水路伝いにすいすいと飛んで目指す先は、王都の北区の外れにある時計塔だ。天賦の才の機巧師、むらくも族が集まって住む時計塔は、あさぎり国の中でも宮廷の塔に次いで二番目に高い建物だ。

 本当は、むらくも族はもっと高い建物を造る技術を持っている。より大きく、より見やすい時計を造ればよいと、当時の国王であったゆめさきの祖父は彼らに許可を下した。
 けれども、むらくも族は宮廷の高さをしのぐ塔を建てなかった。それが彼らの、あさぎり国への恭順の証だった。

 むらくも族はかつて、あさぎり国より北東の平原に国を構えていたが、周辺諸国の度重なる侵略によって故地を奪われた。
 一部のむらくも族があさぎり国に亡命したのは、おおよそ三十年前のことだ。彼らは王都の時計塔のようないくつかの場所に集住し、その地の時計の管理など機巧の仕事によって生計を立てている。

 時計塔に住む親友は、ゆめさきより二つ年上で、王都生まれの王都育ちだ。内向的な一族の者たちと違い、繊弱な見た目に反してサバサバとして物怖じしない。ゆめさきに対して誰よりも口うるさいのが親友だ。

「あら? あれは何の明かり?」
 材木問屋の倉庫が建ち並ぶ一角に差し掛かったとき、ゆめさきの直感にピリリと嫌なものが走り抜けた。

 倉庫の一つに明かりが入っている。その正面に停泊した大型の平底船も同じだ。カーテンの隙間から洩れる明かりが、水路にチラチラと揺れている。
 ゆめさきは飛行眼鏡を額に押し上げた。少し目を細めて、ふわりと水上に停止する。

「材木を扱ってるのに火を使うなんて、普通じゃないわ。こんなに暗くなってから仕事をすること自体、おかしいし。何か変なことが起こってるんじゃないかしら? もしかして、事件?」

 つぶやいた唇がニッコリと微笑んだ。ルビー色の両眼に星が躍る。キュイ、と、あらしが小首をかしげた。ゆめさきは、胸にしがみ付くあらしの尾の付け根を軽く叩いた。

「あらしは背負い袋に入っててくれる? そっちのほうが、わたし、動きやすいから」

 キュ、と返事をして、あらしはゆめさきの肩によじ登り、器用な手付きで背負い袋の口を開けて中に入った。頭と前肢を、ちょこんと袋の口からのぞかせる。
 ゆめさきは肩越しに振り返り、あらしが体勢を落ち着けたことを確認すると、水路脇に立つ木の陰にまぎれながら、ひょいと着地した。
 その途端。

「うわっ!」

 かすれた吐息で悲鳴をあげて、背の高い男が飛びのいた。ゆめさきの着地点が、木陰に潜んでいた彼の目の前だったのだ。
 ゆめさきにとっても不意打ちだったから驚いたが、ひとっ跳びで数歩ぶんの距離を開けた彼がいつの間にか剣を抜いていることに、もっと驚いた。夜陰にまぎれるささやき声で、彼に話し掛ける。

「あなた、ずいぶん腕が立つみたいね。しかも、その細身の剣は、片刃ね。みつるぎ国特有の刀だわ。黒髪だし、左前の襟の服もみつるぎ国のものよね。もしかして、皇子殿下に関わりのあるかたかしら?」
 窮屈なフードの紐を解きながら、ゆめさきは彼に尋ねた。

 ゆめさきの結婚相手となる、みつるぎ国第四皇子は、供回りの者たちを連れて、三日ほど前に王都のみつるぎ国大使館に入った。これから二ヶ月にわたっていくつもの儀礼や宴を経るのが、あさぎり王族に婿入りする皇子の務めだ。
 彼は刀を構えているが、反射的に体が動いただけらしく、その目に戦意や殺気はない。ゆめさきがフードの下から金髪をあらわにしてみせると、彼は呆れたように笑い、刀を下ろした。

「その見事な金髪に鮮やかな赤い瞳、しかも宙に浮かんで現れたとなりゃ、あんたの正体、間違いようもないな。あさぎり国第一王女ゆめさき姫が、何だってこんな時間にこんな場所をほっつき歩いてんだ? 嫁入り前だろうに」

「わたしのことをご存じなのね」
「そりゃあ、みつるぎ国でもお姫さんの人気は上々だからな。愛嬌のある美人だけど、空を飛び回るおてんば娘だって」

 みつるぎ国第四皇子は、ゆめさきより一つ年上らしい。黒い髪に黒い目の涼しげな顔立ちの美男子だと聞くが、その情報では不十分もいいところだ。みつるぎ国の者の多くは黒髪黒眼で、あさぎり国の者と比べて顔の彫りが浅く、涼しげな印象である。
 ゆめさきは、件の皇子と顔見知りではない。婚礼の儀で彼の手によってヴェールをめくられたとき、初めて彼と対面することになる。