【山科那月(やましな・なつき)】


 今思えば、高校に入学したその日から私は彼のことが好きだったのだと思う。

 6年前の4月7日。
 頭の中の地図はまだ白紙の校舎、見分けのつかない同じ制服を着た新入生、スーツを着ているからそうだとわかる教師――。
 そういった「名前のない」ものばかりに囲まれ泳いだ私の目を引きつけた人。

 それが彼――品川夏生(しながわ・なつき)だった。

「シナ」と「ナツキ」――偶然似た名前を持つ私たち。

 もちろん体育館の前の廊下で一列に粛々と並んでいた私は、まだその偶然さえも知らなかった。
 だけれど真っ白で無防備な私の心の中に、その男子新入生は飛び込んできた。まるで北海道の平原を跳ぶ野生のキタキツネのように。
 特別美男子ってわけでも、身長が高いわけでも、あるいはその他何か大きな特徴があったわけでもない。
 だけど、つい見とれてしまう。
 これが運命だとか一目惚れとかいうやつなんだ、とはまだその時は自覚していなかった。

 シート敷きの体育館で入学式が行われている間も、私はじっと彼の後頭部を見つめていた。ちょっとくせ毛の短く整えられた黒髪。太い首筋。糊のついたままの学生服。
 校長の式辞よりも、吹奏楽部やチアリーディング部の歓迎パフォーマンスよりも、私は品川の後ろ姿に夢中になっていた。きっとそこで大地震が起きたとしても、私は彼だけを見つめていたことだろう。