笑みかけた。
「ワタシは一足先に、家に戻ります。皆さまもご準備ができましたら、ワタシの家へおいでください」
一礼して、クラは歩き去った。
入れ替わりに、アタシの視界に、不届き者たちの姿。
「ラフ! ニコル!」
ビクリと固まる二人。アタシは突進した。もう一回、ぶっ飛ばしてやる!
が。
「「先ほどは、どうも申し訳ありませんでしたっ!」」
二人のほうが素早かった。華麗な身のこなしで、ジャンピング土下座。
「あ、謝って済むと思うのっ? リアルだったら犯罪よ? い、いくら、ゲームだからって、こんなの最低!」
「いや、あのさ、お姫さま。これはシステム的なことなんだけどさ……」
「システム? どーいうことよ?」
ニコルが暴露した。
「男にとって、温泉をのぞくイベントはね、究極の料理を食べるのと同じだけの効果が得られるんだよね。料理には材料費がかかるけど、温泉をのぞくのはタダでしょ。だから、絶好のチャンスだと思って、ついつい」
「バっカじゃないの!」
「だけど、オレもニコルも初めて発動させたんだぜ。こーいう、のぞきイベント。今まで女性キャラクターとピアを組んだことがなかったからさ」
「あ、あっそう」
初めてって言われた。それもそうかな。アタシのことをわざわざ追いかけてきた二人だ。
……違うから。別に嬉しくなんかないし。
ニコルはうやうやしげにおでこを地面にこすりつけた。
「なかなかいい絵を堪能させていただきました」
「さ、最っ低ね。次があったら、承知しないんだからねっ」
ラフとニコルは土下座したまま顔を上げた。めちゃくちゃ、にこにこしてる。屈託のない笑顔ってやつ。
アンタたち、その美麗なCGでごまかそうとしてるでしょ。ほんとに反省してるわけ?
松明を手にしたクラは、吹っ切れたみたいに淡々と告げた。
「ホクラニを盗んだのは、イオさまだと思われます。イオさまは長の実子。一年前に、ネネの里を出奔してしまわれました」
「その人が戻ってきたんだね?」
「今年は大トカゲ属の繁殖期です。イオさまは、里の様子をうかがいに、こっそ戻られたのでしょう。そして、里で最強の戦士である長が痛手を負ったと知った。だからイオさまは、ホクラニの力を利用してアリィキハを倒すことを決心されたのではないかと思います」
「なるほどねえ」
「イオさまであれば、ホクラニのことをご存じです。番犬も、イオさまにはなついていました。簡単にホクラニを盗むことができたでしょう」
彫りの深いクラの顔に松明の火が映り込んでる。同じように、ラフの顔にも、ニコルの顔にも。
少し沈黙が落ちた後、アタシは言った。
「で? 具体的に、アタシたちは何をすればいいの?」
「ホクラニを持っているのが本当にイオさまだとしたら、必ず今宵、望月の明るいうちにアリィキハ討伐を試みるはずです。ワタシはイオさまを止めたい。ホクラニの強い力を人間が扱うのは危険です。皆さま、よろしければ、ワタシと一緒に来ていただけませんか?」
「そりゃー、ここまで来て『いいえ』って選択肢はねえよ。な、シャリンにニコル?」
「そうね」
「うん」
アタシたちの返事に、クラは深々と頭を垂れた。
アリィキハの居場所は、長がヒントをくれた。
「里の北西にある森を目指せ。ワシがアリィキハと戦ったのは、その森のそばだった。近くまで行けば、アリィキハの足跡をたどれるはずだ」
アタシたちは森に入った。
アリィキハの爪痕はすぐに発見できた。大木の幹が深くえぐられている。薙ぎ倒された木もある。どんだけデカいのよ、こいつ?
