不意に、みつるぎ国特有の刀を携えた彼が、鋭い語気の言葉を放った。
「おい、剣を抜いておけ。声を聞かれちまったみてぇだ」
「え? 聞かれたって、こんな小声の会話を?」
「根ざしものの耳を持ったやつがいる。来るぜ。身構えろ」
「あの倉庫と船、やっぱり何かおかしいのね?」
「ああ。連中が商ってるのは材木じゃねえ」
彼は素早く、ゆめさきに駆け寄った。切れ長な目と薄い唇が涼しげな、整った顔立ちをしているせいでずいぶん年上に見えたが、近付いてみれば、頬やあごの線にはあどけなさが残っている。ゆめさきとさほど変わらない年頃だろう。
「あなたのことは信用できるの?」
試すように言い放ちながら、ゆめさきは彼の漆黒の瞳をのぞき込んだ。夜空のように輝きを宿した漆黒は、ためらいもなく、ゆめさきを見つめ返した。
「まるっきり善人とは断言できねぇが、少なくとも、不法な商売にいそしむ悪党風情とは一味違うよ」
「あなたはその悪党を探って、ここに来たというわけ?」
バン、と派手な音をたてて、倉庫の扉が内側から開いた。煌々とした明かりを背に、武器を持った男たちが飛び出してくる。
「せこい小悪党なんてどこにでも転がってるとはいえ、目に付いちまった以上は見過ごせねぇだろ」
「あなたとは気が合いそうだわ。サクッと悪党退治しちゃいましょ」
威勢のよいことを口にしながら、ゆめさきの胸中はひそかにざわついている。近衛兵を相手取っての剣術稽古なら、並の男よりも巧みな腕前を振るう自信がある。しかし、実戦は初めてだ。
悪党ではあっても、できるだけ怪我を追わせたくない。殺すなんて、もってのほかだ。でも、こんな気持ちで戦って、勝てるのだろうか。
ざっと数えて、十人。武器を構えた男たちが、ゆめさきと彼を取り囲んだ。一人の男が吠えるように、酒精交じりの怒声を張り上げた。
「ガキどもが何の用だ! 死にてぇのか、ああっ?」
彼が、ふんと鼻を鳴らした。かすかに笑ってもいる。
「力押ししかできねぇバカの烏合の衆が、いかがわしい商人の用心棒を気取ってるってとこか。【剛力】の根ざしものを持った男ばっかり、よくもまあこれだけ集まったもんだ。が、相手が悪かったな」
彼は、刀の刃を左の上腕に当てた。その刀が、弦楽器を奏でるように、すっと引かれる。皮膚が避け、血が流れた。真新しい傷のそばに、再び刃が触れ、次の傷を作る。三筋、四筋と、彼は傷を増やした。
異様な行動に面食らったのか、男たちは飛び掛かってこない。たらりと伝う血を舐めて、彼がニッと笑う。ゆめさきは、彼の根ざしものの正体に気が付いた。
「あなたの根ざしもの、【狂戦士】ね? 傷を負えば負うほどに、膂力が増して剣技が冴える」
「正解。もうちょい傷を増やしたがいいかな?」
「それには及ばないわ。わたしがいるもの」
「あんた、どんだけ剣を使える?」
「あなたと同じだけ使えるわ」
「ほう、そいつは頼もしい」
「でも、条件がある」
「何だ?」
「キスしてちょうだい」
彼が目を見張り、余裕の笑みも放り出して、自分の腕を傷付ける刀をピタリと止めた。ゆめさきは、さあ、と左手を彼に伸ばす。
「マジで?」
「いいから早く」
一触即発のにらみ合い、という場面だ。狂戦士の自傷で出鼻をくじかれた敵も、いつまでも呆けてなどいないだろう。
ゆめさきの左手を、彼がつかんだ。そのまま彼は、ゆめさきを引き寄せ、抱きすくめて長身をかがめる。
「――っ!」
声をあげたかったが、ゆめさきの唇は自由を封じられていた。彼の柔らかなくちづけが、ゆめさきの唇を奪ったのだ。
