「金がない」
講義が始まるまで音楽でも聞こうとイヤホンを耳に入れようとしたら、友人の進藤が机に突っ伏して言う。
どうせくだらないことだと止めていた手を動かし、音楽を流す。
「バイトしろよ」
「してるよ。でも、遊んだら消えていくだろ?」
顔を上げて真顔で反論された。
どうして貯めようとしないのか。
そんなに使い道があるのか。
「お前はいいよな。彼女に使ってればいいんだから。俺は飲み会でどんどん消えていく」
まだ二十歳にもなってないくせに、なにが飲み会だ。
「あー、金が欲しい」
「いい稼ぎ方法教えてあげようか?」
進藤が嘆いているのを無視していたら、二列前に座っていた女子が振り向いた。
この大学に通って二年目になるが、未だ同じ学科の人たちの名前が覚えられていない俺は、それが誰なのかわからない。
「本当?若宮さん」
進藤は体を乗り出した。
俺は興味がなくて、音楽に集中する。
「この学校にいるある人とゲームして、負けるだけでお金が貰えるの」
「……なにそれ。どういうこと?」
乗り気だったくせに、不審そうな声で質問した。
「わからない。噂で聞いただけだから」
適当なことを言ってくれる。
「そっか。でも、ゲームで負けるだけでいいんだな。そのある人って、どこにいるの?」
どうしてそう、すぐに受け入れられるんだ、進藤。
怪しいと思ったんじゃないのか。
「食堂。名前は結崎幸さん。ただ、写真がないからどんな人かは……」
「いや、それだけわかれば十分だよ。ありがとね、若宮さん」
進藤がお礼を言うと、若宮さんは前を向いた。
「よし、さっそくこの講義が終わったら行ってみようぜ」
進藤の提案に、顔を顰める。
「は?俺も?なんで」
「どうせ暇だろ。ちょっと付き合えよ」
「生憎、約束があるんだ」
すると、進藤は憎しみの籠った視線を俺に向けた。
「デートか?デートなんだな?自慢か?俺彼女いますよアピールか?」
面倒な奴だな。
彼女との約束だとは言っていないのに。
まあ、進藤の予想通りだけど。
「そのデートすっぽかして、嫌われろ。そして俺の金儲けに付き合え」
めちゃくちゃなこと言ってることに気付いているのか、こいつは。
「嫌だ」
「少しくらいいいだろ」
「しつこい」
そして進藤は講義が終わるまで、鬱陶しい顔で俺の顔を見ていた。
結局俺は負けて、彩月に行けなくなったと連絡をした。
進藤に連れられて、食堂に行く。
昼時ということもあって、人が多い。
「なあ、どうやって人探しするんだよ」
「SNS使って、結崎幸って人がどういう顔か調べたから、任せろ」
なぜドヤ顔で話しているのか、わからない。
普通、調べたらいけないと思う。
それで見つかるのもおかしい話だ。
「有名な人なんだな」
「おう。めちゃくちゃ可愛い……というか、美しかった」
それが目的になっているような気がする。
まあ、いいか。
俺には関係ない。
すると、進藤が急に立ち止まった。
「いた……」
進藤の背中越しに、進藤の視線の先にいる人を見る。
その人は窓際の隅にいた。
長い髪を後ろで一つに束ねていて、赤ふちメガネをかけている。
本を読むために目は伏せ気味になっているが、睫毛が長いせいか、眠っているように見える。
進藤は彼女に見惚れたというところか。
「行ってこいよ。美人とゲームして、負けて金が手に入る。こんないい金稼ぎ法はないだろ」
俺は早く彩月のところに行きたくて、進藤の背中を適当に押す。
「いやいや、無理!緊張して言葉出てこねえ!」
進藤は俺の背中に隠れる。
知るかよ。
「じゃあ帰る」
進藤の前から動こうとするが、どうやら服の裾を掴まれたらしい。
帰れない。
「それもやだ」
どうしたいんだよ、お前は。
「なあ、お前が行ってくれよ」
なんで俺がと思ったが、俺が行くことでさっさと終わるなら、それもいいか。
俺はまっすぐ彼女のテーブルの隣まで歩く。
俺が来たことに気付いた彼女が、視線をあげる。
大きな瞳が俺を捕まえる。
「どちら様ですか?」
これはたしかに緊張する。
だが、ここに割く時間はない。
「あなたとゲームをすればお金が貰えるという噂を聞きまして」
彼女は本を閉じ、立ち上がる。
割と身長があったみたいで、目線があまり変わらない。
「本当ですか?最近楽しいゲームができていなくて、退屈していたんです。では、なんのゲームをしますか?オセロ?ポーカー?それとも、チェス?」
本当にゲームが好きなのか、口を挟む隙がない。
彼女の勢いから逃げるように後退りをしていたら、進藤にぶつかった。
そうだ、お前がゲームしたいって言ったんだ。
俺は目で助けろと訴えるが、進藤はまるで気付かない。
「進藤。どのゲームにするかって」
進藤を呼ぶと、彼女の興味が俺から進藤に移った。
「あなたが私とゲームを?」
進藤は黙って頷く。
緊張しすぎだろ。
しかし彼女は進藤と俺の顔を交互に見る。
そして俺の顔を見て止まった。
「あなたはしてくれないのですか?」
「忙しいので」
「そうですか……残念です。いい顔が見れると思ったのに」
いい顔って、どういう意味だ?
