どこまでも続く青空の下、君とふたり手を繋いで

 十一月になり、緑だった葉っぱたちが赤や黄色に色付き始め、少し肌寒さを感じ始めた。
 文化祭のあの日以降も、青空さんのことは青空さんとしか呼べなかったし、相変わらず敬語も混じる私に青空さんは「仕方ないなぁ」なんて笑ってた。でも、それでも前よりはぐっと距離が縮まったような気がしていたし、二人一緒の時間をもっと過ごしたいと思っていた。
 それでも、やっぱり会えない時間はちょっぴり辛くて……。特に、朝、電車に一人で揺られていると、青空さんと一緒だったときのことを思い出しては寂しくなってしまう。そんな私を気遣うように、電車が発車するまでの時間、青空さんのお兄さんが青空さんのことを面白おかしく教えてくれた。小さい頃、どんな子どもだったとか、サッカーより野球派だとか、片付けるのが苦手だとか。
 いろいろ聞いた話を電車の中からメッセージで送ると、青空さんは嫌そうな反応をするけれど、でもそんな時間すら愛おしかった。
 そういえば、この間、青空さんのお兄さんが不思議なことを言っていた。

「四月のはじめの頃に、梓ちゃんの話を青空から聞いたよ」

 って――。五月の間違いだと思うんだけど……今度、青空さんに聞いてみようかな。そんなことを思いながら、私は一人学校へ向かう電車に揺られていた。


 そんな平日とは対照的に、休日になると、平日会えない寂しさを埋めるかのように、私たちはたくさんの場所に行った。

『もうすぐ着くよ』
『楽しみだね』

 そんなメッセージのやりとりさえ、嬉しかった。
 秋の花火大会に、ピクニック。季節外れの海。砂浜を車椅子で進むには難しく、タイヤの隙間に大量に挟まった砂をホースで洗いながら笑い合った。そんな何気ない瞬間を、青空さんはよく写真に撮っていた。彼のデジカメにはたくさん写真があって「印刷したら見せてね」と私が言うたびに「また今度ね」と青空さんは笑っていた。


 そんな穏やかな日々に、青空さんが病気であることなんて忘れてしまいそうになる。こんな日々が、ずっと続くんじゃないかって。
 けれど、そうじゃないことは私たちが一番よく知っていて、その日も、青空さんから来た一本の連絡に、気持ちが重くなった。

『明日、病院に行くことになったから、会うの明後日でもいいかな』

 金曜日の夕方に突然来た連絡。土曜日に映画に行こうって約束をしていたのだけれど……。

『大丈夫だよ』

 病院って何かあったの? そう尋ねたかったけれど……。何度も文字を打ち直しては消して……。結局、その五文字を送るので精一杯だった。
 私は、ため息を吐いてスマホをベッドに放り投げる。何かあったのなら、きっと言ってくれるはず。そう思ってはいるけれど……。

「はぁ……」

 もう一度、ため息を吐いたそのときだった。バタバタと走るような音がして、私の部屋のドアが開いたのは。

「梓!」
「ちょっと、お母さん。勝手に開けないでって……」
「今、高校から電話がかかってるの!」
「高校から? 私、何かしたっけ……」

 提出物もきちんとしてるし、試験結果だって悪くない。別に学校から電話が来るようなことなんて……。

「今、通ってる方じゃなくて……!」
「え……?」
「だから!」

 母親の言葉は、私の頭を真っ白にさせるには十分すぎるほどだった。


「――それで、なんの電話だったの?」
「……私の、カンニングの疑惑が晴れたって」

 日曜日。前日に病院に行った青空さんを外出させるのは……と思い、青空さんの家に遊びに来ていた。ベッドにもたれるようにして並んで座った私たちは、手をつないだまま金曜日にの電話について話をしていた。

「え……?」
「……なんか、カンニングした子、ちゃんと受かってて学校に通ってたらしいんだけど、やっぱり無理して背伸びして入った学校だったから上手く馴染めなかったんだって」

