学校におれとハルタだけしかいないなら、気楽なんだろうか。それとも今以上に、ハルタと違う人間でいなきゃいけないと、意地や見栄を張ってしまうんだろうか。
三人だったらどうだろう? おれとハルタと、幼なじみのチナミちゃん。
最悪だな。おれだけ蚊帳の外だ。
ごまかしようのない人間関係に、他人に本心を見せられないおれは、きっとだんだん酸素が足りなくなっていく。追い詰められるに決まっている。
ああ、なるほど。小さな小さな社会になった龍ノ原からよそに移っていく気持ちが今、少しわかった。
だって、一から十までお互いのことを知ってしまう距離の人間関係なんて、おれにはうまくやれない。やり方がわからない。
カイリが静かに告げた。
「わたしは、生まれたらいつか滅ぶのは当たり前だと知ってる。学校が一つ消える。町が一つ消える。いつか迎える運命だとわかってたから」
「八月の終わりに、みんな引っ越してしまうんだっけ?」
「うん。隣の大きな島に移る人、本土に移る人、親戚や子どものいる都会に移る人、いろいろ。とうさんは隣の島で発電の研究や管理の仕事を続ける。龍ノ里島の発電施設が、そっちに移るから」
「きみもスバルさんと一緒に隣の島に行くんだよね?」
おれの質問に、カイリは目を伏せたまま、そっと笑った。その寂しげな表情が、おれの胸の奥に刺さる。
ハルタも同じ痛みを感じたらしい。慌てた口調で言い募った。
「カイリなら、どこ行っても、うまくやれるって! かわいいし、運動得意だし、何だかんだ物知りだしさ。うちの学校とか転校してきたら、一瞬でファンができそうだよな。男子はもちろん、女子からもモテそうじゃん? なあ、兄貴!」
「えっ? ま、まあ、そうだな。こんな人数の少ない学校からの転校じゃ、最初は大変だろうけど、か、カイリなら大丈夫じゃないかな」
言葉が素直に出ていかないのは、どうして? 自問の答えは、素直に見付かる。
ハルタがあっさりと、カイリをかわいいと言ったから。カイリがモテるだろうというのは、ハルタ自身がカイリに惹かれているから。カイリなら確かに、どんな場所にいても、変わらないカイリでいられそうだから。おれはうまくやれないのに、カイリならできそうだから。
自分にできないことを、目の前にいる誰かは簡単にやってのける。それを見せ付けられると、おれの体の奥で嫉妬がきな臭い煙を上げる。醜い感情にいぶされて、おれは内側からじわじわと、黒く染まっていく。
イヤだ。こんな自分は嫌いだ。止めてくれよ、誰か。
でも、誰も気付かない。おれが笑顔の仮面の下でいつだって他人に嫉妬していることに、いちばん身近なはずのハルタでさえ気付いていない。信じられない鈍感野郎だ。おれがいちばん嫉妬する相手はハルタなのに。
「しっかし、やっぱ暑っちぃなー。閉め切ってっと、蒸し暑くてたまんねえ」
ハルタが手のひらで顔をあおいだ。息苦しいほどの熱気と湿気は、それくらいじゃどうしようもない。カイリも腕で額の汗を拭った。
「帰り、海に飛び込む?」
「おっ、それ楽しそう! でも、おれ、水着じゃねぇぞ?」
「水着で泳ぐ子ども、この島にはいないよ。普通の服のまま飛び込む」
「よっしゃ、それ、ますます楽しそう!」
ということは、ハルタはまだ泳いでいないんだ。朝、おれは思いがけず、カイリに引っ張られて飛び込んだけれど。
水は冷たかった。足の届かない深さで泳ぐのは初めてだと、海に入った後で気付いた。不格好に水を掻いていたら、力を抜けば浮くことをカイリが教えてくれた。そして二人で仰向けになって、青さを増していく朝の空を眺めた。
海から上がったら、体が重かった。濡れたまま家まで帰って、風呂場の勝手口から中に入ってシャワーを浴びて、ベッドに引っくり返った。眠れたわけじゃないけれど、疲れた体はしばらく動かなかった。
と。
おれは気付いた。
「あれ……何か、おかしい……」
さっきから汗をかいていない。暑さを感じるのに、同時に寒気を感じる。勘違いじゃない。腕に鳥肌が立っている。たぶん、体温が下がっている。
何かひどく重たいものが、腰から背骨を伝って、肩へ、首へと這い上がってくる。
まずい。これが頭まで上がってきたら、おれは立っていられなくなる。いつもの、あの発作だ。つかまって体を支えられるものを探さないと。
でも、もう手遅れだ。視界がかすみ始める。呼吸が鈍くなる。つられて心臓の動きまで鈍くなる気がする。
「ちょっと、おい、兄貴っ?」
おれの異変に気付いたハルタが駆け寄ってくる。大丈夫、と反射的に動いたはずの舌が絡まった。ハルタの目を見ているつもりなのに、焦点が合わない。
首まで上がってきていた重くて気だるい感覚が、頭に達した。その瞬間、体を支える全部の力が抜けた。
