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大学二年生に進学して、十九歳。十代の自分というものがあと一年も存在しないのだと思うと、ただ不思議だった。どうしてわたしはまだ生きているんだろう?
入学したばかりの竜也から「一緒に食事でも」とメールをもらっていた。断ったほうがいい。いや、断るべきだ。わたしは笹山と付き合っている。ほかの男と会うべきではない。本当は連絡を取ることだって、よくない。竜也の連絡先も消したほうがいい。
でも、わたしは竜也とのつながりを断つことができなかった。笹山に見付かったらまずいのに、四月の終わり、大学から離れたエリアにあるカフェで竜也と会った。
お昼時だった。竜也はちゃんとランチを頼んだけれど、わたしは飲み物だけにした。竜也は眉をひそめた。
「蒼さん、体調悪いんですか?」
「食欲がないだけ」
「ほんとに? 食べられるものだけでもつまんだら?」
「平気。朝ごはん、遅かったし」
カフェのメニューは、バターやドレッシングや生クリームなどの脂肪分がたっぷり入ったものばかりだ。食べたら吐いてしまう。
吐くことは、わたしにとって、みじめで病んでいて汚い。竜也と一緒に食事をして、その食事を吐いてしまったら、竜也を汚すことになるような気がした。それはイヤだった。
竜也はサークルではなく、正規の部活に入ったらしい。高校時代にやっていたという弓道。バイトは個別指導塾。
「塾のバイトをさっさと決めといてよかったんですよ。おれ、変な宗教の勧誘を真に受けちゃって、引き込まれかけたんですけど、塾のバイトの先輩が救出してくれたんです」
「毎年一定数の新入生が入信しかけるんだって。お人好しがそういうのに引っ掛かる」
「お人好しってのは、自分でもわかってるんですけどね。バイトにも部活にも法学部の先輩がいて、次また『命懸けのお願い』を赤の他人にされたときは、ひとまず自分に相談しろって」
苦笑いする竜也は、新生活での発見を生き生きと語ってくれる。わたしは笑ったし、自分のときの話もした。すぐに喉が嗄れた。咳払いを繰り返すと、竜也は食事の手を止めて真剣な顔つきになった。
「やっぱり体調悪いんじゃないですか?」
「何でもない」
「でも」
「普段あんまりしゃべらないから、何か喉が疲れた」
「歌ったりとかは、もうしてないんですか?」
痛いところを突かれて、わたしは竜也から目をそらす。
「まあ……聴くほうが多い。BUMP OF CHICKENってバンド」
「あ、軽音部の友達が、すげーいいって言ってたバンドだ」
「この間、初めて聴いたの。聴き始めたばっかりって感じ。二〇〇一年にリリースした『天体観測』で一気に有名になったらしいんだけど、わたし、高校時代はテレビもラジオも触れてなかったから」
わたしはまた声がかすれて、咳払いをした。夢飼いでのバイト中もよくこんなふうになるから、大丈夫なのかと、マスターや先輩たちに訊かれる。大丈夫です、というわたしの返事はとても空っぽだ。
竜也が食事を終えて、セットドリンクのミルクティーをもらった。わたしは二杯目のブラックコーヒー。わたしは、大丈夫かと訊かれて大丈夫と返すときみたいに、空っぽな気持ちで竜也に言った。
「もう食事とか誘わないで。わたし、彼氏いるから」
竜也がどんな顔をしたのか、わたしは見ていない。知りたくなかった。竜也は少しの間、黙っていた。
固まっていた空気が、再び動き出す。竜也は、乾いた声で笑った。
「そうだったんですね。じゃあ、今日、迷惑だったですよね。すいません。彼氏さんに謝っておいてください。あの……彼氏さんって、どんな人なんですか?」
「どんな人、なんだろ……」
「え? えっと、共通の趣味があって知り合ったとか、何か、どんな感じなのかなって思って」
「あの人の部屋、本がない。音楽もなくて、学部も違って。あの人が好きな映画、わたしは、どこがおもしろいのかわからない」
つい今しがたまで笑っていられたのに、もうダメだ。笹山のことを話し始めたとたん、竜也と二人で食事をしているという今の状況が、たまらなく苦しくなった。苦しみをできるだけ抑えるために、わたしは急いで心を凍らせて、その動きを止める。
