旅の道中いちばん忙しいのは、間違いなく、ふぶきだ。まず、休憩を取るたびに木馬の調整をしなければならない。すり減る蹄の補強をしたり、歯車の噛み合わせを整えたり、核を結わえる髪の毛を取り替えたりと、作業が尽きない。
夕食前に落ち着いた休憩所で、料理も、ふぶきに頼ることとなった。ゆめさきはもちろん、きらぼしやもちづきも炊事場に立ったことがないという。手伝おうかと申し出た三人に、ふぶきは肩をすくめた。
「気持ちだけで十分です。料理も、物作りの一種です。ぼくの得意分野なんですから、皆さんは邪魔をせずに、おとなしく待っていてください」
ふぶきは、こだわりが強くて几帳面だ。物作りの作業を中断させられたら、どうしようもなく不機嫌になる。自分には妥協を許さず、他人の創作物への評価も辛い。柔和で繊細な外見にだまされる者も多いが、その実、ふぶきは融通が利かない頑固者だ。
そんなふぶきが安心して手に付けるのが、すみれの料理である。ときには無邪気に誉めることもある。
「お似合いだと思うのよね。すみれが王都に働きに出てきたら、ふぶきとも会いやすくなるでしょ? すみれは本気で、ふぶきのことが好きなの。二人がくっついてくれたら、わたしも嬉しいのにな」
ゆめさきは、つらつらとそんなことを、もちづきに語っている。ほかにすることもなくテーブルに着いて、食事ができるのを待つばかりなのだ。
きらぼしは飽きもせず疲れもせず、休憩所の表で剣術の稽古に勤しんでいる。もちづきも通常ならばそれに付き合うらしいが、今日はお休みだ。治癒の力を使ったことによる消耗から回復していないのは、その白い髪を見れば一目瞭然だった。
今宵、休憩所を利用するのは、ゆめさきたち一行だけだった。護衛兵は自分の詰所から出てこないのが常だから、食堂も寝室も貸し切りだ。
もちづきの膝の上で、あらしが丸くなって眠っている。一足先に食事を済ませ、満足したらしい。
あらしの舌は、人間の食事のように味の強いものが苦手だ。休憩所に到着して早々、空腹を訴えて鳴き続けるあらしに、ふぶきは、小さく切っただけの肉や芋を出してくれた。ゆめさきが手ずからあらしに食事を与えようとしたら、ふぶきが名乗り出た。
「私にやらせてはいただけませぬか? それとも、私のように見知らぬ者の手からは、あらしは食べてくれぬでしょうか?」
「そんなことないわよ。ねえ、あらし」
あらしはキュルルと鳴いて、もちづきの脚に前肢で抱き付いた。
人間の年齢では、あらしは五歳くらいだという。人見知りをするたちで、大人の男は怖がるし、年齢にかかわらず女の前では上がってしまう。なかなかに難しいのだが、もちづきのことは気に入ったようだ。
もちづきは口元を微笑ませて、膝の上で眠るあらしのたてがみを撫でている。自分から無駄話をする人間ではないようだ。問えば答えてくれるが、一人でじっと思索する沈黙を好んでいるらしく見える。
ゆめさきは、もちづきの白く変じた髪を見つめた。ふぶきの髪のような艶やかな銀色ではない。パサパサと乾いた白さは、まぎれもなく老人のそれだ。
「もちづき、体は大丈夫なの? 本当に、一晩眠れば、髪ももとに戻る?」
「ご心配には及びませぬ。お見苦しいでしょうが、今少しご勘弁を」
「見苦しくなんかないってば。仮面のこともそう。もちづきはまわりに気を遣いすぎよ。もっと堂々としてくれていい。これからずっと、あさぎり国の宮廷で生きていくことになるんでしょう? 気配りばかりでは苦しいわよ」
もちづきの手が止まる。律儀な口が返事をしかけて、その形で固まっている。ゆめさきは言葉を重ねた。
「わたし、間違ってないでしょ? あなたは、みつるぎ国には戻らない。二ヶ月後、婚礼の儀が済めば、みつるぎ国大使館からも引き上げて、宮廷の敷地内に住まいを持つことになるのよ」
「……はい。承知しております」
「わたしと同じで、もちづきときらぼしも、こうして自由な旅をするのはこれが最後なんだわ。だからこそ一緒に来てくれてるんでしょ?」
「さようですね。きらぼしを一人で行かせるわけにもいかぬゆえ、私もついて来てしまいました。そのあたりの私の心境は、ふぶきどのと近いやもしれませぬ」
「ふぶきには感謝してる。昔からいつもわたしを助けてくれるのよ。いちいち一言多いけれどね。ああ、そうだわ。助けるといえば、もちづき、あなたの根ざしものにも助けてもらいたい。お城に戻ったら、ときどきお願いすることになるかも」
「私にできることでしたら、何なりと。天に定められた寿命は伸ばせませぬが、通常の傷や病なら治癒できますゆえ」
ゆめさきはかぶりを振り、頬にこぼれる金髪を指先ですくい上げた。
「もちづきに無理はさせないわ。治癒の根ざしものを複写させてくれたらいいの。わたしの妹がね、体が弱くて、よく熱を出して寝込むの。そういうとき、わたしの力で少しでも楽にしてあげられたらいいなって」