束の間の出来事だった。彼は唇を離しながら、間近にあるゆめさきの瞳を見つめた。
「これでいいのか?」
「だ、誰も唇にキスしなさいなんて言ってない! 手の甲でよかったのよ!」
「は? いや、でも」
「あ、あのねえ、わたしの初めての……ああもうっ、あなたって、そういうこと? でも、いきなりってあんまりだわ!」
「ちょっ、おい、おれはあんたに言われたとおり……」
「言い訳は後! 今は、あいつらを蹴散らすわよ!」
おう、と彼はうなずいて、低く構えた。ゆめさきも、抜き放った愛用の曲刀を肩に担ぐ体勢で、重心を沈める。
なるほどと、ゆめさきは思った。曲刀が羽根のように軽い。全身が熱くたぎり、指先まで神経が研ぎ澄まされている。これが狂戦士の肉体感覚なのだ。
「あんたの根ざしもの、ずいぶん特殊なんだな。【複写】ってやつか」
「知ってたんでしょ?」
「実際に見たのは初めてだし、くちづけで発動するとは予想外だ。ま、これで、おれが二人いるのと同じってわけだな」
彼はクスリと笑ったが、ゆめさきには余裕がない。初めての実戦に、初めてのキス。緊張感なのか照れくささなのか苛立ちなのか腹立たしさなのか、もしかしてときめきなのか、何が何だかわからない鼓動の高鳴りのせいで、胸が苦しい。
ゆめさきは、短く深い息を吸って吐いた。
「行くわよ。できれば、気絶させるだけにしてね」
「善処するよ」
親分格とおぼしき最も体の大きな男が雄叫びをあげ、戦斧を振り上げて突っ込んできた。その動きが、異様に遅い。
違う。わたしが異様に速いだけ。
小気味よく動く体に、ゆめさきはフッと心まで軽くなった。
くちづけを受けると、くちづけた者の根ざしものを写し取ることができる。複写と呼ばれる、ゆめさきの二つ目の根ざしものがこれだった。
「おい、剣を抜いておけ。声を聞かれちまったみてぇだ」
「え? 聞かれたって、こんな小声の会話を?」
「根ざしものの耳を持ったやつがいる。来るぜ。身構えろ」
「あの倉庫と船、やっぱり何かおかしいのね?」
「ああ。連中が商ってるのは材木じゃねえ」
彼は素早く、ゆめさきに駆け寄った。切れ長な目と薄い唇が涼しげな、整った顔立ちをしているせいでずいぶん年上に見えたが、近付いてみれば、頬やあごの線にはあどけなさが残っている。ゆめさきとさほど変わらない年頃だろう。
「あなたのことは信用できるの?」
試すように言い放ちながら、ゆめさきは彼の漆黒の瞳をのぞき込んだ。夜空のように輝きを宿した漆黒は、ためらいもなく、ゆめさきを見つめ返した。
「まるっきり善人とは断言できねぇが、少なくとも、不法な商売にいそしむ悪党風情とは一味違うよ」
「あなたはその悪党を探って、ここに来たというわけ?」
バン、と派手な音をたてて、倉庫の扉が内側から開いた。煌々とした明かりを背に、武器を持った男たちが飛び出してくる。
「せこい小悪党なんてどこにでも転がってるとはいえ、目に付いちまった以上は見過ごせねぇだろ」
「あなたとは気が合いそうだわ。サクッと悪党退治しちゃいましょ」
威勢のよいことを口にしながら、ゆめさきの胸中はひそかにざわついている。近衛兵を相手取っての剣術稽古なら、並の男よりも巧みな腕前を振るう自信がある。しかし、実戦は初めてだ。
悪党ではあっても、できるだけ怪我を追わせたくない。殺すなんて、もってのほかだ。でも、こんな気持ちで戦って、勝てるのだろうか。
ざっと数えて、十人。武器を構えた男たちが、ゆめさきと彼を取り囲んだ。一人の男が吠えるように、酒精交じりの怒声を張り上げた。
