「来るのは、隣のマンションの住人だけだ。俺も普段はそっちに住んでるから」
「えっ、そうなんですか! なるほど……」
 隣のマンションは中々に大きく、家賃も高そうな物件だ。
 草壁さんほどの役職になれば、余裕で住めるレベルなのだろうけれど……。
 意外にも草壁さんはプライベートなことをサラッと教えてくれるので、私はその度に驚いてしまう。
 とりとめのない話をしているうちに、草壁さんは手際よく食材を切り始めた。
 手に持っているのは……大きめサイズのアボカドだった。
「私アボカド大好きなんですけど、いっつも上手に皮が剥けないんですよね」
「なんでだよ、簡単だろ」
「ぐちゃってなっちゃうんですよ! 唯一作れる料理であるサラダに入れたいんですけど、結局いつもスプーンでほじくっちゃってます……」
 私が残念そうにそうつぶやくと、草壁さんは数秒、間を置いてから、私を手招きした。
「こっちおいで、花井」
 ただのそんな仕草がかっこよすぎて、うっかりときめいてしまいそうになった。危ない、危ない……。
 私はどんと拳で心臓の真上を一度叩いてから、草壁さんにいるカウンターの中へと入った。
 仕事では一切関わりのない上司なのに、私今、アボカドの剥き方の講習を受けているんだ……。なんだかシュールな絵面だ。
「まずアボカドを寝かせて、一周させながら皮を切る。パカッと開けて、種に包丁の顎を刺して種を取って」
「先生すみません、一周させるところからミスりました」
「なんでそんな勢いよく切れ目が行き違ってんだよ。逆に器用だな」
「す、すみません……」
 ものすごく深刻そうに謝ると、草壁さんが私の青ざめた顔を見て真顔で吹き出した。
 それから、私の手から無残な姿になったアボカドを取ると、くるくると器用に皮を切っていく。
「こうやって表面に薄く切れ目を入れるとバナナみたいに剥けんだよ」
「さっき笑いましたよね」
「あんなゾンビ顔で謝られたら笑うだろ」
「ゾンビ顔」
 薄く綺麗にスライスされていくアボカドに、レモン汁を塗る作業だけ任された。
 どうやらこれで色止めができ、美しい緑が保たれるのだとか。
 草壁さんの料理は、味も美味しいけれど、見た目がとにかく美しいんだ。
 あの料理ができるまでに、きっとこれ以上の沢山の下準備があるんだろう。