夜、電話がかかってきた。久しぶりに、ひとみからだった。木場山中のころにいちばん仲が良かったのが、たぶんひとみだ。

〈元気? あのね、お願いがあって、電話したの。夏休み、そっちの高校のオープンキャンパスのとき、蒼ちゃんちに泊めてもらえないかと思って〉
「ああ、いいけど。オープンキャンパス、行くんだ?」
〈蒼ちゃんは行かないの? 県立高校、狙ってるでしょ?〉
「そうだけど」

〈蒼ちゃんちから近いんだよね?〉
「県立五校のうちでいちばん近い学校は琴野町内にあるよ。歩いて行ける範囲」
〈オープンキャンパス、一緒に行こうよ。雅樹くんも行くって言ってた。雅樹くんも蒼ちゃんちに泊めてもらう予定って〉
「は? 聞いてない」

 わたしは聞いていなかったけれど、うちの親と雅樹の親の間で話が付いていたらしい。ひとみとの電話を切った後、初めて知った。気が重くなった。

 進路説明会や進学関係の集会は、わたしはいつも欠席している。いちばん近い県立高校に行く。成績的にも問題ないし、通学時間は短いほうがいい。迷う要素もなかったから、オープンキャンパスにも行かないつもりだった。
 だけど、ひとみも雅樹も来るんだったら仕方ない。わたしだけが欠席するわけにはいかない。わたしは、夏休みには一度も袖を通すつもりのなかった制服を、オープンキャンパスの日に着ることにした。

 ひとみと雅樹は、オープンキャンパスの前日に来た。二泊三日で、最終日にちょっとだけ観光をして帰る、という予定。
 駅で会った瞬間、変わったなと思った。ひとみはふっくらして大人びて、雅樹はだいぶ背が伸びた。

「蒼ちゃんは変わってなーい!」
 ひとみはテンションが高かった。電車で少し乗り物酔いしたという雅樹は、逆にけだるげだった。雅樹は、唇の片方だけ持ち上げる笑い方をして、声変わりを終えた低い声で言った。
「蒼が縮んだように見える。おれが伸びただけなんだけど」

 わたしは、何か言い返そうとした。とっさに声が出なかった。しゃべれない。学校で一言も声を発しない日がある。そんなふうだから、わたしは会話の仕方がわからなくなっている。
 変な表情をしてしまったのかもしれない。ひとみと雅樹がわたしの顔をのぞき込んだ。わたしは視線をそらした。

 高校では、ひとみや雅樹と同じところに通うことになる。きっと、中学時代のわたしの様子を、二人とも知ることになるだろう。カッコ悪いって思われるだろうな。
 いや、それ以前に、オープンキャンパスだ。日常生活では授業以外は全部、ホームルームも集会も避けてきたわたしが、オープンキャンパスなんていうイベントに耐えられるだろうか。
 いちいちこんな心配をしなければならないなんて、本当に、わたしは普通ではない。おかしい。壊れている。

 わたしたちの第一志望校は、県立日山高校といって、小高い丘の上に建っている。わたしとひとみと雅樹はオープンキャンパスの始まりよりも早めに行って、琴野中の先生に話を通した。

「この二人は前の学校の同級生で、日山高校を受けるつもりなんです。オープンキャンパスでは、中学ごとに整列したり行動したりってことになってますけど、二人はどうしたらいいでしょう?」

 わたしの担任は理科担当の若い男の先生で、締め付けはあまり厳しくない。担任は、ひとみと雅樹に愛想よく挨拶をして、わたしに告げた。

「三人で行動していいよ。ただし、開会式と閉会式は、琴野中の列のいちばん後ろとか、こっちが把握しやすい場所にいてもらえると助かるかな。木場山中だっけ? 制服が違うから目立っちゃうけど、我慢してね」

 オープンキャンパスに参加するのは、日山高校から比較的近い数校の公立中学校だった。ぞろぞろと体育館に集まってくる人混みの中で、木場山中の時代がかったブレザーの制服は、確かに目立つみたいだった。
 ひとみと雅樹に注目が集まった。二人のそばにいるわたしのところには、いつもよりも人が寄ってくる。特に女子だ。

「蒼ちゃん、あのカッコいい人、誰? 芸能人みたい」
 やっぱり雅樹って、外から見ると、そんなふうなんだ。
「前の学校の同級生」
「もしかして、噂になってる蒼ちゃんの彼氏?」
「は?」

「だって、蒼ちゃん、恋バナとか全然、反応しないでしょ? きっと前の学校に彼氏がいて遠距離してるんだって、みんな噂してる」
「違う。そんなんじゃない」
「じゃあ、あのカッコいい人、もう一人の子の彼氏?」

 どうしてそう短絡的に誰かと誰かをくっつけようっていう発想になるんだろう? 男女だったらくっつけたがるし、同性だったら対立構造の噂を立てたがる。噂がきっかけで人間関係がおかしくなった人を、保健室で何人も見てきた。

「ひとみも違う。今、木場山で誰がどうなってるとか、わたしにはわからないから」
「そーだよね。蒼ちゃん、もう琴野の子だもんねー」

 ウチらの仲間と言わんばかりの笑顔と口調に、胸の中でイラッとした。琴野の子。自分では絶対に認めたくないことだ。わたしは、どこにも所属したくない。一人でいたい。

 ひとみは相変わらず無邪気だった。
「あたしたちが蒼ちゃんのこと取っちゃって、琴野中の人たちに悪いね」
「気にしなくていいと思う」
「蒼ちゃんは、相変わらずクールだー」
「そう?」
「あたしは、一人じゃ全然ダメだもん。県立の中でも日山高校にしたいのは、蒼ちゃんがここに来るってわかってるからだし。大学も、たぶん県外に出ることになるでしょ? でも、蒼ちゃんと一緒だったら安心だなって思ってて」

 大学、か。考えたこともなかった。そんな年齢まで自分が生きられるなんて、信じられなくて。