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ひとみと雅樹は、日曜日には下宿で食事が出ない。日曜日の夜に二人を家に呼んで食事を振る舞うことは、頻度を落としながらも続いていた。
欠席ばかりの一年生の間、わたしはその席でしゃべらないのが定番になっていた。ひとみと雅樹がしゃべり、わたしの母がしゃべる。それで十分、食事会らしい形になっていた。
ミネソタから買ってきた、変わった形のパスタと知らない名前のパスタソースが食事のメインだった日。
食後にわたしは自分の部屋に引っ込んで、焼き増しした写真の仕分けと送り先の宛名書きをした。ひとみはわたしと一緒に部屋に来て、数学の先生から勧められたという科学の本を読んでいた。
「さすがにちょっと難しいな。先生も、理系の大学生が読む本って言ってたし」
途中で集中力の尽きたひとみが、並べて分けた写真をのぞき込んだ。
わたしが撮った写真は風景が多かった。でも、誰のカメラの前でも笑顔になってピースサインをするタイプの子が何人かいて、そういう子は周りも巻き込んでにぎやかな写真を撮ろうとする。
最初、わたしは面食らった。わたしはノリノリで「はい、チーズ」なんて言えないし、どうしていいかわからなかった。照れくさいような恥ずかしいような思いをしながら、でも結局は変なペースに巻き込まれて、作り笑顔でシャッターを切った。
はいチーズには、言う側でも言われる側でも、最後までうまくなじめなかった。けれど、こういう写真を撮っておいてよかったと、写っている人数に合わせて焼き増しの枚数を数えながら、そう思った。
場所があって人がいて、その日の空の色が写っていて。そうすると、そこにどんな空気が流れていたかを、わたしは鮮やかに思い出すことができる。この写真を撮りながらどんな会話をしたか、わたしは覚えている。
こうやってみると、竜也と一緒に撮られている写真が意外に多い。一緒に行動した印象はあまりなかった。ただ、最年長のわたしと竜也がいる場所に年少の子たちが寄ってくる傾向があったから、招集の目印として、並んで立つことがしばしばあった。
ひとみは、写真から目を上げた。
「蒼ちゃんはいつもズボンだね。髪も短くて、隣に写ってる男の子より背が高い。何かカッコいいよね」
「スカート持ってないから。制服以外は」
「男になりたいみたいな気持ち、もしかして ある?」
「なりたいわけじゃない。女子でいたくない。それだけ」
「なるほどね。蒼ちゃんがそう考えてるっていうの、わかるよ。蒼ちゃんのそういうところやっぱりカッコいい」
ひとみはニコニコして、スカートをふわっと広げながら、わたしにくっついた。
ハッキリとした違和感がわたしの中に生まれ始めたのは、たぶんそのときだったと思う。ひとみの様子が、ひとみの態度が、ひとみの目の輝き方が、木場山に住んでいたころと比べて何だか変わった。
その何日か後、ひとみからデートしようと誘われた。カラオケに行って買い物をして晩ごはんを食べて帰ろう、と。わたしは断らなかった。断る理由を見付けられなかったから。
珍しく補習も模試もない日曜日、ひとみの下宿の近所のバス停で待ち合わせて、繁華街に行った。
まずファミレスでお昼を食べて、カラオケ、本屋、アクセサリーショップ、アパレルショップ。最後に、デートの定番として有名なチェーンのイタリアンに行って、カップル向けの二人前のセットを食べた。
小柄なひとみは、レトロでふわふわしたワンピース姿。わたしは男女兼用のネルシャツに、飾り気のないジーンズとスニーカー。
「身長差十五センチって、ちょうどいい感じだよね」
はしゃいでわたしの手を取るひとみに、わたしの中の違和感は膨らんでいった。カラオケで、ひとみはラブソングを歌った。わたしは男性の曲を入れることがもともと多いのだけれど、その日はひとみのリクエストがあって、それに従っていたら全部が男性の曲になった。