「進藤さん、でしたね。こちらへどうぞ」
進藤は彼女の前の席に案内される。
彼女も椅子に座り、解放されたと思ったのに、今度は彼女が俺を捕まえていた。
彼女は俺を見上げて微笑む。
「ぜひ、見ていってください」
忙しいって言っただろうが。
だが、進藤が助けを求めるような目で俺を見てきたせいで、逃げにくくなった。
俺は進藤の隣に座る。
「私は、結崎幸といいます」
「進藤拓海です」
進藤と会話をしていればいいものを、結崎さんは俺のほうを見た。
「……瀬戸です」
ため息混じりに答えると、結崎さんは満足そうに進藤に視線を戻した。
俺の何がそんなに気に入ったのか、全く理解できない。
「では、進藤さん。どのゲームで遊びますか?」
そう言いながら鞄から出したのはトランプだった。
さっき結崎さんが選択肢として並べたものからして、できるのはポーカーか。
「俺、ポーカーの詳しいルール知らない……」
進藤は恥ずかしそうに俯く。
まあ、普通の大学生が賭け事なんかしないから、無理ない。
「では……三人で、七並べでもしますか」
名案と言わんばかりに俺を見た。
だから、俺を巻き込まないでくれ。
しかし隣からは変わらず助けてくれと心の声が聞こえてきそうなくらい、見つめられる。
「……七並べ、ですか」
「はい!頭脳戦です。お嫌いですか?」
いい笑顔でトランプをシャッフルする。
その手際の良さが、彼女のゲーム回数を物語っているように思える。
無邪気にゲームを楽しみ、負けたくないという子供のような人なのか。
「子供の遊びだなんて、バカにしてはいけません。頭を使ってみると、案外楽しいのです」
トランプが配られると、俺たちは自分の目の前にある手札を見る。
七のカードを机に出す。
「進藤さんが一番多く出されましたので、そこから時計回りにいきましょう」
進藤がカードを出すと、俺の番だ。
こんなことに頭を使う気はない。
さっさと終わらせてやる。
順調にゲームが進んでいた。
だが、ある程度すると、俺と進藤がパスをする回数が増えだした。
結崎さんが止めているのだ。
結崎さんはゲームを始めたとき以上に、幸せそうに笑っている。
「バカにしてたから、そんなことになるんですよ」
わざとだな。
この状況を楽しむなんて、最低な性格だ。
そして結崎さんの一抜けで七並べは終わった。
「……つまらなかったです」
机の上に並べられたトランプを、わざわざぐしゃぐしゃにして集めながら言った。
いや、あれだけ他人をバカにしておいて、楽しくなかっただなんてよく言えたな。
「進藤さんは真剣にやってくれたので」
トランプを片すと、結崎さんは財布を取りだした。
そこから百円玉を取り出す。
「これくらいの価値はありました」
「……百円……」
なんとも言えない表情で目の前の百円玉を見つめている。
しかし、そんなことはどうでもいい。
結崎さんは俺のほうを睨むように見ている。
「瀬戸さんとは、もっと楽しいゲームができると思います」
つまり、俺とのゲームは一円にもならなかった、と。
まあ構わないけど。
「しませんよ。俺、お金いらないし」
席を立つが、結崎さんが帰らしてくれない。
直接俺を引き止めているわけではない。
ただ、じっと俺の顔を見上げている。
「悠吾くん!」
俺が動けないでいたら、彩月の声がした。
彩月は俺のそばまで走ってきて、腕にしがみついた。
「やっぱり会いたくなっちゃって……用事、終わった?」
彩月の上目遣いに、少し癒される。
「うん、終わったよ」
「じゃあ私と」
「瀬戸さん、そちらは?」
結崎さんが彩月に被せて話した。
彩月は不服そうに頬をふくらませる。
それを可愛いと思っている場合ではない。
「悠吾くんの彼女の、富谷彩月。あなたは、悠吾くんのなに?」
「少しゲームをした仲です。結崎幸です」
結崎さんの作り笑顔が怖い。
俺の腕を掴んでいる彩月の力が強まる。
結崎さんの挑発に乗ったか。
だが、彩月は俺を見ている。
「私とのデートなしにして、女の人とゲームしてたの?」
「やらされたんだよ。本当に結崎さんとゲームしたかったのは、進藤」
彩月が進藤を見ると、進藤は照れ笑いを浮かべた。
気持ち悪い笑い方をするなよ。
「女の人とゲームとか緊張するから、付き合ってもらったんだ。ごめんね、彩月ちゃん」
「もう、拓海くん!悠吾くん巻き込まないでよ」
進藤が適当に謝り、彩月が進藤の肩を叩いている。
その様子を、結崎さんは冷たい目で見ていた。
まるで、心の中を見透かすような目で、俺は怖いと思ってしまった。
「富谷さん」
結崎さんに呼ばれた彩月は、結崎さんを睨みつける。
いくら嫌いでも、そこまで敵意を剥き出しにしなくてもいいだろう。
「ゲームをしましょう」
獲物を見つけたような表情に、背筋が凍る。
結崎さんは集めたトランプを静かにシャッフルしている。
「な、なんで私が」
彩月も怯んでいる。
「ずる賢い人とのゲームは楽しくなりそうだと思いまして。あと、瀬戸さんともう一度遊びたいです」
だから、どうしてそこまで俺にこだわる?
