どこからか誰かの視線を感じ取ったけれど、そのときはそれが誰なのか分からなかった。


 
 草壁さんのお陰で無事プレゼンも終わり、今週も平和な金曜日がやってきた。
 そしてお店に着いた今、私はなぜかざるを持たされて、お店の裏にある畑に立っている。
「今日はピザを作る。よって、庭からピーマンを収穫したい」
「あの……、私、自然と手伝わされてませんか、最近」
「手伝いじゃない。都会ではなかなかできない農業体験だ」
 そんなことを言いくるめられながら、私はピーマンの収穫に熱中した。
 お店に売っているピーマンはどれも形が整っていてきれいだけど、畑にあるピーマンはすごく大きかったり、細長かったり、丸かったりする。
 不揃いで不格好だけど、でもすごく張りがあってツヤツヤとしていて美味しそうだ。
 それに、こんな風に土を触る機会なんて日常だとない。
 柔らかな土を触っていると、どうしてこんなに日々のノイズが消え去るんだろう。
「草壁さん、一昨日はデータの復元本当にありがとうございました」
「あんなの誰でもできるから、花井も覚えておくといい」
 草壁さんの不器用な言葉に少し笑みをこぼしながら、私は話を続けた。
「あの草壁さんと、今こうして隣でピーマン採ってるなんて未だに不思議です」
「俺もだよ。ここは会社のやつには誰にも教える気はなかったからな」
「えっ、そうだったんですか」
 私が驚きの声をあげたあとに、なんだか知ってしまったことを申し訳なく思っていると、それを察したのか草壁さんは「まあひとりくらいなら」と付け足した。
 元々お客さんは皆マンションの住人だし、私だけが外部のお客さんだ。
 それなのに、このお店にこんなに頻繁に訪れていいのか急に不安になってきた。
 ピーマンの柔らかなフォルムを手の平で感じながら、暫し今までのことを思い出す。
 彼氏に振られて、仕事も上手くいかなくて、休日はやることがなくて、自分のためになんかしようとか、誰かのために役に立ちたいとか、そんなこと思わずにここ数年生きていた。
 ただぼうっと働いて、過ぎていくだけの日々だった。
 だけどこのお店に来てから、色んな人と出会って、良い感情も悪い感情も忙しなく波打っている。
 ずっと壁打ちみたいだった日々が、このお店に出会って変わったんだ。
 だからもう、私にとってこのお店は……。