ふぶきは急にまじめな目をして、ゆめさきを見つめた。またお説教だろうかと、ゆめさきは思ったが、ふぶきはため息をついただけで顔を背けた。

「ぼくは基本的にユルタの中で作業をしますから、近寄らないでください。特に、あらしを来させないでください。さわったら危険な道具もあります」
「わかった。わたし、きらぼしたちの様子を見てくるわ」

「彼らは療養中ですよ。無理をさせないようにしてくださいね」
「わかってるってば」

 ふぶきは世話焼きで口うるさい。昔はしょっちゅう一緒にいたから、いつもふぶきの小言を聞かされていた。懐かしい、と思う。旅に出てからの毎日は、昔のようにこうして、ふぶきにあれこれ注意され、呆れられ、ため息をつかれている。

 ゆめさきが結婚したら、きっと、ふぶきとはいくらか疎遠になる。仕方のないことだ。ふぶきもいずれ誰かと結ばれ、彼女のためだけに特別な何かを作ったり、掛け値のない笑顔を見せたりするのだろう。
 少し悔しい気がする。すみれから、ふぶきに恋をしていると打ち明けられたときも、実は少し悔しかった。すみれのいちばん好きな人が、ゆめさきではないとわかったから。

 子どもじみた独占欲だ。ゆめさきは心のどこかで、すべての人に誰よりも愛されたいと望んでいる。そんなことができるはずもないのに。
 誰かに愛してもらうなら、同じだけの愛をその人に返すべきだ。だから、いちばん深く激しく愛してくれる人は、一人でなくてはならない。

 ゆめさきがその愛を求めるべき相手は、すでに決定している。ゆめさきの夫となる人は、みつるぎ国の皇子だ。一連なりの詩となった彼の真名は知っている。星月の輝く群青色の夜空を思わせる名だった。

 むろん、ゆめさきはすでに彼と出会っている。
 夫となるべき人だと意識すれば、どうしても心が惹かれてしまう。でも、彼は真名を名乗ってくれず、真相がわからない。本当の名を呼んでみたくなる一方で、彼が返事をしてくれなかったらと思うと、不安が募る。

 この感情は恋かもしれない。
 ただの疑念や不安ではなくて、期待や理想でもなくて、ふわふわとしてつかみづらい。自分ばかりが彼を想っているのではないかと考えると、信じられないほどに怖くなって、立ちすくんでしまう。

 彼の黒髪に触れたいと思う瞬間がある。黒い瞳に見つめられれば、喜びと苦しみが同時に胸に湧き起こって、鼓動が速くなる。
 知らない感情に染まっていく自分が不思議で、怖い。

 おとぎ話のお姫さまは、好きになった人と結婚できるけれど、わたしはどうなの?
 いや、やめよう。すべては婚礼の日に明かされること。

 ゆめさきは、あらしを伴って、ふぶきの祖父母の家を後にした。村人と挨拶したり雑談したりしながら、ひよどり村の診療所を目指す。
 薬草に並々ならぬ知識を持つむらくも族の老人が、ひよどり村の医者だった。彼によると、もちづきは目覚めているが面会謝絶、ちしおは熱が引かずに眠っているとのことだ。

「きらぼしはどうしてるの?」
 ゆめさきが問うた瞬間、診療所の窓からひょっこりと、当の本人が顔をのぞかせた。
「あれっ、ゆめさき、ここにいたのか?」
「きらぼし! 傷はもういいの?」

「だから、おれは無傷でピンピンしてるって。ゆっくり眠れたし、もう完全に回復したよ。今は、診療所の裏にある医者の先生んちで、朝飯食わせてもらってきたとこだ」

 きらぼしは白い歯を見せ、屈託なく笑った。ゆめさきは我知らず、床を蹴って飛んだ。
「心配したんだから!」
 叫んだときには、宙に浮かべた体で、きらぼしに抱き付いていた。勢いに押されたきらぼしが後ずさり、ゆめさきの体は窓から飛び出てしまう。

「お、おい、何なんだよ急に?」
「無茶ばっかりするから心配したって言ってるの!」
「ゆめさきに言われたくねぇよ」
「わたしよりずっと、きらぼしの無茶のほうがひどいでしょ! バカ!」

 きらぼしの元気な顔を見た途端、安心した。穏やかな気持ちになるはずが、なぜか怒ってしまって、涙まで出そうだ。
 あらしが窓枠に上って、キュ、と首をかしげている。きらぼしは頭を掻きながら、まだ抱き付いているゆめさきの肩をポンポンと叩いた。

「とりあえず、散歩でもするか。あらしも来い」

 キュッ、と返事をしたあらしが、元気よく窓枠から跳び下りた。