ゆめさきは言葉を切った。もちづきも気配を察し、顔を上げる。
戸口に、かげろうのような人影が立っていた。
夕食前に落ち着いた休憩所で、料理も、ふぶきに頼ることとなった。ゆめさきはもちろん、きらぼしやもちづきも炊事場に立ったことがないという。手伝おうかと申し出た三人に、ふぶきは肩をすくめた。
「気持ちだけで十分です。料理も、物作りの一種です。ぼくの得意分野なんですから、皆さんは邪魔をせずに、おとなしく待っていてください」
ふぶきは、こだわりが強くて几帳面だ。物作りの作業を中断させられたら、どうしようもなく不機嫌になる。自分には妥協を許さず、他人の創作物への評価も辛い。柔和で繊細な外見にだまされる者も多いが、その実、ふぶきは融通が利かない頑固者だ。
そんなふぶきが安心して手に付けるのが、すみれの料理である。ときには無邪気に誉めることもある。
「お似合いだと思うのよね。すみれが王都に働きに出てきたら、ふぶきとも会いやすくなるでしょ? すみれは本気で、ふぶきのことが好きなの。二人がくっついてくれたら、わたしも嬉しいのにな」
ゆめさきは、つらつらとそんなことを、もちづきに語っている。ほかにすることもなくテーブルに着いて、食事ができるのを待つばかりなのだ。
きらぼしは飽きもせず疲れもせず、休憩所の表で剣術の稽古に勤しんでいる。もちづきも通常ならばそれに付き合うらしいが、今日はお休みだ。治癒の力を使ったことによる消耗から回復していないのは、その白い髪を見れば一目瞭然だった。
今宵、休憩所を利用するのは、ゆめさきたち一行だけだった。護衛兵は自分の詰所から出てこないのが常だから、食堂も寝室も貸し切りだ。
もちづきの膝の上で、あらしが丸くなって眠っている。一足先に食事を済ませ、満足したらしい。
あらしの舌は、人間の食事のように味の強いものが苦手だ。休憩所に到着して早々、空腹を訴えて鳴き続けるあらしに、ふぶきは、小さく切っただけの肉や芋を出してくれた。ゆめさきが手ずからあらしに食事を与えようとしたら、ふぶきが名乗り出た。
「私にやらせてはいただけませぬか? それとも、私のように見知らぬ者の手からは、あらしは食べてくれぬでしょうか?」
「そんなことないわよ。ねえ、あらし」
あらしはキュルルと鳴いて、もちづきの脚に前肢で抱き付いた。
人間の年齢では、あらしは五歳くらいだという。人見知りをするたちで、大人の男は怖がるし、年齢にかかわらず女の前では上がってしまう。なかなかに難しいのだが、もちづきのことは気に入ったようだ。
もちづきは口元を微笑ませて、膝の上で眠るあらしのたてがみを撫でている。自分から無駄話をする人間ではないようだ。問えば答えてくれるが、一人でじっと思索する沈黙を好んでいるらしく見える。
ゆめさきは、もちづきの白く変じた髪を見つめた。ふぶきの髪のような艶やかな銀色ではない。パサパサと乾いた白さは、まぎれもなく老人のそれだ。
「もちづき、体は大丈夫なの? 本当に、一晩眠れば、髪ももとに戻る?」
「ご心配には及びませぬ。お見苦しいでしょうが、今少しご勘弁を」
「見苦しくなんかないってば。仮面のこともそう。もちづきはまわりに気を遣いすぎよ。もっと堂々としてくれていい。これからずっと、あさぎり国の宮廷で生きていくことになるんでしょう? 気配りばかりでは苦しいわよ」
もちづきの手が止まる。律儀な口が返事をしかけて、その形で固まっている。ゆめさきは言葉を重ねた。
「わたし、間違ってないでしょ? あなたは、みつるぎ国には戻らない。二ヶ月後、婚礼の儀が済めば、みつるぎ国大使館からも引き上げて、宮廷の敷地内に住まいを持つことになるのよ」
「……はい。承知しております」
「わたしと同じで、もちづきときらぼしも、こうして自由な旅をするのはこれが最後なんだわ。だからこそ一緒に来てくれてるんでしょ?」
「さようですね。きらぼしを一人で行かせるわけにもいかぬゆえ、私もついて来てしまいました。そのあたりの私の心境は、ふぶきどのと近いやもしれませぬ」
「ふぶきには感謝してる。昔からいつもわたしを助けてくれるのよ。いちいち一言多いけれどね。ああ、そうだわ。助けるといえば、もちづき、あなたの根ざしものにも助けてもらいたい。お城に戻ったら、ときどきお願いすることになるかも」
「私にできることでしたら、何なりと。天に定められた寿命は伸ばせませぬが、通常の傷や病なら治癒できますゆえ」
ゆめさきはかぶりを振り、頬にこぼれる金髪を指先ですくい上げた。
「もちづきに無理はさせないわ。治癒の根ざしものを複写させてくれたらいいの。わたしの妹がね、体が弱くて、よく熱を出して寝込むの。そういうとき、わたしの力で少しでも楽にしてあげられたらいいなって」
ゆめさきは言葉を切った。もちづきも気配を察し、顔を上げる。
戸口に、かげろうのような人影が立っていた。