「まあ今日は一品料理だな、さすがに」
 ぽりぽりと頭をかいて、当たり前のように調理を始める草壁さんを見て、私は押し黙ってしまう。
 誰かのために、という思いでこのお店は成り立っているんだ。
 ……すごい。草壁さんは、本当にすごい。
 私も草壁さんのように、仕事ができたらいいのに。
 私はパチンと両頬を叩いて、また眠りかけている草壁さんの腕を掴んだ。そして、包丁を静かに取り上げる。
「……草壁さん、指示をください! 今日は私が、このお店を手伝います!」
「いや、無理だろ……。気持ちだけ受け取るよ」
「今日はなにをつくるんですか! さあ、レシピを教えてください!」
 鼻息荒く草壁さんにそう言いよると、彼はじと目で私を見つめたまま、無言になってしまった。
 この前のアボカドの切り方を見て、相当不安な気持ちにさせてしまったようだ。
 草壁さんはとうとう頭を抱えて唸り始めた。そんなにか……そんなに不安ですか草壁さん……。
 悲しい気持ちで草壁さんを見つめていると、彼はなにか閃いたように突然指を鳴らす。
「そうだ、カレーだ。煮込み料理なら切るのが下手でも大丈夫だろう」
「本当はなにをつくる予定だったんですか」
「トマトを使ったオムレツを考えていたがそんな高度なことは任せられない。カレーにしよう」
「さっきから結構ひどいこと言ってるの分かってます?」
「血みどろ料理を出すわけにはいかないからな。……悪いが、頼めると嬉しい」
 あの超絶エリートな草壁さんにお願いごとをされるなんて、すっごく貴重な体験だ。
 珍しく弱気な草壁さんの表情に、思わず胸がキュンとしてしまう。
 ニヤけそうになった表情を見られないように、私はすぐに顔をそらす。
 まな板には、オムレツのソースになろうとしていたトマトがある。
「トマトは一気にフードプロセッサーにかけてしまおう。たしかこの棚に入ってるから今出す」
 うしろから草壁さんが手を差し出して、私の頭上にある棚の扉を開けた。
 そして、重たそうなフードプロセッサーを台の上におろした。
 至近距離なことに、いちいちドキドキしてしまう自分の耐性のなさに呆れていると、草壁さんとバチッと目が合った。
「花井、なんか今日元気ないな」
「えっ、な、なんでですか」
「たまたま見たけど、祐川にぐちぐち言われてただろ。あいつ俺の同期だからさ、なにかあったら言えよ」