ただし、一度の襲撃も受けなかったかといえば、そうではない。

「見上げた根性ですね。弩が一組なくなっていると、狩人が首をかしげていましたが、あなたが犯人でしたか」

 ふぶきが真珠《モルヴァリッド》に命じて捕らえさせたのは、右腕を包帯でぐるぐる巻きにした赤毛の少年、ちしおだった。片腕だけで弩に矢を番える不自由そうな音と気配に、あらしがまず勘付き、ゆめさきが飛んでいって調べ、ちしおを発見したのだ。

 ちしおは左腕を背中に回して縛られ、両足にも縄を掛けられて、為す術もなく転がっている。男たちで使うことになっている、大きいほうのユルタの中である。ちしおは投げやりな調子で言った。

「ぼんやり眺めてないで、さっさと殺せよ。そうしない限り、どこまででも、あんたたちを追い掛けていくよ」

 もちづきが、諭すように柔らかい声を出した。
「どこまででも、ということはあるまい。聞いたところによると、ちしおどのの目的は、あらしの鱗と毛だと。私たちは間もなく、あらしと別れることになる。そうすれば、ちしおどのは目的を失うだろう。私たちに関わる必要もなくなるのだ」

「で、時間切れまで、こうして縛り上げてようってわけ? 言っとくけど、目的と命令は絶対なんだ。遂行できないなら、その場で死ぬだけなんだよね。やけっぱちになって、あんたたちを道連れにするかもしれないよ」

 ちしおは憎々しげに吐き捨てながら、さっきから、ゆめさきばかりをにらんでいる。
 このまなざしをどこかで見たと、ゆめさきは繰り返し考えていた。そしてようやく、ゆめさきは思い至った。ちしおのすぐそばに膝を突き、彼の黄金色の目をのぞき込む。

「ちしお、正直に答えてくれる? あなたは西方辺境伯領の出身でしょう?」
 にらむだけだった目が、怯えるように見張られた。それが答えだった。ゆめさきはいっぺんに事情を察した。
「やっぱりそうなのね。あの内乱の傷痕を、あなたも抱えているんだわ」

 ふぶきが、ちしおを見やって眉をひそめた。
「西方辺境伯の一件では、少ない軍勢の割に非常に苛烈な抵抗があったそうですね。辺境伯は、戦闘に特化した根ざしものの持ち主を、十数年かけて集めていたとか。ちしおさんも、その関係者だと?」

 きらぼしが口を挟んだ。
「事情が読めねぇんだが。最近、あさぎり国で内乱か謀反でも起こったのか?」

 ゆめさきは目を伏せた。
「父上が事実を十分に公表しなかったから、みつるぎ国には知られていないのね。体裁の上では、西方辺境伯が謀反を企てたことになってる。でも実際は、言ってしまえば、一種のお家騒動よ。父上が絡んでいたから、大きな事件になってしまったの」

 どこまで言ったものかと、ゆめさきは迷った。が、きらぼしは、あけすけな表現で事実を言い当ててしまった。
「国王陛下の隠し子が西方辺境伯領にいたってところか。伯爵家の子どもが、実はご落胤だった? その子が二つの根ざしものを持ってるから、これは間違いなく王族の子だと発覚した。つまり、陛下が伯爵夫人を食っちまったってことだ」

 もちづきが仮面の額を押さえ、きらぼしをたしなめた。ふぶきも気まずそうに口を結んでいる。あらしが小首をかしげ、ちしおがゆめさきをにらみ、ゆめさきは肩を落としてうなずいた。

「あの一件は、父上が全面的に悪かったの。母上が赤ん坊のわたしにかまってばかりだったころ、父上は行幸先で接待をしてくれた伯爵夫人に手を出した。しかも、伯爵夫人が生んだ子を宮廷に引き取りたいと、十数年間ずっと圧力をかけていたらしくて」

 きらぼしは鼻で笑い、吐き捨てた。
「よくある話だ」
「そうね。父上の身勝手のせいで、たくさんの人が苦しんだの。ちしお、あなたとどこで会ったか、やっと思い出したわ。あの一件に関わる孤児として王都の教会に引き取られたうちの一人ね」

 ちしおは唇を噛み、投げ付けるように言葉を放った。
「王さまとやらが攻め込んでくるまで、伯爵領はそれなりに平和だったよ。みんな、きよのことが好きだった。きよは伯爵夫妻の娘として育てられて、みんなもそれでいいと思ってた。王さまのほうこそ間違ってるって、みんな考えてた」

 西方辺境伯は、ゆめさきの母方の親族に連なる名家である。彼の預かる一帯は肥沃な土地柄で、あさぎり国内でも特に豊かな地方として知られていた。
 ちしおは、きよみずの幼なじみだった。ちしおの両親は、きよみずの父が国王の圧力に対抗するために雇った傭兵だった。ちしおは両親から、何をさておいても伯爵令嬢きよみずを守るよう教え込まれていた。

 二年前、西方辺境伯は国王による鎮圧軍の前に敗れた。伯爵家の屋敷には火が掛けられ、きよみずだけは保護されたものの、伯爵家に仕える多くの者は炎の中で死んでいった。

 という、一連の事情をみつるぎ国の二人に説明したのは、ちしおだった。幾度も他人に語った話だったのかもしれない。整然とした話しぶりには感情がこもらず、ともすればひどく投げやりだった。

 ユルタの天井にわだかまる闇が、不意に、ひとひら剥がれて舞い降りた。闇はゆらめきながら、次第にハッキリとした色と形を持ち始める。
 長い金髪と薄紅色の目を持つ少女が、そこに立っていた。少女は美しい顔を冷たい怒りにこわばらせて、一同を見据える。

「きよみず」
 妹の名をつぶやくゆめさきに、魂だけの姿で現れた異母姉妹のきよみずは、憎々しげな目で微笑みかけた。

〈おねえさま、よくぞご無事で。ちしおはこんな大怪我をしたというのに、おねえさまったら、何て悪運がお強いのかしら? その図太さ、さすが国王陛下の愛娘ですわね〉