 その結果、学校を休みがちになり、冬休みまであと一ヶ月、というこの時期に退学することになったらしい。その際、ずっと言えなかった……と泣きながら本当のことを話したそうだ。

「……そっか」
「うん……」

 なんと言っていいかわからないのだろう。青空さんも黙り込んでしまう。私だって一昨日、電話がかかってきて頭がパニックになった。母親はテンション高く喋り続けているし、父親は……苦笑いを浮かべたままどこか他人事のようだった。

「それで?」
「え?」
「梓は、どうするの?」

 どうする、か……。

「あのね、申し訳なかったって先生たちが電話の向こうで言ってたの。今度正式に謝りに行くからって。学費も、十二月分までの差額は補償するし、一月からでも四月からでも私の都合のいい時期に転入してきてくれたらいいって」
「うん」
「すっごく丁寧に話してくれて、お母さんも喜んでて……でも」

 私は青空さんと手を繋いでいない方の手のひらをギュッと握りしめた。今から私が言うことは、青空さんを幻滅させるかもしれない。あんなに心配してくれていたのに。でも……。

「断っちゃった」
「やっぱり」
「……ビックリしないの?」
「梓なら、そうするんじゃないかなって思ったから」

 繋いだ手に力が込められたのがわかる。青空さんの手のひらから伝わってくるぬくもりが優しくて、心まで温められるようだった。

「うん。……私の居場所は、もう私自身で作ったから。ずっとカンニングをしたんだって思われてるのが嫌だったけど……でも、もうあそこに未練はないかな」
「そっか。でも、お母さんは? 大丈夫だった?」
「うーん、ちょっとショック受けてたけど……。でも、大丈夫だと思う。ちゃんと私の気持ち伝えたから。きっとわかってくれると思う」

 一昨日、電話がかかってきてからたくさん話をした。今までのこと、そしてこれからのこと。あんなにも話をしたのなんて、いったいいつぶりだろう。
 もしかしたら、もっと早くこうやって話をしていたら、何かが違ったのかもしれない。

「こんなふうに思えるようになったのは、青空さんのおかげだよ」
「俺?」
「そう。きっとね、青空さんと出会ってなかったら今でもあの学校にこだわったままだったと思うし、今回の話もきっと飛びついてたと思う。でも……青空さんが前を向くことの大事さを教えてくれたから。どんなときでも、自分自身が選んだ未来を精一杯生きていくことの大切さを教えてくれたから。だから……」
「梓……!」

 気が付くと私の身体は青空さんに抱きしめられていた。青空さんの腕は小さく小刻みに震えていた。

「……青空さん?」

 泣いているの? とは聞けなかった。だって、聞いたらきっと青空さんは涙の理由を説明しなきゃいけないから。だから私は言葉の代わりに、青空さんの背中にそっと腕を回すと、ギュッと抱きしめ返した。青空さんのぬくもりが私の体温と合わさって心地いい。

「ごめん」

 青空さんが顔を上げたのは、それからしばらくしてだった。目元が赤くなっていたから、やっぱり泣いていたんだと思う。

「大丈夫?」
「うん……。なんか、梓の話を聞いたら、泣けちゃって……。みっともないね」

 青空さんが恥ずかしそうに笑うから……私はそれ以上何も聞けなかった。
 その代わり、ずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。

「そういえば……青空さんって、私が話しかける前から私のこと知ってたって、本当?」
「ゲホッ! ……だ、誰がそんなこと……」
「お兄さん」
「っ……言うなって言ったのに!」

 目尻に涙を浮かべてむせる青空さんの背中をさすると、青空さんは困ったような顔で私を見つめる。

「ち、違うんだよ。別にずっと見てたわけじゃなくて、その……いつも同じ電車に乗ってる子がいるなって……。その、いつも小説読んでるけど、何読んでるんだろう、とか……あの制服って姉ちゃんと同じところだよな、とか……そんなことを……」
「青空さん?」
「別に、ストーカーとかじゃないし、その……気になる子を目で追っちゃうと言うか……なんと言うか……」