意識が消える寸前、ハルタに抱き止められるのを感じた。
三人だったらどうだろう? おれとハルタと、幼なじみのチナミちゃん。
最悪だな。おれだけ蚊帳の外だ。
ごまかしようのない人間関係に、他人に本心を見せられないおれは、きっとだんだん酸素が足りなくなっていく。追い詰められるに決まっている。
ああ、なるほど。小さな小さな社会になった龍ノ原からよそに移っていく気持ちが今、少しわかった。
だって、一から十までお互いのことを知ってしまう距離の人間関係なんて、おれにはうまくやれない。やり方がわからない。
カイリが静かに告げた。
「わたしは、生まれたらいつか滅ぶのは当たり前だと知ってる。学校が一つ消える。町が一つ消える。いつか迎える運命だとわかってたから」
「八月の終わりに、みんな引っ越してしまうんだっけ?」
「うん。隣の大きな島に移る人、本土に移る人、親戚や子どものいる都会に移る人、いろいろ。とうさんは隣の島で発電の研究や管理の仕事を続ける。龍ノ里島の発電施設が、そっちに移るから」
「きみもスバルさんと一緒に隣の島に行くんだよね?」
おれの質問に、カイリは目を伏せたまま、そっと笑った。その寂しげな表情が、おれの胸の奥に刺さる。
ハルタも同じ痛みを感じたらしい。慌てた口調で言い募った。
「カイリなら、どこ行っても、うまくやれるって! かわいいし、運動得意だし、何だかんだ物知りだしさ。うちの学校とか転校してきたら、一瞬でファンができそうだよな。男子はもちろん、女子からもモテそうじゃん? なあ、兄貴!」
「えっ? ま、まあ、そうだな。こんな人数の少ない学校からの転校じゃ、最初は大変だろうけど、か、カイリなら大丈夫じゃないかな」
言葉が素直に出ていかないのは、どうして? 自問の答えは、素直に見付かる。
ハルタがあっさりと、カイリをかわいいと言ったから。カイリがモテるだろうというのは、ハルタ自身がカイリに惹かれているから。カイリなら確かに、どんな場所にいても、変わらないカイリでいられそうだから。おれはうまくやれないのに、カイリならできそうだから。
自分にできないことを、目の前にいる誰かは簡単にやってのける。それを見せ付けられると、おれの体の奥で嫉妬がきな臭い煙を上げる。醜い感情にいぶされて、おれは内側からじわじわと、黒く染まっていく。
イヤだ。こんな自分は嫌いだ。止めてくれよ、誰か。
でも、誰も気付かない。おれが笑顔の仮面の下でいつだって他人に嫉妬していることに、いちばん身近なはずのハルタでさえ気付いていない。信じられない鈍感野郎だ。おれがいちばん嫉妬する相手はハルタなのに。
「しっかし、やっぱ暑っちぃなー。閉め切ってっと、蒸し暑くてたまんねえ」
ハルタが手のひらで顔をあおいだ。息苦しいほどの熱気と湿気は、それくらいじゃどうしようもない。カイリも腕で額の汗を拭った。
「帰り、海に飛び込む?」
「おっ、それ楽しそう! でも、おれ、水着じゃねぇぞ?」
「水着で泳ぐ子ども、この島にはいないよ。普通の服のまま飛び込む」
「よっしゃ、それ、ますます楽しそう!」
ということは、ハルタはまだ泳いでいないんだ。朝、おれは思いがけず、カイリに引っ張られて飛び込んだけれど。
水は冷たかった。足の届かない深さで泳ぐのは初めてだと、海に入った後で気付いた。不格好に水を掻いていたら、力を抜けば浮くことをカイリが教えてくれた。そして二人で仰向けになって、青さを増していく朝の空を眺めた。
海から上がったら、体が重かった。濡れたまま家まで帰って、風呂場の勝手口から中に入ってシャワーを浴びて、ベッドに引っくり返った。眠れたわけじゃないけれど、疲れた体はしばらく動かなかった。
と。
おれは気付いた。
「あれ……何か、おかしい……」
さっきから汗をかいていない。暑さを感じるのに、同時に寒気を感じる。勘違いじゃない。腕に鳥肌が立っている。たぶん、体温が下がっている。
何かひどく重たいものが、腰から背骨を伝って、肩へ、首へと這い上がってくる。
まずい。これが頭まで上がってきたら、おれは立っていられなくなる。いつもの、あの発作だ。つかまって体を支えられるものを探さないと。
でも、もう手遅れだ。視界がかすみ始める。呼吸が鈍くなる。つられて心臓の動きまで鈍くなる気がする。
「ちょっと、おい、兄貴っ?」
おれの異変に気付いたハルタが駆け寄ってくる。大丈夫、と反射的に動いたはずの舌が絡まった。ハルタの目を見ているつもりなのに、焦点が合わない。
首まで上がってきていた重くて気だるい感覚が、頭に達した。その瞬間、体を支える全部の力が抜けた。
意識が消える寸前、ハルタに抱き止められるのを感じた。