オープンキャンパスの開会式は長くて、体育館いっぱいの人混みのせいで暑くて息苦しかった。立ったままで、高校の校長先生の話を聞いているうちに、だんだんめまいがしてきた。

「蒼?」
 肩を揺さぶられてハッとしたとき、わたしはしゃがみ込んでいた。立っていたはずなのに。
 わたしを呼んだのは雅樹だ。ひとみと雅樹が床に膝を突いて、わたしの顔をのぞき込んでいた。

「蒼ちゃん、貧血? 琴野中の先生、呼んでくる?」
「蒼、昨夜は眠れなかったんだろ? 無理すんなよ」
 大丈夫、とだけ答えた。タイミングよく、会場じゅうの人が座って話を聞く流れになったから、わたしは目立たずにすんだ。

 寒気がする。鼓動が変なふうに高鳴っていた。ひとみと雅樹に、知られたくないことを知られてしまう。わたしがおかしいってことに気付かれてしまう。それがイヤで、怖くて、暑いのに鳥肌が立った。壇上で誰かが話す言葉には、まったく集中できなかった。

 オープンキャンパスのメインイベントは、体験授業だ。適当な人数ごとに、希望する科目を受けられる。
 ひとみと雅樹のリクエストで、わたしたちは特進科の数学を受けた。内容もスピードも高校の授業そのままだという事前説明どおり、めちゃくちゃ難しかったし速かった。

 わたしは基本的に文系だ。数学も理科も授業の内容を完璧にしているから定期テストでは点が取れるけれど、実力テストは点数が落ちる。計算も遅い。
 高校レベルだという数学の授業に、わたしは不安を覚えた。わたしとは裏腹に、出された課題を真っ先に解いたのは、雅樹だった。指名されて黒板に完璧な正答を書いたのは、ひとみだった。

 やっぱりというか相変わらずというか、美形の雅樹は注目の的だった。雅樹自身も当然、周囲の視線には気付いている。「めんどくせえ」とつぶやくのが聞こえてしまった。
 ひとみもまた人に好かれるタイプだ。数学の先生は、四十歳くらいとおぼしき背の高い男の人で、黒板に書かれた計算問題の位置がひどく高かった。おかげで、当てられて答えを書くことになった小柄なひとみは、黒板の前で背伸びをした。

「すみません、全然、届きません」
 笑いが起こった。バカにする感じではなくて、ごく普通の笑いだ。先生も、メガネを掛けた顔をクシャクシャにした。
「ごめん。届くところに書いてもらっていいですよ」

 声のいい、丁寧な物腰の先生だった。優しいおじさんといった感じで、ちっともカッコよくはないけれど、ひとみはその先生を気に入ったらしい。うちの母が作った三人おそろいの弁当を広げているとき、ひとみはずっとハイテンションだった。

「あたし、絶対に日山高校に通う! あの先生の授業、受けたい!」
 オープンキャンパスの中学生用に開放された教室でのことだ。外からは、部活終わりの高校生の声が聞こえてくる。オープンキャンパスに参加中の後輩に先輩が会いに来る、という場面も見かけた。

 先に食べ終わった雅樹は、さっさと席を立った。
「適当にうろついてくる。ここにいるだろ?」
「たぶん」
 午後は校内見学があって、体育館に移動して在校生の学校紹介を聞いて、それから閉会式だ。

「面倒だな、もう……」
 思わず文句を言ったら、ひとみが眉をハの字にして、シュンとしおれた。
「ごめんね。蒼ちゃんは体調があんまりよくないみたいなのに、あたしたちに付き合わせちゃって」
「体調悪いってほどのこともないんだけど」
「でも、顔色が悪いよ。無理してるみたい」
 無理はしている。かなり。そんなこと言えないけれど。

 遠巻きに見られている感じがあった。琴野中の人たちだ。わたしに声をかけたいのか、ひとみと話してみたいのか、それとも雅樹狙いなのか。
 弁当の味がしない。匂いだけが鼻を刺激する。作り立ての料理とは違う、保冷剤でどうにか鮮度をキープした、弁当特有の匂いが。空腹だったら嬉しいはずのその匂いなのに、わたしの胃はいつも痛くて不快で、食べ物をおいしそうだと感じることができない。

 のろのろと弁当を食べ終えたとき、雅樹が戻ってきた。
「蒼と同じクラスの男子に声かけられて、ちょっとしゃべってきたんだけど」

 ゾクッとして、わたしは顔を上げた。
 眉間に少ししわを寄せた雅樹は、まるで初めて会う人みたいだった。大人びた表情。怒っているわけではなく、でも、ひどくクールな印象というか。

 たぶんだけど、と雅樹は言った。
「さっき話してきたそいつさ、蒼のこと好きなんだと思う。何かすっげー微妙な表情してて、おれが蒼とどういう関係なのか聞きたがってた」
「何て答えたの?」
「幼なじみ」
「って呼べるほど一緒にいたわけじゃないでしょ」

 雅樹はわたしの言葉には応えずに、ため息をついて、短い髪をクシャクシャと掻いた。
「都会の空気ってやつ? いろいろ、進んでそうな人が多いなーって感じるんだけど」

 ひとみは小首をかしげた。
「進んでそうって?」
「付き合っててどこまで行ってるとか、そういう話。よくそんなに露骨に話せるよなって。わざわざオープンキャンパスに来て、そんなんばっかしゃべってるグループとか、けっこうあってさ」

 そういうグループのほうが琴野中では普通だ。むしろ、純粋に高校の見学と体験に来たひとみと雅樹のほうが変わっている。
 もしもわたしが木場山にいるままだったら、二人と一緒に、まじめにオープンキャンパスに参加しに来たんだろうか。そして、都会の空気に違和感を覚えたんだろうか。

 そんな「もしも」なんて、思い描いたって、どうしようもないけれど。わたしは、今は琴野中の生徒だ。違和感だらけの大嫌いな空気の中で生きなければならない、琴野中の異分子だ。