どのアクセサリーが似合うか選んで、と言われた。服の試着にも付き合った。買いたいもののないわたしはぼんやりしながら、とりあえず一日、ひとみのやりたいとおりにやらせていた。
ひとみはずっとわたしの手を握ったり、わたしの腕に自分の腕を絡めたりしていた。帰りのバスで嬉しそうに言った。
「デートらしいデート、してみたかったんだ。またこういうことできるかな?」
「別にいいけど」
「じゃあ、これからは蒼ちゃんがあたしの王子さま係ね」
わたしは失笑してしまった。顔のニキビは、ミネソタにいる間に少し引いていたのに、帰国してまた赤く腫れ出した。王子さまなんていえるようなスリムな体型でもない。
でも、ひとみは本気だった。
「あたし、この間、告白されたんだよね。雅樹くんと同じ理系クラスの男子に。あたし、数学のことを聞きに先生のところに行くでしょ? そのときにチラチラ話す相手ではあったんだけど、告白されたとき、怖かった」
「怖かった?」
「余裕がない目をしてた。本気で力を出したら、男子ってすごく強いよね。あたし、ちっちゃいし、男子はみんな大きくて、その体格差だけですごく怖いんだよ」
「告白、断ったの?」
「断った。そしたら、すごく寂しい気持ちになった。好きじゃない男子とは付き合えないよ。怖いと思った相手と付き合えない。でも、デートとか、してみたい。寂しいのは嫌なの」
「だから、わたし? 他に頼める相手いなかったの? 雅樹とか」
「蒼ちゃんしか考えられなかった。それで、今日の一日デートしてみて、正解だったと思った。また誘うね?」
わたしは答えない。答えられない。拭えない違和感の正体を探そうとして、窓ガラスに映る自分とにらみ合いながら、じっと考える。
ひとみはご機嫌でバス降りていった。わたしのモヤモヤはこの日に始まって、ずっとまとわり付き続けることになる。
ひとみと雅樹は、日曜日には下宿で食事が出ない。日曜日の夜に二人を家に呼んで食事を振る舞うことは、頻度を落としながらも続いていた。
欠席ばかりの一年生の間、わたしはその席でしゃべらないのが定番になっていた。ひとみと雅樹がしゃべり、わたしの母がしゃべる。それで十分、食事会らしい形になっていた。
ミネソタから買ってきた、変わった形のパスタと知らない名前のパスタソースが食事のメインだった日。
食後にわたしは自分の部屋に引っ込んで、焼き増しした写真の仕分けと送り先の宛名書きをした。ひとみはわたしと一緒に部屋に来て、数学の先生から勧められたという科学の本を読んでいた。
「さすがにちょっと難しいな。先生も、理系の大学生が読む本って言ってたし」
途中で集中力の尽きたひとみが、並べて分けた写真をのぞき込んだ。
わたしが撮った写真は風景が多かった。でも、誰のカメラの前でも笑顔になってピースサインをするタイプの子が何人かいて、そういう子は周りも巻き込んでにぎやかな写真を撮ろうとする。
最初、わたしは面食らった。わたしはノリノリで「はい、チーズ」なんて言えないし、どうしていいかわからなかった。照れくさいような恥ずかしいような思いをしながら、でも結局は変なペースに巻き込まれて、作り笑顔でシャッターを切った。
はいチーズには、言う側でも言われる側でも、最後までうまくなじめなかった。けれど、こういう写真を撮っておいてよかったと、写っている人数に合わせて焼き増しの枚数を数えながら、そう思った。
場所があって人がいて、その日の空の色が写っていて。そうすると、そこにどんな空気が流れていたかを、わたしは鮮やかに思い出すことができる。この写真を撮りながらどんな会話をしたか、わたしは覚えている。
