中庭に出てすぐに、おかしいと感じた。いつもと空気が違う。秋バラの控えめな香りに、何か、青臭さが混じっている。
「あっ……!」
垣根のバラが首を落とされていた。一つ二つじゃない。全部だ。
鋭い刃物でやられたんだろう。スパッとした切り口が、午後の太陽にさらされている。満開の花も、咲きかけたつぼみも、黒く湿った土の上に転がっている。ところどころ、踏みにじられた跡もある。
「風坂さん、どうしたの?」
静世が黒曜館から飛び出してきた。万知が続いた。さっきあげた声が、思ってたより大きかったんだ。
あたしは足下を指差した。
静世の表情の変化はわかりやすかった。口元を両手で覆って、さっと青ざめた。
万知は、すんなりした指であごをつまんだ。記憶をたどるみたいに首をかしげる。
「朝はこんなことなかったのにね。昼過ぎに真珠館から中庭を見たときは、どうだったかな? とはいっても、一階のあの部屋からは、もともと見通しがよくないか」
「そうね、わたしの部屋は中庭に面しているけれど、窓のすぐ脇にツバキの木が立っているから」
わたしの部屋? 静世の教科資料室に、二人で一緒にいたってこと? 葉鳴万知って女、ほんとに、ただの生徒?
違和感が重なる。ザワザワする。
わからない状況が次々と現れるせいで、吐き気が。
いけない。気にしちゃダメ。落ち着いて。
あたしはピンクのバラを拾った。小さな棘が手のひらを引っかいた。バラを垣根の枝の又に乗せる。もちろん、こんなことしてもバラは元には戻らない。
「不愉快」
吐き捨てると、万知が反応した。
「不愉快? 風坂は花が好きなの?」
「別に」
「好きでもない? じゃあ、どうして不愉快?」
「あんたは?」
万知は長い髪を掻き上げた。
「わたしは、そうだなあ、不愉快というのは少し違うかな。でも、謎があれば解きたくなるのが人のさがだね。犯人捜しでもする?」
あたしはかぶりを振った。
頭の中で論を組み立てる。これは会話ではない。説明、論述。数式を使わない証明。そう理解すると、あたしの舌は動き出す。
「誰がやったかってのには興味ない。なんでこんなことができるのかがわからない。わからないことをそのままにしとくのは不愉快よ」
「誰かがバラの首を切った。その行動の理由を論理的に説明されたら、どう? 風坂の不愉快は消えるの?」
「別の不愉快が起こると思うわ。こんなの、正常な人間のすることではないもの」
「なるほど。異常な現象は不愉快を生む。そういうこと?」
「持って回ったような言い方をしなくてもいい。直感的に、イヤなものはイヤなのよ」
静世が割って入った。
「風坂さん、今日は中庭を通るのをやめてもらえないかしら? この状況を学長に報告するわ。できる限り、発見した状態を保っておいたほうがいいと思うの」
四つの建物は回廊でつながってる。禁則を破って中庭を通る必然性はない、らしい。
でも、あたしは舌を出した。
「イヤよ、遠回りするなんて」
「聞き分けてもらえないかしら? そもそも、生徒には中庭に近寄らないように指導してあるのよ。花は遠くから愛でるように、と。以前、中庭でハチに刺されて、アレルギーを起こした生徒がいたの」
「だから?」
「風坂さん、あなたにも指導したはず」
「あたしはここを通りたい」
静世の口調が、急に変わった。
「では、毎日ここを通る風坂さん。この件について、何か目撃したり気付いたりしたことはない?」
「ない」
「質問を変えたほうがいいかしら。あなたに婉曲な言い方は通じないのよね。ねえ、風坂さん、バラを切ったのはあなたではないの?」
え?
この女、今、何を言ったの?
バラを切ったのは……「あなた」、つまり、あたし?
ショックがあたしの言語中枢をパンクさせた。声が、言葉が、喉から、出ない。
「あっ……!」
垣根のバラが首を落とされていた。一つ二つじゃない。全部だ。
鋭い刃物でやられたんだろう。スパッとした切り口が、午後の太陽にさらされている。満開の花も、咲きかけたつぼみも、黒く湿った土の上に転がっている。ところどころ、踏みにじられた跡もある。
「風坂さん、どうしたの?」
静世が黒曜館から飛び出してきた。万知が続いた。さっきあげた声が、思ってたより大きかったんだ。
あたしは足下を指差した。
静世の表情の変化はわかりやすかった。口元を両手で覆って、さっと青ざめた。
万知は、すんなりした指であごをつまんだ。記憶をたどるみたいに首をかしげる。
「朝はこんなことなかったのにね。昼過ぎに真珠館から中庭を見たときは、どうだったかな? とはいっても、一階のあの部屋からは、もともと見通しがよくないか」
「そうね、わたしの部屋は中庭に面しているけれど、窓のすぐ脇にツバキの木が立っているから」
わたしの部屋? 静世の教科資料室に、二人で一緒にいたってこと? 葉鳴万知って女、ほんとに、ただの生徒?
違和感が重なる。ザワザワする。
わからない状況が次々と現れるせいで、吐き気が。
いけない。気にしちゃダメ。落ち着いて。
あたしはピンクのバラを拾った。小さな棘が手のひらを引っかいた。バラを垣根の枝の又に乗せる。もちろん、こんなことしてもバラは元には戻らない。
「不愉快」
吐き捨てると、万知が反応した。
「不愉快? 風坂は花が好きなの?」
「別に」
「好きでもない? じゃあ、どうして不愉快?」
「あんたは?」
万知は長い髪を掻き上げた。
「わたしは、そうだなあ、不愉快というのは少し違うかな。でも、謎があれば解きたくなるのが人のさがだね。犯人捜しでもする?」
あたしはかぶりを振った。
頭の中で論を組み立てる。これは会話ではない。説明、論述。数式を使わない証明。そう理解すると、あたしの舌は動き出す。
「誰がやったかってのには興味ない。なんでこんなことができるのかがわからない。わからないことをそのままにしとくのは不愉快よ」
「誰かがバラの首を切った。その行動の理由を論理的に説明されたら、どう? 風坂の不愉快は消えるの?」
「別の不愉快が起こると思うわ。こんなの、正常な人間のすることではないもの」
「なるほど。異常な現象は不愉快を生む。そういうこと?」
「持って回ったような言い方をしなくてもいい。直感的に、イヤなものはイヤなのよ」
静世が割って入った。
「風坂さん、今日は中庭を通るのをやめてもらえないかしら? この状況を学長に報告するわ。できる限り、発見した状態を保っておいたほうがいいと思うの」
四つの建物は回廊でつながってる。禁則を破って中庭を通る必然性はない、らしい。
でも、あたしは舌を出した。
「イヤよ、遠回りするなんて」
「聞き分けてもらえないかしら? そもそも、生徒には中庭に近寄らないように指導してあるのよ。花は遠くから愛でるように、と。以前、中庭でハチに刺されて、アレルギーを起こした生徒がいたの」
「だから?」
「風坂さん、あなたにも指導したはず」
「あたしはここを通りたい」
静世の口調が、急に変わった。
「では、毎日ここを通る風坂さん。この件について、何か目撃したり気付いたりしたことはない?」
「ない」
「質問を変えたほうがいいかしら。あなたに婉曲な言い方は通じないのよね。ねえ、風坂さん、バラを切ったのはあなたではないの?」
え?
この女、今、何を言ったの?
バラを切ったのは……「あなた」、つまり、あたし?
ショックがあたしの言語中枢をパンクさせた。声が、言葉が、喉から、出ない。