昼食の後、スバルさんに仕事関係の電話が掛かってきた。三十分くらい待っててと言って、スバルさんは部屋に引っ込んだ。

「ドライブとか、仕事の邪魔にならないのかな?」
 皿洗いを手伝いながらカイリに訊いたら、カイリは小さく肩をすくめた。
「大丈夫だよ。風車の見回りはとうさんの日課だし。ユリトたちをクルマに乗せて一緒に回っても、別に問題ない」
「それならいいんだけど」

「ユリト、今日は顔色いいね」
「ちゃんと眠れたみたいで、自分でもびっくりしてる。頭はスッキリしたけど、時間を無駄にしちゃったよな」
「無駄じゃないよ。眠る時間も、人間にとっては大事」
「わかってるつもり。ああ、それと、カイリに訊こうと思ってたんだった。おれ、昨日の夜、迷惑かけなかったか? いつ自分が眠ったのか、全然覚えてなくて」

 ハルタに聞かれないように、カイリに顔を近付けて、早口でささやいた。カイリがかぶりを振ったら、ふわっと揺れた髪から、いい匂いがした。あ、ヤバい。近すぎる。

 次の瞬間。
「あっれー? おれ、来ちゃまずかった?」
 ニヤニヤしたハルタが台所の入口から顔をのぞかせている。

「な、何だよ、おまえ? 洗濯物、もう干してきたのか?」
「洗濯、まだ終わってなかった。で? 兄貴はいつの間にカイリと仲良くなってたわけ? 昨日も今日も、兄貴は部屋にこもってばっかで、カイリはおれと一緒にいたのに。あー、もしかして、昨日ぶっ倒れたとき? 膝枕なんかしてたもんな」

「お、おまえには関係ないだろ。だいたい、仲良くなるって、含みのある変な言い方するなって」
「含みとか、別にねぇよ。ただ、やっぱお似合いだと思ってさ」
「バカ、何言ってんだ!」
「何って、事実じゃん。兄貴、女子が苦手だろ? 追い掛け回されたり声掛けられたりしたら話すけど、そうじゃなきゃ近寄らねぇもん。そのくせ、カイリとは接近しても大丈夫なんだな? それ、すっげー特別だろ」

 ハルタのからかいに、おれはとっさに反撃できない。口をパクパクしていたら、からかわれている片割れのくせにマイペースなカイリが、きょとんと首をかしげた。
「ユリト、女の子に追い掛け回されたりするの?」
「や、別にそんな……」

 おれの弁解を、ハルタがへし折った。
「カイリ、兄貴は超モテるんだぜ! 成績はダントツで学年一だし、生徒会長だし、おれと同じでイケメンだし、スポーツもけっこうできるし、女子にとっちゃ減点するとこねぇじゃん? ま、おれから見りゃ、兄貴は口うるさくて年寄りくさすぎるけどな」
「そっか。ユリト、モテるんだ」

 素直に納得しないでほしい。ハルタが言うように、おれは女子が苦手だ。女子という言葉でひとまとめにしてしまうのは失礼だとわかっているけれど、まとめてみんな苦手なんだ。だって、話が噛み合わない。ノリについていけない。

 定期的に、おれを巡る噂が立つ。たいてい、学校でも目立つ女子がおれのことを好きだという内容だ。じゃあ剣持くんのほうはどうなのかと、おれは根掘り葉掘りしつこく問いただされる羽目になる。
 おれは無難で八方美人な答え方をしてしまうからダメなんだ。噂の相手がだんだん本気になる。まわりにあおられて、おれに告白する。「そんなつもりじゃなかった、ごめん」って、何度、同じ断り方で女子を泣かせてしまっただろう?

 一人二人、たまにそういう人が現れることがあるくらいなら、まだいい。もっと極端な話も、最近聞く。剣持ユリトを落としてしまえって、ゲームや賭けみたいなことをしている女子グループもいるらしい。囲い込まれるみたいで、すごく怖い。
 おれは、まるでモノだ。条件がいいから手に入れたいって。それを恋だと呼ばれても、うんざりしてしまう。好きだっていう言葉さえ、何もかも信用できなくなる。

「浮ついた感情なんて、押し付けられても困るんだよ。女子は面倒だ」
 口を突いて出た本音に、ハルタが冷やかしの声を上げた。
「うっわー。世の中のフツーの男子にそれ聞かれたら、兄貴、袋叩きだぞ」
「黙れ」

 ハルタだってモテる。飛び抜けて運動ができて、元気いっぱいで目立って、誰とでも分け隔てなく仲良くなれる。弱い者いじめみたいに理不尽なことがあれば、先輩だろうが先生だろうがおかまいなしで食って掛かる。

 モテるというより、そうだ、ハルタの場合はおれとは違うんだ。ちゃらちゃらした憧れなんてものを超えた強い想いを、相手にいだかせる。本当の本気で惚れられる。
 残酷なことに、ハルタは何も気付いていない。レーサーになりたいという夢だけが、ハルタの唯一絶対の関心事だ。恋愛が入る隙間なんてないらしい。

「そういや、兄貴、思い出したんだけどさ、おれのクラスの女子から、ユリト先輩に訊いといてって言われてたことがあって」
 皿洗いを終えたカイリが手を拭いて、興味深そうにおれを見る。おれはカイリから目をそむけた。

「何を訊いとけって?」
「八月最後の土曜日、空いてるかどうか」
「空いてないって言え。おれは学校の女子と花火大会なんか行くつもりはない」

「あ、なるほど、花火の日だったのか」
「毎年だろ。覚えろよ」
「いつもチナミが呼びに来てから、そういや花火だったって思い出すんだよなー。今年も三人で行くか?」

 幼なじみのチナミちゃんの名前に、胸の奥がズキッとした。春先には断ち切ったはずの想いが、まだ痛む。

「おれは行かない。ハルタとチナミちゃんだけで行ってこいよ」
「えーっ、何でだよ? 兄貴が行かねぇんなら、おれも行かなくていいや。わざわざ人が多くて暑いとこに出ていかなくても、花火なら、うちのベランダから見えるしな」

「それじゃ、チナミちゃんがかわいそうだろ。毎年、浴衣まで着て張り切ってるのに」
「あいつはあいつで、ほかの友達でも誘えばいいんだ。てか、誰かに誘われてんじゃねぇかな。兄貴、知ってるか? チナミのこと好きってやつ、意外といるんだぜ」

 知らないわけがない。この目で見た。チナミちゃんが何を思っているのかも、チナミちゃんの口から語られるのを聞いた。そのときようやく、おれは自分の想いに気付いた。気付いた瞬間に失恋するって、最悪だ。

 とにかく、と、おれは声を大きくした。
「おれは花火大会には行かない。ハルタ、おまえはチナミちゃんと一緒に行け。チナミちゃんちのおじさんも、ハルタを頼りにしてるんだ」
「命令かよ? おい、兄貴、何で急に機嫌悪くなってんだ?」
「おまえには関係ない」
 思いっ切り、嘘だ。ハルタ、おまえが元凶だ。

 おれは、うるさいハルタのそばをすり抜けて台所を出た。
 ちょうどのタイミングで、洗濯機が仕事の完了を知らせて鳴った。大雑把なハルタに任せるより、おれが洗濯物を干したほうがいい。おれはハルタに声を掛けず、一人で、家の裏手にある洗濯小屋へ向かった。