こうやってみると、竜也と一緒に撮られている写真が意外に多い。一緒に行動した印象はあまりなかった。ただ、最年長のわたしと竜也がいる場所に年少の子たちが寄ってくる傾向があったから、招集の目印として、並んで立つことがしばしばあった。
ひとみは、写真から目を上げた。
「蒼ちゃんはいつもズボンだね。髪も短くて、隣に写ってる男の子より背が高い。何かカッコいいよね」
「スカート持ってないから。制服以外は」
「男になりたいみたいな気持ち、もしかして ある?」
「なりたいわけじゃない。女子でいたくない。それだけ」
「なるほどね。蒼ちゃんがそう考えてるっていうの、わかるよ。蒼ちゃんのそういうところやっぱりカッコいい」
ひとみはニコニコして、スカートをふわっと広げながら、わたしにくっついた。
ハッキリとした違和感がわたしの中に生まれ始めたのは、たぶんそのときだったと思う。ひとみの様子が、ひとみの態度が、ひとみの目の輝き方が、木場山に住んでいたころと比べて何だか変わった。
その何日か後、ひとみからデートしようと誘われた。カラオケに行って買い物をして晩ごはんを食べて帰ろう、と。わたしは断らなかった。断る理由を見付けられなかったから。
珍しく補習も模試もない日曜日、ひとみの下宿の近所のバス停で待ち合わせて、繁華街に行った。
まずファミレスでお昼を食べて、カラオケ、本屋、アクセサリーショップ、アパレルショップ。最後に、デートの定番として有名なチェーンのイタリアンに行って、カップル向けの二人前のセットを食べた。
小柄なひとみは、レトロでふわふわしたワンピース姿。わたしは男女兼用のネルシャツに、飾り気のないジーンズとスニーカー。
「身長差十五センチって、ちょうどいい感じだよね」
はしゃいでわたしの手を取るひとみに、わたしの中の違和感は膨らんでいった。カラオケで、ひとみはラブソングを歌った。わたしは男性の曲を入れることがもともと多いのだけれど、その日はひとみのリクエストがあって、それに従っていたら全部が男性の曲になった。
どのアクセサリーが似合うか選んで、と言われた。服の試着にも付き合った。買いたいもののないわたしはぼんやりしながら、とりあえず一日、ひとみのやりたいとおりにやらせていた。
ひとみはずっとわたしの手を握ったり、わたしの腕に自分の腕を絡めたりしていた。帰りのバスで嬉しそうに言った。
「デートらしいデート、してみたかったんだ。またこういうことできるかな?」
「別にいいけど」
「じゃあ、これからは蒼ちゃんがあたしの王子さま係ね」
わたしは失笑してしまった。顔のニキビは、ミネソタにいる間に少し引いていたのに、帰国してまた赤く腫れ出した。王子さまなんていえるようなスリムな体型でもない。
でも、ひとみは本気だった。
「あたし、この間、告白されたんだよね。雅樹くんと同じ理系クラスの男子に。あたし、数学のことを聞きに先生のところに行くでしょ? そのときにチラチラ話す相手ではあったんだけど、告白されたとき、怖かった」
「怖かった?」
「余裕がない目をしてた。本気で力を出したら、男子ってすごく強いよね。あたし、ちっちゃいし、男子はみんな大きくて、その体格差だけですごく怖いんだよ」
「告白、断ったの?」
「断った。そしたら、すごく寂しい気持ちになった。好きじゃない男子とは付き合えないよ。怖いと思った相手と付き合えない。でも、デートとか、してみたい。寂しいのは嫌なの」
「だから、わたし? 他に頼める相手いなかったの? 雅樹とか」
「蒼ちゃんしか考えられなかった。それで、今日の一日デートしてみて、正解だったと思った。また誘うね?」
わたしは答えない。答えられない。拭えない違和感の正体を探そうとして、窓ガラスに映る自分とにらみ合いながら、じっと考える。
ひとみはご機嫌でバス降りていった。わたしのモヤモヤはこの日に始まって、ずっとまとわり付き続けることになる。