「葵さんは、ここの常連になってどのくらいなんですか……?」
「一年前! 丁度事務所に所属して、お仕事貰えるようになって、隣のマンションに越してきたの」
「よくこのお店にひとりで入る勇気ありましたね……。一見なんのお店か分からないのに」
 そう言うと、葵さんはうーん、と昔を懐かしむように目を細めた。
 とそのとき、草壁さんが『やべ』という声を小さくあげた。
 会話を一旦停止して、頭を抱えた草壁さんのほうをふたりで見つめる。
「まさかのバターが品切れていた……」
「あ! 私買いにいきますよ」
 すかさず手を挙げてそう答えると、草壁さんが『それは流石にいい』と申し訳なさそうに首を横に振った。
「いや、私、自分の食欲のために行くだけなんで、全然遠慮しないでください」
「そんな真っ直ぐな目できるんだな、花井」
「はい! 駅前のスーパーまで行ってきます!」
 そう言って、財布を取り出して店を出ようとすると、葵さんが私の手を握った。
 すっと立ち上がった葵さんは、モデルさんなだけあって、私より頭ひとつ分大きい。
 頭に疑問符を浮かべながら葵さんを見つめていると、彼女は当然のように囁いた。
「この時間、ナンパ多くて危ないから、一緒に行くよ」
「え、その理論ですと、葵さんと一緒のほうが危ないのでは……」
「丁度タバコも買いたかったし。ね?」
 なんだかかっこいい葵さんに押されて、私は思わずこくんと頷く。
 草壁さんは申し訳なさそうにしていたが、その間にデザートをつくってくれることを約束させて、私たちはお店を出た。



 深夜になっても、三茶は明るくにぎやかだ。
 暗い住宅街を抜けて、三角地帯の方面へ戻ってくると、テラス席で楽しそうに飲む若者の声が聞こえてきた。
「あ、このちゃんぽん屋さん、すっごく美味しいんですよね。行ったことあります!?」
「ううん、気になってたけどまだないや。今度行ってみようかな。菜乃ちゃんもこの辺に住んでるんだね」
「私は上馬の方なんですけど……」
 興奮気味に話しかけてから、私は少し恥ずかしくなって俯く。
 初対面で、しかもモデルの葵さんに、いきなりグルメ話を振ってしまった。
「菜乃ちゃんは、本当に食べることが大好きなんだね。食品会社向いてると思う」
「いやいや、ただの大食いなだけで……」
「実は、まだまだ東京歴浅いからさ。色んなお店教えてね」