「ガキどもが何の用だ! 死にてぇのか、ああっ?」
彼が、ふんと鼻を鳴らした。かすかに笑ってもいる。
「力押ししかできねぇバカの烏合の衆が、いかがわしい商人の用心棒を気取ってるってとこか。【剛力】の根ざしものを持った男ばっかり、よくもまあこれだけ集まったもんだ。が、相手が悪かったな」
彼は、刀の刃を左の上腕に当てた。その刀が、弦楽器を奏でるように、すっと引かれる。皮膚が避け、血が流れた。真新しい傷のそばに、再び刃が触れ、次の傷を作る。三筋、四筋と、彼は傷を増やした。
異様な行動に面食らったのか、男たちは飛び掛かってこない。たらりと伝う血を舐めて、彼がニッと笑う。ゆめさきは、彼の根ざしものの正体に気が付いた。
「あなたの根ざしもの、【狂戦士】ね? 傷を負えば負うほどに、膂力が増して剣技が冴える」
「正解。もうちょい傷を増やしたがいいかな?」
「それには及ばないわ。わたしがいるもの」
「あんた、どんだけ剣を使える?」
「あなたと同じだけ使えるわ」
「ほう、そいつは頼もしい」
「でも、条件がある」
「何だ?」
「キスしてちょうだい」
彼が目を見張り、余裕の笑みも放り出して、自分の腕を傷付ける刀をピタリと止めた。ゆめさきは、さあ、と左手を彼に伸ばす。
「マジで?」
「いいから早く」
一触即発のにらみ合い、という場面だ。狂戦士の自傷で出鼻をくじかれた敵も、いつまでも呆けてなどいないだろう。
ゆめさきの左手を、彼がつかんだ。そのまま彼は、ゆめさきを引き寄せ、抱きすくめて長身をかがめる。
「――っ!」
声をあげたかったが、ゆめさきの唇は自由を封じられていた。彼の柔らかなくちづけが、ゆめさきの唇を奪ったのだ。
束の間の出来事だった。彼は唇を離しながら、間近にあるゆめさきの瞳を見つめた。
「これでいいのか?」
「だ、誰も唇にキスしなさいなんて言ってない! 手の甲でよかったのよ!」
「は? いや、でも」
「あ、あのねえ、わたしの初めての……ああもうっ、あなたって、そういうこと? でも、いきなりってあんまりだわ!」
「ちょっ、おい、おれはあんたに言われたとおり……」
「言い訳は後! 今は、あいつらを蹴散らすわよ!」
おう、と彼はうなずいて、低く構えた。ゆめさきも、抜き放った愛用の曲刀を肩に担ぐ体勢で、重心を沈める。
なるほどと、ゆめさきは思った。曲刀が羽根のように軽い。全身が熱くたぎり、指先まで神経が研ぎ澄まされている。これが狂戦士の肉体感覚なのだ。
「あんたの根ざしもの、ずいぶん特殊なんだな。【複写】ってやつか」
「知ってたんでしょ?」
「実際に見たのは初めてだし、くちづけで発動するとは予想外だ。ま、これで、おれが二人いるのと同じってわけだな」
彼はクスリと笑ったが、ゆめさきには余裕がない。初めての実戦に、初めてのキス。緊張感なのか照れくささなのか苛立ちなのか腹立たしさなのか、もしかしてときめきなのか、何が何だかわからない鼓動の高鳴りのせいで、胸が苦しい。
ゆめさきは、短く深い息を吸って吐いた。
「行くわよ。できれば、気絶させるだけにしてね」
「善処するよ」
親分格とおぼしき最も体の大きな男が雄叫びをあげ、戦斧を振り上げて突っ込んできた。その動きが、異様に遅い。
違う。わたしが異様に速いだけ。
小気味よく動く体に、ゆめさきはフッと心まで軽くなった。
くちづけを受けると、くちづけた者の根ざしものを写し取ることができる。複写と呼ばれる、ゆめさきの二つ目の根ざしものがこれだった。