「青空さん!」

「え?」

 私の声なんて届いていないかのように話し続ける青空さんを、私は慌てて止めた。だって……。

「そこまでは、知らなかった」
「え?」
「ただ、四月の頭に、青空さんが私の話をお兄さんにしてたって、聞いただけで……」
「……嘘」
「ホント」
「っ……!!」

 青空さんは、頭を抱えてしまう。そんな態度が可愛くて、私は思わず笑った。

「……青空さん、私のこと、知ってたんだ」
「……ん」
「ずっと、見ててくれたの?」
「…………」
「青空さん?」

 私の言葉に、青空さんは観念したように頷いて、顔を上げた。その目は真剣で、ジッと私を見つめていた。

「――あの頃の俺は、再発がわかって、でも仕事をしている家族にも迷惑を掛けたくなくて、無理して強がって「一人で病院に通うよ」なんて言って、本当は怖くて仕方がないのに、あの電車に揺られてたんだ」

 青空さんはぽつりぽつりと話し始める。それは、私がまだ青空さんを知らなかった頃の話だった。

「もちろん検査結果なんかは両親にも聞いてもらわなきゃいけなかったし、全く迷惑をお掛けない、なんてことは無理だったんだけど、それでも俺一人が我慢すればいい。またあのときみたいにみんなに迷惑掛けたくないってそればっかり思ってた。それでも、もう検査なんか嫌だ。治療なんか嫌だって、電車に乗ったけど、病院に行きたくない。今すぐ逃げ出したいって思うときもあった。――そんなときだよ。梓を電車で見かけたのは」
「え……?」
「俯いて、希望もなにもないって顔で電車に乗っている梓に俺はなぜか自分を重ねた。でも、一つだけ違ったのは……梓は逃げなかった。どんなに暗い顔をしていても、電車が着いたら顔を上げて、高校に向かう梓の姿に、俺は勇気をもらったんだ」

 違う、私はそんなたいした人間じゃない。逃げなかったんじゃない、逃げる結城がなかっただけ。逃げられるなら、逃げたかった。でも、それすら怖くて、ただひたすら流されるままに高校に通っていた。そこに自分の意思なんて、存在しないかのように。

「梓はそんなことないって言うかもしれない。大げさだって笑うかもしれない、でも、どんなにしんどくても毎日学校に通う梓は俺にとって、太陽みたいに輝いて見えたんだ」
「青空さん……」

 そんなふうに思ってもらう資格が、私にあるのだろうか。こんな私が、青空さんの太陽だなんて……。でも、一つだけ確かなことがある。

「私にとっても、青空さんは太陽のような存在だった。あなたがいたから、私は前を向けた。あなたがいたから頑張れた。乗り越えられた」
「梓……」
「私たち、似たもの同士なのかもしれないね」
「そうだね」