笹山の部屋には、金曜、土曜、日曜の夜に泊まりに行く。来いと言われるから、抱かれに行く。掃除や洗濯を少しする。昼間から夕方にかけては、笹山が出掛けることも多いから、わたしも自分の時間を過ごす。たいていバイトを入れる。
いつ、どんな会話があるだろうか。何もしゃべっていないかもしれない。やるべきことが決まっているから、その流れに従うだけだ。安定感はあるんだと思う。抱かれても気持ちよくはない。最初のころほどの痛みはなくなったから、それでよしとしている。
口数の少なくなった竜也は、別れ際になって、わたしに尋ねた。
「蒼さん、彼氏さんとうまくいってます?」
「たぶん」
「じゃあ、何でそんな、笑わないんですか? 彼氏さんと一緒にいて楽しいですか?」
「楽しいって、何?」
「え?」
「……ごめん。今の、忘れて」
カフェの前で竜也と別れた。それから半年くらい、竜也との音信は途絶えた。夏のホームステイの誘いもなかった。
わたしは何の変化もなく笹山と付き合っていたし、食べたい吐きたいの衝動はどんどんひどくなっていった。体の傷もピアスホールも、ふと我に返ると増えているという、そんな精神状態だった。
書けないし歌えないし弾けないし、こんなんじゃ生き続ける価値もない。BUMP OF CHICKENのひりひりして優しくて傷だらけなサウンドを聴いて正気に戻るたび、あまりにみじめな自分が情けなくて、ひたすら泣いた。
中学時代、いじめのはびこる中で闘わなければ生きられなかったときは、必死で涙を封じてきた。なのに、志望校に合格して、念願の一人暮らしで、彼氏もできて。はたから見たら決して不幸なはずのない今、わたしは病んで涙が止まらなくなっている。
壊れるなら、もういっそのこと、発狂して何もかもわからなくなってしまいたい。
胸に傷を刻んでみても、なかなか心臓には届かない。届かないのがわかっていて、また傷を重ねてしまう。睡眠導入剤や鎮痛剤は、耐性がついたようで、普通の量を飲んでも効かなくなった。ますます死ににくくなってしまったのかな、なんて思う。
死にたかった。死にたかった。死にたかった。
だったら死ねばよかったけれど。
ただ何となく生き続けてしまった。
大学二年生に進学して、十九歳。十代の自分というものがあと一年も存在しないのだと思うと、ただ不思議だった。どうしてわたしはまだ生きているんだろう?
入学したばかりの竜也から「一緒に食事でも」とメールをもらっていた。断ったほうがいい。いや、断るべきだ。わたしは笹山と付き合っている。ほかの男と会うべきではない。本当は連絡を取ることだって、よくない。竜也の連絡先も消したほうがいい。
でも、わたしは竜也とのつながりを断つことができなかった。笹山に見付かったらまずいのに、四月の終わり、大学から離れたエリアにあるカフェで竜也と会った。
お昼時だった。竜也はちゃんとランチを頼んだけれど、わたしは飲み物だけにした。竜也は眉をひそめた。
「蒼さん、体調悪いんですか?」
「食欲がないだけ」
「ほんとに? 食べられるものだけでもつまんだら?」
「平気。朝ごはん、遅かったし」
カフェのメニューは、バターやドレッシングや生クリームなどの脂肪分がたっぷり入ったものばかりだ。食べたら吐いてしまう。
吐くことは、わたしにとって、みじめで病んでいて汚い。竜也と一緒に食事をして、その食事を吐いてしまったら、竜也を汚すことになるような気がした。それはイヤだった。
竜也はサークルではなく、正規の部活に入ったらしい。高校時代にやっていたという弓道。バイトは個別指導塾。
「塾のバイトをさっさと決めといてよかったんですよ。おれ、変な宗教の勧誘を真に受けちゃって、引き込まれかけたんですけど、塾のバイトの先輩が救出してくれたんです」
「毎年一定数の新入生が入信しかけるんだって。お人好しがそういうのに引っ掛かる」
「お人好しってのは、自分でもわかってるんですけどね。バイトにも部活にも法学部の先輩がいて、次また『命懸けのお願い』を赤の他人にされたときは、ひとまず自分に相談しろって」
苦笑いする竜也は、新生活での発見を生き生きと語ってくれる。わたしは笑ったし、自分のときの話もした。すぐに喉が嗄れた。咳払いを繰り返すと、竜也は食事の手を止めて真剣な顔つきになった。