クラは松明で森の奥を指した。
「縄張りを主張するための爪痕でしょう。足跡は森の奥へと続いています。行きましょう」
途中でバトルが発生した。
クラは攻撃手段を持ってないけど、傷や毒を治す呪術を使える。畑仕事に鍛えられてるからスタミナはある。敏捷性も低くはないし、まるっきり役立たずってわけじゃないみたい。
アリィキハが作った道は一直線だった。森の奥へ奥へ、アタシたちは進んだ。
そして、森が切り拓かれた場所にたどり着いた。村の廃墟だった。雑草が生えた荒れ地。あちこちに、建物の柱の跡が遺されている。
クラは松明を掲げて四方を見回した。呆然とつぶやく。
「ワタシがかつて暮らしていた里です……こんなに近い場所だっただなんて……」
風が渡った。森がざわめいた。風に押されてクラはよろめいた。松明が土に落ちた。炎が弱くなって、でも燃え続けて、やがて消えた。
満月の明かりが廃墟を照らしてて、不気味だった。
ふと声が響いた。
「クラ、オマエは弱い。この場所に来れば、心が揺らぐに決まってる。ただでさえ戦い方を知らないってのに、そんなふうにボーッとしてんじゃ、ますます邪魔だ」
女の声、だった。
クラはハッと顔を上げた。
「イオねえさま!」
ラフとニコルがのけぞった。
「ええっ? イオって、女なのか?」
アタシは驚かないわよ。やっぱりねって感じ。
プア・メリアの木のそばでクラが見せた表情は、切なそうで、寂しそうで。あれは、ロマンスの気配だった。
よくあるシナリオだもの。アタシもそのあたりは推測できるようになった。
でも、ラフとニコルが驚くのは仕方ないか。あの会話イベントを見逃したんだし。
木立の間から現れたのは、野性味あふれる美女だった。女の人としては、背が高い。威圧的なくらいの巨大なバスト。胸と腰をほんのちょっと覆っただけの格好。太ももにベルトを巻いて、幅広の短刀を装備している。筋肉質な体つきをした女戦士だ。
ラフが無神経に口笛を鳴らした。アタシはラフの足を踏んづけた。
「痛ぇな」
「いちいち気に障るのよ」
「妬くなって」
「ぶっ飛ばされたい?」
女戦士イオは、背中の後ろに回していた右手を前に出した。輝く球体が、イオの右手にある。満月みたいな光。ホクラニ、神々《アクア》の星だ。
静かな風が、光るホクラニから起こっている。風と光を受けるイオの黒髪がそよいでいる。
「オマエたち、命が惜しかったら立ち去りな。はぐれ者のアリィキハが、じきにここへやって来る。やつを誘うため、メスのモオキハの血を森の木々に塗りつけてきた」
モオキハの血?
ピアズはグラフィックとサウンドだけの世界だ。匂いはユーザには伝わらない。もしも匂いまでが感じられるなら、と想像して、アタシは気持ち悪くなった。森から廃墟までの間、モオキハの血の匂いに満ちてたはずだなんて。
キシャァァァッ!
突然、咆吼が夜の空気をつんざいた。
パラメータボックスに“WARNING!”と、赤い文字が躍った。アタシと相手との体積比は計測不能。やっぱり、よっぽどデカいんだ、アリィキハって。
ニコルはローブの袖から杖を取り出した。ぶん、と一振り。杖がバトルモードのサイズになる。
「逃げる暇なんてなさそうだよね」
イオが舌打ちした。
「もう来たのか」
そういう設定でしょ? でも、切羽詰まって闇をにらむイオのCGは、ゾクッとするほどキレイだ。
ホクラニの輝きを、イオは見つめた。思い詰めた表情。イオは、ホクラニ、胸元に寄せた。
オヘのホクラニもそうだった。胸の真ん中に入り込んでいて、オヘを狂わせてた。
って、ちょっと待って! イオまで正気じゃなくなったら、ボスが二体になる!
飛び出そうとしたアタシより先に、動いた人影がある。クラがイオの右の手首をつかんだ。
「おやめください! 人の子が神々《アクア》の力を操れるはずもありません! ホクラニに身を委ねては、ねえさまが壊れてしまいます!」
「アタイがどうなろうと、かまわない! あの化け物を倒さなけりゃ、ネネの里が危ない」
「いいえ。ねえさまがおられなければ、ネネの将来はありません」
「長の地位はオマエが継げばいい!」
「戦い方を知らないワタシは里を守れません。里にはアナタが必要です」
「手を離せ、バカ!」
空いたほうの左手で、イオはクラの頬を叩いた。クラは少しよろめいた。でも、イオの手を離さない。
キシャァァァッ!