「結崎さん、俺は?」
仲間外れにされたのが嫌だったのか、進藤が自分を指さしている。
「進藤さんは大丈夫です」
あまりにきっぱりと言うから、面白くて笑いが零れた。
俺は同情の意を込めて、進藤の肩に手を置く。
「拓海くんを仲間外れにするなんて、ひどい」
だけど、彩月は結崎さんに文句を言った。
なんか面白くない。
「そんな。進藤さんは弱いので……面白くないのです」
そんなにはっきり言わなくてもいいだろうに。
「もっと優しく言えないの?」
「いいって、彩月ちゃん。弱いのは事実だから」
進藤が彩月を宥める。
結崎さんになにかを言うことはやめたが、文句を言い足りないという顔をしている。
「……富谷さんは、瀬戸さんとお付き合いしているんですよね?」
結崎さんは不思議そうに首を傾げる。
「そうだけど、なに?悠吾くん、奪う気?」
「いえ……では、進藤さんとはどのような関係ですか?」
質問の意味がわからない。
この人は、何を言っているんだ?
「……友達」
彩月は戸惑いながら答えた。
結崎さんは俺たちをじっくりと眺めている。
「富谷さん、やはりゲームをしましょう。進藤さんも一緒に、もう一度七並べで」
結崎さんはカードを配り始める。
四等分ということは、俺も含まれているということか。
彩月は進藤の隣に座り、俺は結崎さんの隣に座った。
今度は俺が多く七を出したから、俺からのスタートでゲームが始まる。
また文句を言われるのは面倒だから、さっきより真剣にゲームに向き合ってみる。
すると、進藤と彩月がパスと言い始めた。
俺と結崎さんはお互いに手持ちのカードを予想しながら場に出していく。
結果は、一枚差で結崎さんの勝ち。
二位は俺、三位が彩月。
「また負けた……」
進藤が残った三枚を適当に机に置き、突っ伏した。
「結崎さんも悠吾くんも、意地悪だったよね」
そんな進藤を、彩月が励ます。
本当に優しくていい子だ。
それに比べ、俺は結崎さんにうるさく言われたくないからと、本気になりすぎた。
「……瀬戸さんとはいい勝負ができましたが……つまらなかった」
またか。
結崎さんは俺を見てくる。
「もう一度、違うゲームで」
「やりません。そもそも、何が目的なんですか」
ゲームをして、負ければ報酬がもらえるだなんて、おかしな話だ。
ただの負けず嫌いか?
「……悔しそうな顔が、見たいんです」
「は?」
「幸せそうにしている人の、苦しんでいる顔が好きなんです」
ちょっと何言ってるか分からない。
だけど、結崎さんは本気で言っているらしい。
「最低……」
彩月が小さな声でこぼした。
「私が悠吾くんといるところを見て、羨ましくてこんなことしたんだ?」
さっきまでとは違う、軽蔑するような目だ。
だが、結崎さんは表情を崩さない。
「違います。瀬戸さんという素敵な恋人がいながら、他にもお付き合いしている方がいるようなので……そんな人が不幸に染まったらどうなるのかなって」
その場が静寂に支配される。
待て。
つまり、彩月が浮気をしていると?
「……適当なこと、言わないでもらえますか」
「そ、そうだよ!私、悠吾くんとしか付き合ってないから!」
俺の言葉に、彩月が加えてくる。
「あまり大きな声で否定されると、図星だったのではと思ってしまいます」
結崎さんの声のトーンが低いように感じる。
俺たちが戸惑っているのに対して、結崎さんはトランプをかき集めている。
「結崎さん、どうしてそう思ったんですか?」
「答えたら、ゲームしてくれますか?」
この人はどれだけ俺が苦しむ姿を見たいんだ。
まあ、彩月が浮気をしていると思った根拠を聞くためには頷くしかないか。
「……わかりました。やりますから、教えてください」
「待って!」
折角人が覚悟して首を縦に振ったのに、彩月に遮られてしまった。
彩月は机を叩いて立ち上がった。
「悠吾くん、この人の言葉を信じるの?私が好きなのは、悠吾くんだけなんだよ?」
それはわかっているし、そうだと信じたい。
だけど、なんとなく、聞いておいて損はないと思ってしまった。