 お互いが、お互いを支えにして――お互いを追いかけて前を向いたつもりでいたのに、実は二人一緒に、前を向いて歩いていたなんて。

「ね、青空さん」
「ん?」
「私ね、青空さんと一緒にいられて幸せだよ」
「俺もだよ」
「ずっと、ずっと一緒にいようね」

 私の言葉に、青空さんは微笑むとギュッと手を握りしめた。
 この手のぬくもりが、いつまでも私のそばに在りますように――。
 心の底から、そう願った。

 
 そのあとしばらく他愛のない話をして、私は青空さんの家をあとにしようとして――ふと、思い出したことを尋ねた。

「もしかして、なんだけど」
「どうかした?」
「前に、私が本を好きだってどうして知ってたの? って聞いたことあったでしょ? あれってもしかして……」

 そこまで言った私は目の前で、赤くなった顔を隠すように口元に拳を当てた青空さんの姿に笑ってしまった。

「なんでもない」
「笑ってるだろ」
「笑ってないよー」

 ケラケラと笑いながら、私は青空さんに手を振って、青空さんの家を出た。ここから、自宅までは電車で一駅だ。
 数分後、最寄り駅に着いた私は、辺りを見回した。一昨日までとなんにも変わっていない。でも、もう誰の視線も怖くない。
 高校への編入を断った私に、先生たちが何かできることはないかと聞いてくれた。そのときに、頼んだのだ。私の名前も、本当の犯人の名前を出さなくてもいいから、誤解されている今の状況をどうにかしてほしい、と。先生たちは快く受け入れてくれ、今日の朝には学校のHPに『お詫びとお知らせ』という形で謝罪文が載っていた。読む人が読めば私のことだってわかるだろう。小さな街だから、悪い噂もいい噂も回るのにそう時間はかからない。時間はかかったとしても、きっと……。
 かつての友人たちのことを思い出すと、まだほんの少しだけ胸が痛む。もしもいつか、また連絡が来る日が来たらそのときは……。
 私はいつかの未来を思い描きながら、自宅への道のりを歩き始めた。


 青空さんから連絡が来たのは、翌日のことだった。次の日曜日の予定を変更して、海に行きたいとメッセージには書かれていた。
 海と言えば、少し前に二人で行って上手く車椅子を動かすことができず悪戦苦闘した……。リベンジをしたい、とかそういうことなのだろうか?
 よくわからないまま返事を送り、そしてあっという間に日曜日はやってきた。前日の土曜日はまた病院に行っていたらしいけれど、大丈夫なのだろうか……。

「大丈夫、ただの検査だから」

 尋ねても青空さんは笑うだけだから、私はそれ以上聞けなくて……。

「そっか、ならよかった。海、楽しみですね」

 電車の窓から見えてきた海を指さしてそう言うことしかできなかった。
 十一月ももう終わりという時期に海に行く人などほとんどいないのか、駅で降りるのは私と青空さんの二人だけだった。二人で電車に乗るのにもだいぶ慣れ、私が後ろから車椅子のタイヤをあげるだけでスロープを出してもらうことなく乗り降りができるようになっていた。
 駅を出ると海風に乗って潮の匂いが漂っていた。私は、車椅子を押す手に力を込めて、進み始めた。前回来たときは、まずどうやって車椅子で砂浜に降りられるのか、それがわからずに辺りを彷徨った。

「こっちだったよね」
「そうだね」

 今日は迷うことなく、車が降りることのできる坂道を車椅子で下っていく。途中、何度か石にタイヤを取られそうになったけれど、なんとか砂浜まで降りることができた。

「危なかった……」
「ありがとね」
「これぐらいなんてことないよ」

 ニッコリ笑うと、私は車椅子を動かしていく。坂道はまだいいのだ。それよりも問題は……。

「砂浜、上手く進めるといいんだけど……」
「それなんだけど……。ね、少し手を貸してくれる?」
「え……?」

 私は差し出された青空さんの手を握りしめる。いったいなにを……。

「よっ……と!」
「せ、青空さん!?」

 青空さんは、私の手を支えにして、立ち上がった。左足を地面につけず、片足だけでバランスを取っている。

「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫。……梓、向こうまで歩いて行ってくれる?」
「え、あ……じゃあ、車椅子に……」
「ううん、俺はこのままで。……梓、一人で行ってほしいんだ」

 いったい、何をする気なんだろう……。不安なまま私は青空さんの手を離すと、十歩ほど離れたところまで歩いて行く。その間、青空さんは車椅子を支えにして立っていた。

「ここでいい?」
「うん。……待ってて」

 そう言ったかと思うと、青空さんは、車椅子から手を離して――左足を地面につけた。

「え……?」
「っ……」

 ゆっくり、一歩ずつ、青空さんは前に進む。歩けなくなった、と言っていた足を引きずるようにしながら、ゆっくりと、でも確実に。
 足が痛むのか、ときおり顔をゆがめながら、それでも足を止めることはなかった。

