じりっと痛むような嫉妬が起こった。卑屈な胸の内を隠すために、おれは笑顔の仮面をかぶる。品行方正な優等生を演じていれば、嫌われることはないから。

「すみません、カイリさん。ハルタって、いつもこんなふうなんです。迷惑や面倒を感じたら、そう言ってくれてかまわないので」
「わたしは別にいいよ。それと、丁寧語やめて。カイリでいいってば」
「あ……うん」

 無理だ。いきなり打ち解けたしゃべり方をしろだなんて。せいぜい丁寧語が取れたとしても、猫をかぶって「ぼく」と言うし、相手を呼び捨てにはしない。小学校時代、レースを通じていろんな人と知り合って、その中でおれのスタンスは固まった。

 カイリさんは、おれとハルタの顔を交互に見やった。
「二人とも、おなか減ってる?」
 ハルタがすかさず手を挙げた。
「めちゃくちゃ減ってる! 昼飯が少なすぎた」

 フェリーの乗り替えの合間に、港の売店で買ったおにぎりを食べた。ハルタはもっと食べたがっていたけれど、満腹だと船酔いしやすくなるから、三個目は買わせなかった。

「じゃあ、晩ごはんは早めにしようか。言っておくけど、ここでは肉は食べられないよ。魚や貝ばっかり。好き嫌いある?」
「ないない! 兄貴も、魚も好きだよな?」
「ああ、うん」

「ってか、カイリ、もしかして魚さばけるのか?」
「さばけるけど」
「すっげえ! それ、今からやる? おれも見に行っていいか?」
「いいよ」
「よっしゃ! 兄貴も行かねえ?」

 ピョンとベッドから跳び下りたハルタと、てらいもなくまっすぐに見つめてくるカイリさん。おれはごまかし笑いで、パタパタと手を振った。
「ぼくはちょっと遠慮しま……遠慮するよ。荷物を整理したいのと、やらなきゃいけない課題があって」

 それに、おれはたぶん、魚をさばくシーンは苦手だ。理科の教科書に載っている魚やカエルの解剖のイラストには、背筋がゾワッとする。せっかくの料理を食べられなくなりそうで、申し訳ない。

「まったく、兄貴はくそまじめだな。課題なんか家に置いてくりゃよかったのに。ま、いっか。カイリ、行こうぜ」
 カイリさんはハルタの言葉にうなずきながら、まだじっとおれを見つめている。
「ユリト、疲れてる?」
「そうでもないよ。どうして?」
「疲れてるみたいだから」

 全部を見透かすようなカイリさんのまなざしが気まずい。おれは笑顔の仮面を外さないまま、本当はたじろいでいる。
「こんなに長く船に乗っていたのは初めてだから、少し疲れたのかもしれない。でも、たいしたことないですよ。ぼくのことは気にしないで」

 カイリさんは何か言いかけた。その唇の形がひどく柔らかくて、おれの心臓はドキリと高鳴る。カイリさんは小さくかぶりを振って、おれから視線を外した。

「晩ごはん、できたら呼びに来る」
「ありがとう。ハルタがうるさいかもしれないけど、よろしくお願いします」
「はぁ? おれ、別にうるさくねえっての!」

 ほら、それがうるさいんだよ。小言を垂れたくなったけれど、カイリさんもいることだし、呑み込んでおく。
 カイリさんはきびすを返した。ハルタは、ガキ扱いするなとか何とか文句を言いながら、カイリさんの後を追い掛ける。
 部屋のドアは開けられたままだった。閉めようかなと思ったけれど、ストッパーが掛かっている。

「ああ、風……」
 窓から吹き込む風が部屋を駆けて、ドアから通り抜けていく。部屋の中のどこよりも、ドアのそばに立つのが、風を感じられて涼しい。

 見れば、カイリさんの部屋もドアが開けっ放しだ。のぞいてみたい衝動に駆られたけれど、グッと抑えた。今さらながら帽子を取って、押し込めていた髪をクシャクシャ掻き回す。

 ホールが吹き抜けになっているから、部屋の入り口から一階が見下ろせた。ハルタがカイリさんと並んで、台所へと入っていく。中途半端に変わりかけた声をときどき裏返しながら、ハルタはいつも以上によくしゃべっている。

「なあ、カイリ!」
 屈託なくその名前を呼び捨てにできるハルタがうらやましい。どうしておれはあいつみたいに自由になれないんだろう?

「か、い、り……カイリ、カイリ」
 練習してみる。その途端、顔がほてって心臓が騒いだ。ダメだ、うまくいきそうにない。