地響きが迫ってきた。森が悲鳴をあげている。眠っていたはずの鳥たちが一斉に飛び立った。
巨大な頭が木立を薙ぎ倒しながら、廃墟のフィールドに現れた。続いて、全身が出てくる。毒々しいピンク色の喉首。鈎爪を持つ四肢。
アリィキハだ。
「あっ! クラ、オマエ何をする!」
イオが叫んだ。アリィキハに気を取られた隙に、クラが動いてたんだ。イオの手から、ホクラニを奪っていた。
「ニコルさま、ホクラニをお預けします!」
クラはホクラニを投げた。正確なコントロール。ニコルはキャッチして、ポーチに落とし込む。
アタシとラフは、同時に剣を抜いた。
3・2・1・Fight!
アリィキハが突進してくる。
「動きは遅いわね!」
アタシはアリィキハの前肢を踏み台にして跳び上がった。高速でコマンドを入力する。
“Wild Iris”
七連続の斬撃。アリィキハの鼻面に、うっすらと引っかき傷が付いた。
「あー、もうっ! また硬くてヒットポイントが高いってパターンっ?」
「まぶたや喉を狙えよ。まだしも皮膚が薄いはずだ」
ラフは双剣を両肩に背負ってアリィキハに突っ込んでいく。前肢の爪をくぐって、ふところへ。ピンク色の喉元に双剣を叩き付ける。
“chill out”
ガキン。
「前言撤回。やっぱ、喉も硬ぇ」
ニコルが口を尖らせた。
「ラフの馬鹿力でもダメかぁ」
ニコルは足下の雑草を摘み取って、杖で打った。細長い形をした雑草の葉っぱが槍へと姿を変えた。
キシャァァァッ!
アリィキハが咆吼した瞬間。
「そぉれっ!」
ニコルは雑草の槍を投げた。槍がアリィキハの舌に突き刺さる。
でも。
「効いてねぇぞ」
「魚の小骨みたいなもんかなぁ?」
まぶた、喉、口の中。弱そうなところを、繰り返し狙ってみる。
「ヒットポイントのゲージが減らないわね。長期戦覚悟よ」
攻撃要員は、アタシたち三人とイオ。
イオのナイフは、ネネの戦士らしく原始的だった。金属の刃は付いてない。ナイフの本体は木製。刃の部分には、サメの歯がびっしりとくくりつけられてる。切り裂くんじゃなくて、えぐる武器。
イオは、タカみたいな独特の動きで、アリィキハの尾に打ちかかる。ニコルがイオのAIに命令した。
「尻尾じゃ意味ないよ。こっちに合流して、頭を狙って」
「アタイに命令するんじゃないよ!」
啖呵を切りながら、イオはニコルの指示に従った。ニコルは遠隔攻撃で、イオは直接攻撃で、アリィキハのまぶたや鼻面、開いた口の中を襲う。
アタシとラフは、交互にアリィキハに接近した。喉元をしつこく攻め続ける。だんだん、傷が開いていく。時間はかかってるけど、無意味じゃないみたい。
アタシは一回、ラフは二回、アリィキハの前肢の一撃で、吹っ飛ばされた。すかさずクラが駆け寄ってきて、呪術で傷を治癒する。
でも。
「ワタシでは力不足です。皆さまの傷を塞ぐことはできますが、疲れを癒してさしあげることはできません。申し訳ない」
傷を塞ぐのは、ヘルスポイントの回復。疲れを癒やすのは、スタミナポイントの回復。つまり、クラの呪術を受けてもスタミナポイントは減ったままだ。
アタシはパラメータボックスのゲージを確認した。純粋な体力消費やスキル発動によって減ったスタミナポイントは、レッドゾーンが目前だ。このペースじゃ、アリィキハより先にアタシたちが動けなくなる。
「ラフ、ニコル! のんびりしてる場合じゃないわよ! スタミナ、かなり減ってる!」
「オレもさっき気付いたとこ。こんなペースじゃあ、らちが明かねえよな」
「ボクもヤバい。打てば当たるのが気持ちよくて、ガンガン魔法使ってた」
ラフはアリィキハから間合いを取った。
「本気出すよ。あんまりキレイな姿じゃないけど、勘弁してくれ」
ラフは目を閉じた。双剣を持つ両腕が下ろされる。
不穏な風がラフの足下から、ぶわりと湧いた。
まぶたが開かれる。まがまがしい赤が両眼にともっている。
「また呪いを発動するの?」