「あず……」
「青空さん……」
「っ……!」

 あと一歩、というところで青空さんはバランスを崩した。

「危ない!」

 私は慌てて青空さんへと手を差し出す。その手に掴まるようにして、なんとか青空さんは体勢を保った。

「セーフ!」
「セーフって……青空さん……!」
「ビックリした?」
「ビックリした!!」

 思わず大きな声を出してしまった私に、青空さんはいたずらが成功した子どものような表情を浮かべると嬉しそうに笑った。

「やった! 梓のこと驚かせたくて練習してたんだ。でも、最後の最後でこけちゃった」
「そんなこと……」
「前に向かってきちんと歩いて行く梓を見ていたら、俺も負けてられないなって思ったんだ。痛くたって歩ける足がある。歩けるうちに、梓と一緒に並んで歩きたいって。でも、ダメだなぁ……。こんな距離さえも、一人じゃ歩けないなんて……」

 青空さんの言葉に、何かが引っかかった気がした。でも、それが何か考えるよりも、今は……。

「青空さん!」
「え?」

 私は、支えていた青空さんの身体を起こすようにして離れると、手を握りしめた。

「転びそうになったら、私がいつでも支えるから」
「梓……」
「だから、一緒に歩こう。二人で。一人で歩けなくたって二人なら歩けるよ! ゆっくり、私たちの速度で、二人で歩いて行こう?」
「――ありがとう」

 そう言いながらも、私の手を握りしめる青空さんの力は弱々しくて、自分自身を情けなく思っているのが伝わってきた。だから……。

「いった……!」
「へへっ」

 私は、思いっきり青空さんの手を握りしめた。
 私が後ろ向きのときは、青空さんが前を向かせてくれた。今度は、私の番だ。

「何を……」
「青空さん。私、青空さんが大好きだよ」
「梓……」
「どんな青空さんでも、大好きだよ」
「……うん。ありがとう。……俺も、梓のことが、好きだよ」

 青空さんの顔が、近づいてくるのがわかった。見上げるようにして青空さんを見つめるのはなんだか久しぶりで、少し恥ずかしくて、思わず顔を背けそうになる。

「逃げないで」

 でも、そんな私の頬に手を添えると、青空さんは私の唇にキスを落とした。
 誰もいない浜辺でしたキスは、ほんの少しだけ潮の香りがした。

「――ね、写真撮ろうか」

 それからしばらくして、青空さんは鞄からカメラを取り出すと私に向けた。

「青空さんのことも撮ってあげるよ」
「俺はいいよ」
「……じゃあ、二人で撮ろう?」

 私は青空さんの手からカメラを取ると、タイマーをセットして手を伸ばした。

『3……2……1……パシャッ』

 カメラから聞こえる無機質な音に合わせて、私たちは笑顔を向ける。上手に取れたか見せて貰うと、ニッコリと笑う青空さんと、目をつぶった私が映っていた。

「もう一回! もう一回撮ろう?」
「ダーメ」
「なんでー!」

 私が取れない位置にカメラを掲げる青空さんに飛びつくようにした――その瞬間、バランスを崩して、私たちは砂浜に転がった。
 砂だらけになったお互いの姿を見て、私たちはどちらともなく吹き出した。
 こんな些細で、くだらないことすら、青空さんと一緒なら楽しくて、幸せで、胸があたたかくなる。
 どうか、これから先も、こんな時間をずっとずっと過ごすことができますように――。
 私は、空に浮かぶ太陽に小さく祈った。
 十二月に入り、街にはクリスマスソングが流れ、浮かれた空気が漂っていた。それは私も例外ではなく、青空さんへのクリスマスプレゼントに頭を悩ませていた。
 何をあげたら喜んでくれるだろうか。でも、バイトもしていない私じゃあ、たいしたものはあげられないし……。

