わたしは保健室のストーブのそばで毛布にくるまってうずくまっていた。保健室の利用者名簿の記入は尾崎が済ませたらしい。雅樹はいなくなった。何度か体温を測った。どう測っても三十五度ようやく届く程度で、脈拍も遅かった。

 養護の先生が眉をひそめてわたしに言った。
「ちょっと体重計に乗ってみてもらえる?」
 保健室の隅に何種類かあるうちの一台、計られる側からは目盛りが見えないように布が貼られたものを、先生は指差した。

 わたしは強烈な抵抗感を覚えた。イヤだと言いたかったけれど、いつの間にか隣にいた尾崎がわたしを抱きかかえて支えようとする。
「自分で立てる」

 尾崎の手を振り払った以上、そのまま強がるしかなかった。先生はカルテのようなものを手に、体重計のところで待っている。
 わたしは上履きを脱いで体重計に乗った。アナログな体重計特有のグラグラする感じを、キモチワルイと思った。

 先生がため息をついた。
「四月からの半年で十二キロも体重が落ちるなんて。内臓に病気があるわけじゃないんでしょう? 成長途中の十代の子がこんな無茶をしちゃダメよ。受験で追い詰められてるの? 体を壊したら、元も子もないのよ」

 真剣に怒っているんだな、と感じられた。先生の叱咤はわたしの中を素通りした。わたしは暗い喜びを覚えた。
 こんなことするの、健康によくないんだって。わたしにふさわしい仕打ちだと思う。わたしは、クズみたいなものだし。能力の伸びしろがあってこのまま捨てるのはもったいないから、一応生かしているだけ。チカラを証明できたら、これ、さっさと捨てるつもりだから。

 わたしはまだ寒くて、立っているのがきつかった。さっきと同じように、ストーブのそばで毛布にくるまる。尾崎は授業に戻ろうとしない。先生が用事のために「五分だけ」と言って職員室に向かう。

 尾崎は、声をひそめてわたしに言った。
「部誌の冬号は、やっぱ、やる気ないよね?」
「無理」
「わかってる。でも、終わったなって思うと寂しくてさ。昨日、上田と話したんだよ。自習室でたまたま見付けてね。あいつ、蒼に会う口実がなくなって沈んでた。話し掛けに来りゃいいじゃんって言ったけど、それができるタイプじゃないし」

「……何が言いたいの?」
「いや、別に何も。終わるよなーって。変わるんだよなーって。そういうのを最近、すごい感じるだけ」
「わたしはさっさと終わりたい」
「上田も、それが蒼のためになるって言ってた。自分みたいなのは蒼にとってしがらみや足手まといにしかならないって。中学のころ、何があったか知らないけどさ」

 尾崎と話すのは何ヶ月ぶりだろう? いや、何度目のことだろう? 同じクラス、同じ文芸部。でも、用事をこなすための二言、三言くらいしか、普段は会話がなかった。
 笑顔の気配が隣にある。尾崎は笑って告げた。

「実は、さっきのは嘘。自習室でたまたま見付けたってのは嘘なんだ。上田のこと呼び出して、好きなんだけどって言ったら、蒼への気持ちが消えるまで待ってっていう返事だった」
「バカだ」

「だよなー。蒼、遠くに行っちゃうしね。あたしにしとけば、志望校も滑り止めも一緒なのにさ。まあ、恋愛なんてさ、そんなもんかなって」
「わかんない」
「そうだね。蒼はそうやって、氷みたいに透き通っててきれいなまんまでいてよ。上田のことは、あたしが時間かけて面倒見てやるんだからさ」

 保健室の扉が開く音がした。とっさにビクッと首をすくめる。振り返ると、そこにいたのは先生ではなくて雅樹だった。
 雅樹はスタスタと近付いてきて、わたしにペットボトルを突き付けた。温かいミルクティーだ。

「どうせまた飲み食いしてないせいなんだろ。甘いもん嫌いなのは知ってるけど、とりあえずこれ飲んで温まれよ」
 糖分も水分も、体の中に入れたくない。でも、押し付けられたペットボトルは温かくて、わたしは喉が渇いていて、誘惑に負けた。ペットボトルを開けて口を付ける。
 甘い。舌から喉へと、ほどよい熱が転がり落ちた。じゅわっと染みるように、胃が温まる。その感触がくすぐったくて、わたしは思わず、うっと小さく声を上げた。

 雅樹がわたしの前にしゃがみ込んだ。
「響告大、合格して入学したら、大学のまわりの飯屋、一緒にいろいろ行ってみよう」
「何で?」
「おれ、料理とか全然できないし」

 半年後にはそれが実現しているんだろうか。そんな未来はまったくイメージもできない。わたしにはただ、「今」があるだけだ。過去のことも、もう忘れたふりをしている。自分がどうしてこんな自分になったのか、思い出さないことにしている。
 わたしは雅樹の言葉には応えずに、ミルクティーのことだけは、投げ付けるように「ありがとう」と言った。

 先生が保健室に帰ってくると、雅樹と尾崎は体育の授業に戻っていった。わたしは結局、その日は早退した。大叔母が車で学校まで迎えに来た。こたつで勉強をするつもりが、意識を失うようにして眠ってしまった。仕方がない、と、この日だけはノルマをサボった。