むき出しのお腹に、二の腕に、赤黒い紋様が燃える。燃えながら、紋様はじわじわと広がった。
猛獣の唸り声みたいな笑いがラフの口からこぼれた。牙が光った。双剣が軽々と振りかざされた。
「あ、ハはっ、はハハッ……! コントろール、どうナってンだヨ? 体のジユウがキかねェ……!」
ザラザラと濁った響きでつぶやいて、ラフは跳躍した。
二本の大剣は、まるでおもちゃだった。重量を無視した動き。ラフは、やたらめったらに大剣を振り回す。
「なんなのよ、あの動き……スキルも何も、あったもんじゃないわ」
ものの数秒で、アリィキハの舌が刎ね飛ばされた。アリィキハは絶叫する。
ラフは止まらない。アリィキハのまぶたが、鼻面が、喉首が、ズタズタに切り裂かれていく。
アタシは立ち尽くすしかない。
「援護に回る隙もないなんて」
ラフは、前回の呪いよりも激しく暴走してる。
ニコルはイオに防御を命じた。ニコル自身もバトルフィールドから下がる。
「ラフの攻撃力、ゲージが針を振り切ってる。理性のゲージはほとんどブラックアウト。スタミナが尽きるまで暴れ続けるね、これは。同時にヘルスがゼロにならないように気を付けとかないと、ほっといたらハジかれちゃう」
「そんなの、めちゃくちゃだわ」
アリィキハの前肢を、ラフは交差させた双剣で受け止めた。巨体の重みに、ラフのブーツが地面にのめり込む。
ラフの顔が歪んだ。赤い目が、紋様が、らんらんと燃える。ラフは牙をむいた。獣の声で吠えた。
アリィキハの前肢がスパッと飛んだ。
キシャァァァッ!
悲鳴。アリィキハが横倒しに倒れた。
「アハハははっハハはハッ!」
ラフは笑っている。
仰向いたアリィキハの喉を目がけて、ラフは双剣を振りかざして宙に跳んだ。
四人がかりで手こずっていたモンスターは、呪いを発動させたラフひとりの手で、あっという間に光になって消滅した。
アリィキハとのバトル終了後。バトルフィールドが消滅すると、ラフが元に戻った。
「大丈夫なの?」
「へーきへーき。ご心配ありがと、お姫さま」
「べ、別に、心配なんか」
「それより、イベント発生の気配だぜ」
ラフが指差す先に、クラとイオがいる。クラはイオの前にひざまずいた。
「ねえさまの帰りを、ずっとお待ちしていました」
イオの、ナイフを持つ腕から力が抜けた。クラから目をそらす。
「アタイは盗みをした。里の掟を破った。親父がアタイを許すはずがない」
「いいえ。とうさまも、ねえさまの帰りを待っておられます」
「わからずやの親父となんか、顔を合わせたくない」
「里を出られる前、とうさまと、どんなお話をなさったのです?」
「男たちに交じって森へ入るのはやめろって。アタイに戦い方を教えたのは親父だぞ? そのくせ急に、もう戦うなと言ったんだ。しかも、このアタシに向かって……は、は、花嫁修業しろだなんて……っ!」
「ワタシにも、とうさまは同じ話をなさいました。一年と少し前、ワタシが成人の儀を迎えた夜に。時は満ちた、と」
「い、言うな!」
「ねえさま」
「姉と呼ぶのはやめろ! あ、アタイは、本当は、もっと前から勘づいてたんだ」
「もっと前から?」
「オマエ、自分の置かれた立場を知ってるんだろう? 親父がなぜオマエを引き取ったか。オマエは初めから候補だったんだ。アタイと結婚させるにふさわしい、と……」
クラは、すっと立ち上がった。一歩、進み出る。
「お聞きください」
クラはイオの両肩に手を掛けた。すぐ近くからまっすぐに見つめられたイオは、ひるんだみたいに半歩、後ろに下がる。でも、クラはイオを離さない。
「く、クラ?」
「ワタシには戦う力もなければ、長としての統率力もない。ワタシはそういう男です。あるのは、ネネの里への忠誠心だけです。イオさま、どうぞネネへお戻りください。ネネにはイオさまが必要です」
「……イヤだ、と言ったら?」
「おっしゃらないでください。無理やりアナタをさらって帰るしかなくなります」
ヒュウッと、ラフがかすれた口笛を鳴らした。
