「どっちも嫌だって言ったら、じゃあ草壁さんにもこのお店にも、今後一切関わらないならこのお店のこと黙っててやるって言われて……」
 そこまで言うと、草壁さんは俯きながら頭を抱えた。
 いったいどんな顔をしているのか想像がつかなくて、私はひたすらしばしの沈黙を我慢する。
 草壁さんは深いため息をついている。
 そうですよね、私のせいでこんな面倒なことに巻き込まれて、ダルいですよね。
 話さなければよかった……と少し後悔していると、草壁さんはキッと私の顔を見つめた。
 きれいなアーモンド形の瞳が、一直線に私を見つめている。
 なにか言われるのが怖くて、私はつい先に言葉を発してしまう。
「すみません、私もうこのお店には来ません。迷惑かけ」
「花井、この店好きか」
「え……」
「居心地いいか、ここは」
 私の話を遮りそう言われて、私は思わず言葉を失う。
 ここで過ごした日々が、ぽわんぽわんと、優しい光となって頭の中に浮かんでくる。
 お腹を空かせていた私を拾ってくれた草壁さん。
 連れていかれたのは、まるで深夜の植物館みたいなレストランだった。
 ただ繰り返されるだけの日々に、突然絵本みたいな展開がやってきて。
 
 一緒に畑で野菜を植えたこと。
 久々に触った土は柔らかくて温かくて驚いた。
 会社では一切話したことなかった草壁さんの手料理を食べたこと。
 おしゃれで美味しくて、涙が出そうになった。
 ピンチヒッターとしてカレーを初めて作ったこと。
 お客さんが美味しいと言って食べてくれることが嬉しかった。
 茎田葵さんに出会えたこと。
 葵さんにありがとうと言われたとき、自分を認めてもらえた気がした。
 作る楽しさを教えてもらったこと。
 新しい世界を知れて、ワクワクした。食べることと同じくらい幸せだった。
 ここのお客さんに、当たり前のように受け入れてもらえたこと。
 誰にも否定されなかった。
 草壁さんは不愛想だけど、優しくて強くて、信じられないくらい優しい料理を作れる人だった。

 あのときあの場所で草壁さんと出会わなければ、私はどんな毎日を過ごしていただろう。
 また小学生時代のあのときみたいに、景色を定点カメラで見送るような人生だっただろうか。
 ずっと俯瞰で世界を見たまま、自分は“そこ”には入れないような気持ちで、生きていただろうか。