「うーん」
「どうしたの?」

 教室で一人ウンウンと唸っていた私に、莉緒が不思議そうに近づいてきた。

「あ、莉緒。クリスマスプレゼントをね」
「青空さんの?」
「そうそう。普段使ってもらえるようなものがいいんだけど……」
「ちなみに、予算は?」
「う……」

 口ごもる私に、莉緒はため息を吐いた。

「うーん……。あ、じゃあ梓。私のバイトしてるお店で一緒にバイトしない?」
「バイト? 莉緒のバイト先ってカフェだっけ?」
「そうそう。って、言っても短期のバイトだけどね。デートだなんだで次の土日のバイトがいなくて。……あ、でも」
「うん、土日は青空さんに会うから……」
「そっかぁ。梓と一緒なら楽しいかなぁって思ったんだけど……」

 残念そうに笑う莉緒の言葉に、心が揺れた。バイト代があれば青空さんへのプレゼントも買えるし……。

「ちょっと、聞いてみる!」
「梓?」

 私は、青空さんに次の土日、莉緒と遊びに行ってもいいかというメッセージを送った。返事は、すぐ返ってきた。

「いいって!」
「ホント?」
「うん、なんか青空さんも用事があったらしくて、ちょうどよかったみたい」
「そっか! じゃあ、店長に連絡しておくね!」

 莉緒は嬉しそうに言うと、スマホを取りに席へと向かった。青空さんに会えないのは残念だけど、これで青空さんにプレゼントが買える。そう思うと、次の土日が楽しみで仕方がなかった。


 週末、二日間のバイトを終えた私は、貰ったお給料を持って近くのショッピングモールへとやってきた。どこのお店もクリスマスセールをしていて、男性向けのプレゼントもたくさん置いてあった。帽子や手袋、マフラーといった定番商品はたくさんあるけれど、どれもピンとこない。
 財布……とも思ったけど、思ったよりも高くて、予算をオーバーしてしまうし……。

「どうしよう……」

 困り果てた私は、とりあえず店内をぐるぐる見て回る。……そんなとき、ふと一件の雑貨屋さんが目に入った。クリスマス、というよりは冬をモチーフにした雑貨が並んでいたけれど、その中に真っ青の何かが見えたのだ。この時期に多いのは赤や緑のクリスマスカラーなのに青色なんて珍しいな、と思って引っ張り出すと……。

「ブランケット?」

 それは、空がプリントされたブランケットだった。手触りもよく、暖かそうで、これなら車椅子に乗る青空さんにぴったりだと思った。それに、真っ青の空も、まるで青空さんのことのようだし……。

「よし、これにしよう!」

 レジに持って行くと、それをラッピングして貰った。これで、青空さんへのクリスマスプレゼントは決まった。あとは、クリスマスデートをするだけだ。


「はぁ……」
「どうしたの? プレゼント、買えなかったの?」
「莉緒……」

 火曜日、私は学校でため息を吐いていた。理由は、昨日来た青空さんからのメッセージだ。

「……今週末、会えなくなったって」
「あら……。残念」
「二週連続で会えないなんて、付き合い始めてから初めてだよ……」

 九月のあの日から、毎週土日のどちらかは会ってたし、どっちかに用があって会えない週があっても、その翌週には会えていた。だから、こんなに会えないなんて……。

「寂しい……」
「って、言っても二週間だけでしょ? 夏休みのことを思えば、全然じゃない?」
「それは、そうなんだけど……」

 頭では理解していても、気持ちは追いつかない。私はもう一度深くため息を吐いた。

「予定が空いちゃったよお……莉緒ぉ」
「残念。私は、今週末もバイトです」
「私も……!」
「それが、今週は人、足りてるんだよね。ごめんね」
「そっかぁ……」

 莉緒の言葉に私はガックリと肩を落とす。仕方がない、今週末は久しぶりにのんびりと凄そう……。また来週には会えるだろうし。
 ――そう、思っていた。
 けれど、週が明けて月曜日が来ても青空さんから連絡が来ることはなく、そして私が送ったメッセージに既読を示すマークがつくこともなかった。もちろん、電話にでることも――。
連絡が取れないまま、火曜日になった。もしかしたら青空さんに何かあったのだろうか……。一度、家に行って……。でも、連絡が取れないからといって家に押しかけるのも……。