「やっぱり体調悪いんじゃないですか?」
「何でもない」
「でも」
「普段あんまりしゃべらないから、何か喉が疲れた」
「歌ったりとかは、もうしてないんですか?」
痛いところを突かれて、わたしは竜也から目をそらす。
「まあ……聴くほうが多い。BUMP OF CHICKENってバンド」
「あ、軽音部の友達が、すげーいいって言ってたバンドだ」
「この間、初めて聴いたの。聴き始めたばっかりって感じ。二〇〇一年にリリースした『天体観測』で一気に有名になったらしいんだけど、わたし、高校時代はテレビもラジオも触れてなかったから」
わたしはまた声がかすれて、咳払いをした。夢飼いでのバイト中もよくこんなふうになるから、大丈夫なのかと、マスターや先輩たちに訊かれる。大丈夫です、というわたしの返事はとても空っぽだ。
竜也が食事を終えて、セットドリンクのミルクティーをもらった。わたしは二杯目のブラックコーヒー。わたしは、大丈夫かと訊かれて大丈夫と返すときみたいに、空っぽな気持ちで竜也に言った。
「もう食事とか誘わないで。わたし、彼氏いるから」
竜也がどんな顔をしたのか、わたしは見ていない。知りたくなかった。竜也は少しの間、黙っていた。
固まっていた空気が、再び動き出す。竜也は、乾いた声で笑った。
「そうだったんですね。じゃあ、今日、迷惑だったですよね。すいません。彼氏さんに謝っておいてください。あの……彼氏さんって、どんな人なんですか?」
「どんな人、なんだろ……」
「え? えっと、共通の趣味があって知り合ったとか、何か、どんな感じなのかなって思って」
「あの人の部屋、本がない。音楽もなくて、学部も違って。あの人が好きな映画、わたしは、どこがおもしろいのかわからない」
つい今しがたまで笑っていられたのに、もうダメだ。笹山のことを話し始めたとたん、竜也と二人で食事をしているという今の状況が、たまらなく苦しくなった。苦しみをできるだけ抑えるために、わたしは急いで心を凍らせて、その動きを止める。
笹山の部屋には、金曜、土曜、日曜の夜に泊まりに行く。来いと言われるから、抱かれに行く。掃除や洗濯を少しする。昼間から夕方にかけては、笹山が出掛けることも多いから、わたしも自分の時間を過ごす。たいていバイトを入れる。
いつ、どんな会話があるだろうか。何もしゃべっていないかもしれない。やるべきことが決まっているから、その流れに従うだけだ。安定感はあるんだと思う。抱かれても気持ちよくはない。最初のころほどの痛みはなくなったから、それでよしとしている。
口数の少なくなった竜也は、別れ際になって、わたしに尋ねた。
「蒼さん、彼氏さんとうまくいってます?」
「たぶん」
「じゃあ、何でそんな、笑わないんですか? 彼氏さんと一緒にいて楽しいですか?」
「楽しいって、何?」
「え?」
「……ごめん。今の、忘れて」
カフェの前で竜也と別れた。それから半年くらい、竜也との音信は途絶えた。夏のホームステイの誘いもなかった。
わたしは何の変化もなく笹山と付き合っていたし、食べたい吐きたいの衝動はどんどんひどくなっていった。体の傷もピアスホールも、ふと我に返ると増えているという、そんな精神状態だった。
書けないし歌えないし弾けないし、こんなんじゃ生き続ける価値もない。BUMP OF CHICKENのひりひりして優しくて傷だらけなサウンドを聴いて正気に戻るたび、あまりにみじめな自分が情けなくて、ひたすら泣いた。
中学時代、いじめのはびこる中で闘わなければ生きられなかったときは、必死で涙を封じてきた。なのに、志望校に合格して、念願の一人暮らしで、彼氏もできて。はたから見たら決して不幸なはずのない今、わたしは病んで涙が止まらなくなっている。
壊れるなら、もういっそのこと、発狂して何もかもわからなくなってしまいたい。
胸に傷を刻んでみても、なかなか心臓には届かない。届かないのがわかっていて、また傷を重ねてしまう。睡眠導入剤や鎮痛剤は、耐性がついたようで、普通の量を飲んでも効かなくなった。ますます死ににくくなってしまったのかな、なんて思う。
死にたかった。死にたかった。死にたかった。
だったら死ねばよかったけれど。
ただ何となく生き続けてしまった。