「男らしいじゃん! クラさんカッケぇ」
「アンタいちいちうるさいのよ。黙って見守れないわけ?」
「いやぁ、ついつい。お姫さまも憧れるだろ、こーいうシーン」
「そ、そんなこと……別に……」
ニコルが仕切った。
「二人とも、いい? 続き、進めまーす」
「イオさま、二心を持っていることをお許しください。ネネの里に対する忠誠心と、イオさまに対する忠誠心。ワタシは、その二心を持っています。幼いころから勝手にお慕いしてきたことを、どうぞご容赦ください」
「何が言いたい?」
「愛しています。めおとになってください」
「生意気なやつ……」
イオは短剣を地面に投げ落とした。そして、クラに抱きついた。クラがそっとイオの背中に腕を回した。
「イオさま」
「浮気したら殺す」
「はい」
一夜、明けた。アタシたちはネネの里を発つことにした。
ニコルは食材の買い物に出掛けた。ラフは、暇つぶしに双剣を研ぎ始めた。アタシは、立って腕組みをしたまま、ラフを見ていた。
ラフの姿が変わった。あの赤黒い呪いの紋様の範囲が広がっている。
初めて会ったとき、紋様はメイルの胸当てから少し、はみ出す程度だった。それから二回呪いを発動させて、胴体はおへそのラインより上が、腕は肘より上が、赤黒い紋様で埋め尽くされている。
「なぁに見とれてんだ?」
「見とれてるわけじゃないわよ」
「そうかな? 熱ぅいまなざしを感じたんだけど」
「バカ。ぶっ飛ばされたい?」
「遠慮しとく」
「あのね、アンタに訊きたいことがあるの。なんで呪いを設定したの? せっかくレベルやクラスを上げても、デリートされる運命なのよ?」
そもそも、どうやって呪いなんて設定できたの? ほとんどのユーザは、その存在さえ知らないのに。
もしかして、ラフの「中の人」はピアズの開発部の人?
ラフは剣を研ぐ手を止めずにささやいた。繊細な声だ。
「呪いを設定したのは、早いとこハイエストまで来たかったからだ。それと、終了の目安がほしかったから」
「終了?」
「ほら、ピアズは、家庭内完結のハコ型と違うだろ。ゲームをクリアするって概念がない。ユーザがクラスを上げるペースに合わせて、ステージも新しく増やされる。半永久的に遊べるゲームだ」
「そうね」
「オレはちょっとした訳ありでさ……いや、というか、まあ要するに、あんまり時間に余裕がないんだ。だから、呪いのチートな能力を設定した。デリートされるまで遊ぶって決めて、ハイエストクラスに上がってきた」
「でも、呪いがなくても、そこそこ強いでしょ。使わずに乗り切ってみたらどう?」
「んー、ハイアークラスまでは、呪いを使わずに来れたんだ。ハイエストは、このステージで二つめだけど」
「前も聞いたわ」
「一つ前のステージでは、大所帯のピア・パーティと一緒に行動してた。呪いは一回しか使わずにすんだんだけど、失敗したよ。もっと使ってやるべきだった」
「どういうこと?」
「オレがもったいぶってるうちに、ピアが三人ほどハジかれちゃってね。世話になってたのに、悪ぃことした。ハイエストまで来ると、ボス戦はやっぱ苦しいよ。ぶっちゃけた話、オレはそこまでコマンド速くないから」
「嘘ばっかり」
ラフは作業を止めて、剣を置いた。両方の手のひらを広げて、手のひらを黒い目で見つめる。生身の人間みたいな仕草だと、アタシは思った。
「嘘ならいいんだけどな。長いコマンドは厳しいんだ。十代のころみたいには、速い入力ができなくなっててさ」
「え。アンタ、オッサン? 声、肉声でしょ? 若い感じだけど?」
ラフは両手をグーにして、パーにして、またグーにした。
「詮索禁止。まあ、とにかく、お姫さまの足を引っ張らないように、頑張ってみるよ」
「呪いをやられると困るわ。アンタの動きが読めなくて、バトルに入れない」
「悪ぃ。アリィキハ戦では、オレ自身、どう動くかわからなかった。コントローラに従ってくれねえの。頭を狙うっていう指示だけしかコマンドできなかった」
コントローラに従わない?
