きらぼしは、自ら傷付けた左手の治療を嫌がった。
「いつまた変なやつが襲撃してくるかわかんねぇんだぞ。戦力はちょっとでも上げておいたほうがいい」

 負った傷が大きければ大きいほど、きらぼしは戦って強くなる。注意深く見れば、きらぼしの腕や頬には、治り切っていない傷がいくつもあった。ゆめさきがそれを指摘すると、きらぼしではなく、もちづきが鬱々とした調子で答えた。

「治癒させてくれぬのですよ。みつるぎ国で最も強い剣士を倒さねばと躍起になって、身の危険をかえりみず稽古に明け暮れ、刺突の剣術を磨いているせいです」
「みつるぎ国で最も強い剣士?」

「皇ですよ。陛下は四十五を超えてなお、毎朝毎夕、ご多忙の合間を縫って剣の鍛錬をなさっておいでです。陛下の根ざしものがまた剣技の冴えを促すものゆえ、きらぼしのように多少腕の立つ者は、恐れ多くも陛下を打ち破らんと挑み続けています」
「壮絶ね。きらぼし、そんなに傷だらけで挑んでも、みつるぎ国皇陛下には敵わないの?」

 うるせえ、と、きらぼしは顔をしかめた。
「陛下は化け物だ。あばらを折られたときも勝てなかった」
「あばらを、折られた?」

「木刀での勝負だったんだが、バシッと打ち込まれて折られた。あのときは本気で痛かったし、かなり力も出せたのに勝てなくてさ。結局、おれはまだ基礎が足りてねぇんだ。基礎がしっかり固まった上で、こんなふうに手に風穴を開けてやりゃ……」
「きゃあ、やだ、傷を見せないで! まだ血が出てるじゃないの!」

 ゆめさきはギュッと目をつぶり、ふぶきも青くなって顔を背けた。もちづきが、きらぼしの左手を押さえ込んだ。仮面に表情を隠していても、声は明らかに苛立っている。

「今すぐ、すべての傷を治癒する。基礎を鍛えるべきと自覚しているなら、できる限り根ざしものに頼らず戦ってみせろ」
「んだよ、もう。いちいち口うるせぇな」

 もちづきは言い返さず、手のひらをきらぼしの傷口にかざした。ホゥッと、かすかな音とともに淡い光が、もちづきの手のひらから染み出す。昼の日差しの中では儚いほどの光は、傷口に触れると、泡が弾けるように一瞬だけ強く輝いた。
 熱い、と、きらぼしが顔をしかめた。もちづきが、当然だと返す。

「何度も言っているだろう。私の力は、正確には、傷病者の自己治癒力を促すことだ。私の気を糧に、患部の細胞が急速に活動を高め、通常よりもはるかに速く分裂と分化を果たすことで、傷や病が克服される」
「で、自己治癒力を促すときに、熱が起こるんだっけか? 寒くて腹が減ってたら体が動かねぇのの逆で、熱くてくすぐったいこの感覚が、急速に細胞分裂が進んでるときの体感ってわけだ」

 もちづきはうなずき、細く長い息を吐いた。その吐息が震えている。ゆめさきは、もちづきの横顔をのぞき込み、ハッとした。

「ちょっと、もちづき、髪が!」

 仮面に掛かる髪のひと房が、みるみるうちに白く変わっていく。もちづきが、色のない唇で小さく笑った。
「治癒を施すと、一時的に私の肉体が老いるのです。じきに回復しますから、お気になさらず」
 初めのひと房にとどまらず、キッチリと結われた髪が次第に白く変わっていく。傷口にかざす手がかすかに震えている。

 されるがままになりながら、きらぼしが、ふてくされた顔で言った。
「おまえに治療されるの、これだからイヤなんだよ」

 もちづきは応えず、ひび割れた唇で微笑むだけだった。