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 次に竜也から連絡があったのは、確か十一月だ。学園祭が十一月下旬に開催されるから、クラスで出店の話し合いをしている時期だった。
 竜也は、十五分でいいからと電話口で言って、わたしを学食に呼び出した。切羽詰まった口調なのが気になって、わたしは竜也の呼び出しに応じた。

 顔を合わせるやいなや、竜也は一枚の紙をわたしに見せた。
「蒼さんの彼氏さんって、この人ですよね?」
 A4サイズの用紙に、写真がカラー印刷されている。写っているのは確かに笹山だ。オシャレな居酒屋のテーブル席で、笹山は、酒の入った赤い顔で笑っている。

「何でこんな写真を?」
「蒼さんが彼氏さんといるところ、何度か見掛けたことあったんです。たぶん彼氏さん、おれのマンションのすぐ近所に住んでますよ。顔、すぐ覚えました」
「そう」

「この写真は、部活の先輩経由です。おれがだまされやすいからって、変なサークルに引っ掛からないように、からかい交じりなんですけど、ヤバいサークルを教えてくれてて」
「ヤバいサークル?」

 笹山が入っているのは、格闘技をテレビやDVDで観戦する緩いサークルだ。そのはずだ。確か、LOVEコングというサークル名で。

「このサークル、しょっちゅう合コンしてますよ」
「合コン?」
「女の子と会って、その、どこまでやってるのかとか、おれはわかんないですけど、会ってるのは事実で。サークルの掲示板、あるんです。写真のリンクも貼ってあって、それで」
「この写真も、掲示板で?」

 当時の掲示板というのは、今でいうラインやツイッターなどのSNSだ。LOVEコングの連絡用掲示板は裏サイトでもパスワード制でもなかったから、ツイッターの公開状態で内輪の話し合いをしていたようなもの。
 竜也は本当に十五分で話を切り上げて、顔を曇らせながら自転車で走り去った。わたしにこのこのを伝えるかどうか、一週間くらい悩んだらしい。

「おれでよければ、話とか、聞きますから」
 竜也がわたしに言ったのは、それだけだった。笹山に対して何を思ったか、そういうことは一言も口にしなかった。

 家に帰って、竜也が言ったとおりのアドレスをURLバーに打ち込んでみると、あった。アカウントの一つが、笹山の好きな映画監督の名前だった。椎名林檎の歌詞みたいな漢字変換の癖から見ても、笹山で間違いない。

 ぷつん、と何かが切れた。自分の単純さがバカバカしいけれど。何というか、本当にもう、どうでもよくなった。
 合コンに行ったことが浮気なのかどうかわからない。浮気だとしたら別れればいいのか、その適切な対応のやり方もよくわからない。そもそも浮気の定義って何なのか、わからない。

 笹山とおぼしきアカウントは、掲示板に「彼女に傷付けられた話」を書いていた。わたしが竜也と会ったり連絡を取り合ったりしたことだとすると、時期的に一致する。掲示板ではそれが浮気だと断言されている。
 わたしは、できるだけシンプルでいたい。ゼロでよかったのに笹山が現れて、竜也もいて、そこからまた悩まなければいけないことが増えて。

「いらないんだってば」
 面倒くさい。本当に面倒くさい。
 誰とも会いたくない。誰とも関わりたくない。もう何も期待されたくない。誰かの理想どおりになんて動きたくもない。失望させないようになんて、そんなに優しくなれるはずもない。

 わたしは衝動に任せて、LOVEコングの掲示板に書き込んだ。
〈彼女がいるのに合コンに行く人って何なんですか? 浮気って、異性と話をしたら浮気になるんですか? 彼氏彼女はどこまで相手を束縛していいんですか? 束縛されなければならないという義務はあるんですか?〉

 恋愛なんて、意味がわからない。答えの出ないこんなものに振り回されたくない。
 わたしは、目に付いた美容室に駆け込んで、背中まで伸びた髪をバッサリ切った。

 頭が軽くなると、笹山の言いなりになっていた自分が、あまりにもくだらなく思えた。嘲笑ううちに胃がキリキリ痛くなって、食べてもいないのにコンビニのトイレで吐いた。吐いて吐いて、疲れ果てて顔を上げると、頭がガンガン痛んだ。
 たまたまバイトのない日だった。鎮痛剤と睡眠導入剤を飲んで、何も食べずに寝た。

 翌日のことだ。普段は週末にしか会わないのに、平日の夜のバイト上がりに笹山から部屋に呼ばれた。用件はもちろん掲示板のことだ。
 わたしが部屋に着くなり、笹山は不機嫌そうな顔で言った。
「どうして髪を切ったの? ボクは、伸ばしてほしいって言ったよね?」
 わたしは答えなかった。言葉が、笹山の前では形を持たない。

 自分の気持ちを相手に伝えることは、どんな場面であってもエネルギーを使う。わたしは、笹山のためにエネルギーを使おうと思えずにいる。いつからだろう? 最初はもうちょっとまじめに努力していたはずなのに。

 笹山が好きな映画を、わたしは同じように楽しむことができない。不幸なサスペンスを「楽しむ」という行為に対して、嫌悪感を覚えてしまうことさえある。「このおもしろさがわからないなんて」と笹山に言われたせいで、引け目を感じてもいる。
 そう、つまり感性が全然違うから、何を話したとしても、会話が成立しない気がする。だからわたしは、笹山の前では言葉を放棄している。

 笹山は不機嫌そうに、それでもわたしを抱いた。儀式のように、いつもとまったく同じ流れで。その行為にどんな意味があるのか、麻痺し切った感覚では、もう何もわからない。
 全部終わってシャワーを浴びた笹山が眠りに就いた後、わたしは服を着て部屋を出た。真夜中と夜明けのちょうど中間のころ。歩道の信号機は光を消して、車道の信号機は赤や黄色の点滅を繰り返していた。