「それって……」
ヤバいんじゃないの、って言おうとしたら。
「ところで、お姫さま。お出かけ前の朝シャンとか、しないの?」
「なっ……しないわよ、バカ!」
「のぞきイベントで、貧乳のよさに目覚めたかもしれねえ。なかなか衝撃だった」
「こんのぉ!」
アタシは、ラフが脱いでほったらかしにしているブーツを拾った。ラフ目がけて投げつける。
「おっと」
ラフは、あぐらの状態から機敏にジャンプした。はだしのまま、すたすた逃げ出す。
「あははは! そんなんじゃ当たんねえよ!」
ラフの笑い声を聞きながら、アタシは立ち尽くした。
ブーツを脱いだラフの脚。初めてちゃんと見たけど、脚にもビッシリと呪いの紋様が刻まれてた。
呪いの紋様が全身をくまなく覆うとき、デリートが始まる。
「アイツ……あとどれくらい、こっちの世界にいられるんだろう?」
夜中に雨が降ったみたいだった。朝には、もう空は晴れていた。地面はびしょ濡れだった。学校まで歩く途中、あたしは何度も水たまりを踏んだ。
今朝は校門のそばに静世がいなかった。ホッとする。
中庭のバラは、地面に落ちたままだった。雨に濡れて泥まみれだ。
「やっぱり、イヤね」
ふと、かすかな声が聞こえた。吐息も聞こえた。その呼吸のリズムはせわしなくて、苦しそうで。
違う。苦しそう、じゃなくて。
あたしは忍び足で近付いた。
バラの垣根の小道を外れた場所。イトスギの木立に守られた、鳥カゴの形の藤棚。鳥カゴの中に人影がある。
あたしは息を呑んだ。足がすくんだ。
人影は二つある。もつれ合うみたいに、ぴったりと重なっている。
「いけないわ。わたし、これから……」
女の声が途切れる。
キス、している。
そして、別の女の声が応える。
「一校時、空き時間だよね、センセイ?」
「でも……」
「気持ちよさそうな顔してるよ」
「やめて」
「ねえ、センセイの部屋に行こうよ」
「だ、ダメよ、そんな……」
朝っぱらからなにやってんのよ。
明精女子学院には女子校ならではの恋愛があるっていう噂は、あたしも知ってた。でも、都市伝説だと思ってた。まさか事実だったなんて。
抱き合う二人が体勢を変えた。横顔が見えた。
出来静世と、葉鳴万知。
背の高い万知が静世に上を向かせて、キスをした。
「信じらんない」
足がふらついた。あたしは尻もちをつく。放り出したカバンが、音をたてた。
万知が素早く振り返った。静世がメガネの角度を直した。二人があたしを見た。
まずい、と思った。
あたしは立ち上がって駆け出した。一目散に、黒曜館の出入口へ。ドアに飛びつこうとして、足が止まる。
変なものが落ちている。
なに、これ?
匂いがする。血の匂い。腐った匂い。生ゴミみたいな匂い。
いきなり焦点が合った。あたしは、自分が何を見ているか理解した。
ネコの死骸。
あたしは口を押さえて後ずさった。視界の隅に別のものが映った。見たくない。でも、見てしまう。
一匹だけじゃなかったんだ。
「きゃああああっ!」
悲鳴が聞こえた。喉が痛んだ。叫んでるのはあたしだ。
匂い、匂い、匂い。その死が本物である証拠の匂い。
「風坂っ?」
万知が真っ先に駆けつけた。静世が続く。
この際、万知でも静世でも、誰でもよかった。あたしは万知の腕にすがりついた。群れになった死骸を指差す。
万知が息を呑んだ。静世はへたり込んだ。
死骸は鈴なりになっていた。モクレンの枝には、赤黒く濡れた哀れな毛むくじゃらが、いくつも、いくつも、いくつも。
万知が静世を支えて職員室まで連れていったらしい。
黒曜館の小部屋の中で一人にされたあたしは、右手の親指に噛みついた。体が震えて、止まらなかった。
あたしは目がいい。視力がいいだけじゃない。視覚による情報処理能力が異常に高い。一瞬のうちに、たくさんの細かいものが見えすぎた。
忘れたい。記憶を消したい。できない。ひとたび覚えた情報は、あたしの頭から消えることはない。あたしは特異高知能者《ギフテッド》だから。
どれくらいの時間、震えて過ごしただろう? そう長くなかったかもしれない。
ドアがノックされた。応えずにいたら、万知が顔をのぞかせた。
「邪魔するよ、風坂」
