F女子学院に入学した頃の私は、それはそれは世間知らずのお嬢さんでした。

 父は繊維系の事業を興しており、母は家を守り抜くいわゆる賢母。

 上には兄が二人いて、そのどちらか、あるいは両方が父の事業を継ぐことは既定路線でした。

 洋館風の家を利便性のよい土地に建て、そこに家族みんな仲良く、何一つ不自由を強いられず暮らす――つまり、絵に描いたような平和で温かい家庭で育ったのです。

 私自身の成績はさほどよかったわけでもないのですが、地元で良家の女子が通う高校・F女子学院に届く程度の学力はありました。大学への進学を目指すようなタイプの学校ではなく、いわゆる花嫁修業の一貫のような、家政学と女性としての品格の修得を第一目標として掲げるような学校です。

 もちろん当時でも大学へ進学する才媛は確かに存在しました。ですが、今のように女性でも大学へ進学し自立することが当たり前の時代ではありません。

 戦後間もない日本において、女子が学問を身につけることは、戦前ほどではないにせよ、歓迎されてはいませんでしたから、家族も私自身もF女子学院に進学することになんら不満はありませんでした。

 新聞を読む習慣のある子は学内にはほとんどいませんでしたし、私もそういうお嬢さんのひとりでした。新聞はお花をさっと包む時のために置いてある紙だという認識でした。

 だから、ベトナムで戦争が起こっていることはかろうじて知っているにせよ、それが日本にどのような影響をいま現在与えているのかはちっとも知りませんでした。