日曜日の夕方の高校。
 もう帰宅したのだろうか、部活をする生徒の姿も見えない。

 まだ仕事をしている教員がいるのか、門は少しだけ開けられていた。
 その隙間に身を滑り込ませる。
 門扉の影が長く伸びていて、その影の向かう方向に向かって私は足を進める。
 寒かった渡り廊下。
 キタキツネが跳躍したように感じた体育館。
 思い出をなぞるように私はゆっくりと歩いてみる。

 生徒昇降口まで進んでから、ほんの少しだけ躊躇したが、本校舎の中にまで入ってみることにした。もし何か咎められたら、それはその時だ。別に、悪いことをしようとしているわけではないのだし。

 懐かしい1年生の教室。
 日々を過ごしている人間はあの時とまるっきり違う集団のはずなのに、なぜか親しみを覚える匂いがした。
 誰もいない教室は大人になってもやはりドキドキするものだ。大勢の人間がいた痕跡だけが残る空間は、霊的な雰囲気さえある。

 窓からグラウンドが見える。
 野球部のための高いフェンスや、陸上部のトラック、サッカー部がしまい忘れたボール。
 日は沈みかけていた。薄紫に染まった空には、白く満月が浮かんでいる。こんな時間まで校舎で過ごしたことも高校生の頃あったっけ。

 手すりに体重を掛けてグラウンドを眺めていると、もしも夏生とリア充になれていたら、こんな風にして運動部員達を見下ろすこともあったのかもしれないなあ、なんて思いが胸の中に沸きおこった。

 もしも夏生と――。

 そんな仮定を高校生の頃なんどしたことだろう。いくら「もしも」を重ねても現実にはならなかったのに。自嘲めいた笑いが口に浮かんだ。

 もしも夏生と、水族館へ行けたら。
 きっと私はイルカのショーなんかそっちのけで夏生の横顔を見つめただろう。

 もしも夏生と、ライブへ行けたら。
 きっと私は好きな曲を好きな男の子と共有できた喜びで心臓がはち切れてしまっただろう。

 もしも夏生と、二人並んで秋の紅葉の中を歩けたなら。
 きっと私はその手をそっと握り、紅葉に負けないほど顔を真っ赤に染めただろう。

 もしも夏生と、クリスマスの夜にデートできたなら。
 きっと私は今までにないほど思いっきりオシャレをして、慣れないメイクもして、とびきりのプレゼントを彼のために用意しただろう。

 もしも――。

 もしも夏生が、高校3年の冬、受験会場への交通費を節約するために長距離バスを選ばなければ。
 もしも夏生が乗ったバス会社が、労働基準法を遵守していたなら。
 もしも夏生が乗ったバスを運転した男性が、十分な睡眠時間を取っていたなら。