ほくろのある口元が優しく笑った。あたしはすがりつくように万知の手を取って部屋を出て、北塔を上った。
北塔はあたしだけの居場所だったのに、と途中で思った。引き返せないまま、いちばん上の天球室まで万知を連れていった。
「へえ。北塔のてっぺんにこんな場所があったとはね。風坂は空が好きなの?」
万知が腕組みすると、ブラウスをパツパツにする胸が強調された。
あたしは万知の胸のあたりばかり見て顔を見ないまま、大机に腰掛けた。
「……空じゃなくて、この場所」
「この場所って、天球室だっけ? 天球室そのものが好き?」
「そう。ここにいる限り、空は、あたしだけの、もの。それが好きなの」
万知があたしの隣に腰を下ろした。
「風坂は、黒曜館の地下に温室があることを知ってる?」
「知ってる」
「前の代の学長が気に入ってたらしいね。この北塔も同じ。でも、五年くらい前に学長が代替わりして以来、北塔も温室も忘れ去られているそうだ」
「転校してきた、ばかりなのに、詳しいのね」
「まあね。過ごしやすい、自分だけの場所がほしくて、いろいろ調べた。その結果、温室はわたしのお気に入りの場所になったんだ。といっても、出入りし始めて数日しか経ってないけどね」
「なんで、編入してきたの? こんな、学校なのに」
万知は答えず、あたしに質問で返した。
「風坂はエリートアカデミーを出てるんだろう?」
「ええ」
「風坂こそ、どうして明精女子学院に?」
「女子高生の制服、着てみたかった」
「本当?」
「半分くらい本当。家を出る口実がほしかった」
「風坂のスペックなら、大学や研究機関から招来の声がかかってたんじゃない?」
「研究には興味ないし。適当に選んだ先が、明精」
万知は髪を掻き上げた。花の匂いがした。
「進もうと思えば、いくらでも進んでいけるでしょ。でも、風坂は足踏みすることを選んだ。歩みを止めている今を、時間の無駄とは感じない?」
「進みたくもない方向に進んで、労力を費やす、そっちのほうが、無駄でしょ」
「風坂は昔からずっとこんな感じだったの? 隔離されて特異高知能者《ギフテッド》のカリキュラムを組まれてた?」
「小学生のころは、普通の教室で授業。休み時間と、体育と、給食が、楽しみだった。まわりと違ってたのは、放課後だけよ。エリートアカデミーのプレスクールに通ってた」
「そんなかわいらしい小学校時代があったなんてね。今の風坂からは、想像がつかないな」
万知は笑って、それから、わずかに表情を変えた。
「風坂は、人とコミュニケーションをとるのが難しい。面と向かって話すのが、ちょっとたどたどしいよね。そして、それだけじゃない。どこにいても、何をしてても、人とはペースが違う。でしょ?」
特異高知能者《ギフテッド》は「普通」にはなれない。
何かが、どこかが、うまく噛み合わない。
いちばん噛み合わないのは両親だ。彼らがなぜあたしに物事の順番ややり方を教え込もうとするのか、理解できなかった。あたしにはあたしの順番があって、やり方があるのに。
いつごろ気が付いたんだっけ? 普通にしてるつもりなのに、ひどく息苦しいってこと。
「あたしは、人と同じように、できない。クラスメイトのいる教室で授業を受けたり。放課後、部活したり寄り道したり。そんなの、シミュレーションゲームの中でしか体験したことがない」
「ゲーム? 好きなの?」
うなずく。
あたしがあたしのまま、普通に振る舞うことができる場所。それはゲームの中。閉ざされて創られたハコの中だけ。
「プログラムの隅から隅まで解析しながら、完全クリアするの。ランダムで出現するイベントやアイテムも、全部、計算できるから」
「計算が得意なんだ?」
「目に見える『絵』を数式に置き換えるの。定数や法則性がある絵なら全部、あたしにはわかる」
「へえ。おもしろい考え方だね。風坂が読み取るのが得意な絵って、例えば?」
「生活系のシミュレーションゲーム。ハイスコアが出るファッションコーディネート、言動、シチュエーション。いろいろ覚えた。社会勉強の代わりね。絵にして計算できる範囲なら、あたしにも世の中のことがわかる」