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 それからの毎日は、すさまじい疲労感とともに、のろのろと流れていった。わたしは勉強をするためだけに学校に行っているんだ。そんなふうに必死で念じながら、何の楽しみもない世界へと、毎日、踏み込んでいく。

 夜、眠るのが苦痛だった。目を閉じて眠りに落ちたら、あっという間に朝が来てしまう。学校に行かなければならない。
 眠るのがイヤでイヤでイヤで、そうしたら、あるときから眠れなくなった。夜、少しも眠くならない。

 時間があり余った。本を読んだり小説を書いたりゲームをしたりする。最初は「寝なさい」と言っていた親も、結局あきらめたらしい。わたしは誰からも何も言われない時間を手に入れて、新聞配達のバイクが走る音が聞こえるころまで、起きて過ごした。
 朝方と夕食前に、うとうとする。休日の昼間には、死んだように眠る。いつもいつも疲れていた。

 食事は、何を食べていたんだっけ? 好きな食べ物というのがわからなくなったのは、いつからだったっけ? 甘いものをおいしいと感じなくなったのは、この時期じゃなかったっけ?
 給食は、シクシク痛む胃には量が多すぎて、苦痛だった。ごはんは最初から少なくよそった。パンは、袋を開けることすらしなかった。デザートにも毎度、手を付けなかった。そのぶん、家で何を食べていたっけ?

 眠ることと食べること。人が生きるうえで当たり前のことが、上手にできない。学校という場所にいるのが苦痛だというのも、普通ではない。わたしはおかしい。壊れている。いっそこのままバラバラになってしまえばいいのに。

 休み時間も昼休みも一人だった。壁を作る方法を、わたしは自然と身に付けていた。
 勉強していたらいいんだ。そうしたら、誰も声をかけてこない。

 わたしが授業中に取るノートは、ぐちゃぐちゃなくらいに書き込んである。先生が授業中に発言する言葉は、拾えるだけ全部メモした。
 ぐちゃぐちゃのノートを、休み時間や昼休みに清書する。キレイに書いたほうのノートは、智絵の家に届ける。

 初めて智絵の家にノートを届けたときは不安だった。余計なお節介だと、自分でも思っていた。「いらない」と拒まれたら、どうしよう?
 でも、拒まれなかった。智絵は部屋に引きこもったまま出てこなかったけれど、智絵によく似た、まつげが長くてやせた体つきのおかあさんが、ノートを受け取ってくれた。わたしの書いた小説と手紙も一緒に。

 拒まれないなら、頑張れる。一年間、耐えてみせる。
 新しいクラスでもいじめがあるのかもしれない。グループとか派閥とか、面倒くさいものもあるのかもしれない。
 わたしは目も耳もふさいだ。誰とも関わりたくなかった。孤独になりたかった。空気のようになりたかった。

 邪魔が入る日もあった。例えば、菅野だ。
 菅野は課題ノートの回収係だった。英語や数学は毎日のように提出の必要があって、回収係は仕事が多い。そんな厄介な係を率先して引き受けたのは、そうでもしないと課題をやらないかららしい。
 黙って回収すればいいのに、菅野はちょくちょくわたしに話しかけてきた。

「蒼さんって、いつも勉強してるよな。ノート、まとめ直してるの? それやったら、やっぱ頭に入る?」
「何もしないよりは」
「塾に行ってないのに成績トップクラスって、自分で努力してるからだよなー。すげぇなって、いつも思ってんだ」

 笑顔の気配があって、わたしはそっちを向けない。
 菅野は小柄で童顔で、容姿のとおりに妙に無邪気で子どもっぽいみたいだ。しょっちゅう、からかわれたりバカにされたりしている。

「おい、菅野ー。いくら蒼ちゃんのこと好きだからって、勉強の邪魔すんなってー」
「え、ちょっ、そ、そういんじゃ……」
「図星! 真っ赤になったー!」

 勉強の邪魔なのは、菅野本人よりも、そうやって火をつけて回るやかましいグループだ。スカートの短い女子と、腰パンに茶髪の男子。小柄な菅野がムキになるのを見下ろして、いじめスレスレの汚い言葉で、いじり倒している。
 壁の向こうの出来事だ。勝手に言っていればいい。
 そんなことが、たびたび。わたしはいつもポーカーフェイスを決め込む。好きとか憧れとか美人とか、本当か嘘かわからない言葉の群れにも慣れた。

 壁の向こうのはずだった。徹底的に冷たい空気を出しているつもりだった。
 それが、どうしてなのか。
 いきなり後ろから抱き着かれた。女子だ。わたしよりもだいぶ背の低い、むにむにした体の感触。生ぬるい体温にゾッとして、わたしは息ができなくなる。

「蒼ちゃんのボディ、もっちもちー! 抱き心地サイコー! 胸、超いい感じ!」
 小さくて無遠慮な手がわたしの体の上を這い回った。ピンク色に塗られた長い爪。細い鎖のブレスレット。

 鳥肌が立った。口の中がカラカラになった。体が震えた。
 さわらないで。離れて。勝手に大人になってしまう体のことなんか、考えたくもないのに。

 振り払おうにも、体に力が入らなかった。怖い。キモチワルイ。
 さわってくる相手が男だろうが女だろうが関係ない。わたしは、人にさわられたくない。わたしは人間が嫌いだ、とハッキリ思った。

「や、やめて……」
 混乱しながら顔を上げた。何人もの男子と目が合った。上田や菅野はパッと顔を背けた。逆に、じっと見てくるやつもいる。
 恥ずかしくてたまらない。涙をこらえるのがやっとだ。

 女子同士のスキンシップ。仲良しの証。それが、これなんだろう。
 でも、わたしは小学生のころから、誰とも特別な仲良しにならないように気を張ってきた。どうせすぐに転校しなければならないんだから、と。抱き着いたりくっついたり、そういう距離感はできるだけ避けてきた。

 だから、人の体の柔らかさとか体温とか、ぐにゃぐにゃで壊れそうでつぶれそうで、怖い。キモチワルイ。自分の体もこんなふうなのかと思うと、それもキモチワルイ。

 そんな休み時間があった日の、掃除の時間。当番の場所である階段に行く途中で、聞こえてしまった。男子がしゃべっている声。

「背ぇ高くて大人っぽいし。さっきの休み時間のアレ、ヤバかったよな」
「スカート長いから普段はわかんねーけど、体育のときの太ももの白さと肉付きがさ」
「襟んとこのボタンも。絶対に肌を見せようとしないところが逆にエロい」

 やせたい、と思った。脚が太いのはコンプレックスで、急に肉付きがよくなってきたのもイヤで、そんなところを見られているんだと想像するだけでも恥ずかしい。そして、キモチワルイ。
 見ないで。わたしを見ないで。見せたくないって、服装で意思表示しているのに、視線を向けないで。話題にしないで。

 消えてなくなりたい。
 わたしはこんなに卑屈で、誰ともなれ合いたくないと周囲をはねのけている。なのに、どうして、誰もわたしをのけ者にしてくれないの? 嫌われて、うとまれて、いじめられてしまえば、いっそピッタリな役柄なのに。