「そうだ、青空さんのお兄さん……!」

 お兄さんに聞けばいいんだ。もし、青空さんに何かあったのなら、お兄さんに聞けばわかるはずだ。車掌さんであるお兄さんになら、明日も会うことができる。
 そう思った私は翌朝、いつもよりも早い時間に家を出た。
 駅にはいつものように電車が来ていて、すぐそばにはお兄さんの姿があった。
 私に気付くと、お兄さんは優しく微笑んでくれる。

「おはよう、今日は早いね」
「おはようございます。……あの、青空さんって……」
「ああ、それで」

 お兄さんは困ったように頬をかくと、辺りを見回した。そして誰もいないことを確認すると、小声で話し始めた。

「青空、インフルエンザにかかっちゃって」
「インフル、エンザ?」

 思わぬ病名に、変なところで区切ってしまった。インフルエンザって……。確かに、今年はもうインフルエンザが流行りだしてるってテレビでもやってたけど、まさか……。

「そう。しかも、悪化したせいで今、入院してるんだ」
「え、ええ!? だ、大丈夫なんですか!? 私、お見舞い……」
「ストップ。インフルエンザだから、行ったら梓ちゃんにも移っちゃうでしょ」
「あ……」

 確かに、そうだ。もしかして、それで私には連絡をくれなかったとか……?
 けれど、お兄さんは私の疑問に首を振った。

「それはね、ただ単に病院が携帯禁止なだけ」
「そうなんですか?」
「うん。それから、心配かけたくないから、退院してから連絡するって言ってたんだけど、なかなか熱が下がらなくて、まだ退院許可が出ないんだ。でも、もうすぐ退院できるはずだから、そしたら……また、会ってやってよ……」
「はい」

 悲しげに微笑むその表情に、思わず胸がざわつく。ただ、青空さんのことが心配なだけ? それとも……。

「あの、おにいさ……」
「あ、ごめんね。そろそろ出発の準備をしなきゃいけないから」

 申し訳なさそうにそう言うと、お兄さんは乗務員室へと入っていく。私はその背中を見送りながら、小さくため息を吐くと、電車へと乗り込んだ。
 今はとにかく、連絡を待つしかない。もうすぐ退院できるって言ってたから。そうしたらきっと連絡をくれるはず。
 けれど、そんな私の想いはあっけなく打ち砕かれる。
 青空さんからの連絡は次の日もそのまた次の日も……そしてその週末にさえも来ることはなかった――。


 やっぱり、おかしい。
 そう思ったのは、水曜日の朝だった。相変わらず、メッセージは既読にならないし、電話も繋がらない。それどころか――。

「休み……ですか?」
「ええ。本日、瀧岡は休みです」

 月曜日の朝も、火曜日の朝も駅にお兄さんの姿はなかった。今までも、公休日でいないことはあったけれど、三日も連続で休みだなんて……。

「あの、休みの理由は……」
「それは、プライベートなことなので、お答えすることはできません」
「でも……! ……いえ、そう、ですよね……」

 食い下がった私に、駅員さんは怪訝そうな表情を見せると、乗務員室へと入っていく。私は、どうしたらいいかわからず、でも電車の発車する音が聞こえ、慌てて飛び乗った。
 やっぱり、何かあったんじゃないか。だって、そうじゃないとこんな……。
 もう、迷惑かもしれないなんて考えるのはやめよう。私の勘違いや早とちりだったら謝ればいいじゃない。青空さんに会って「心配性だなぁ」っていつもみたいに笑われるほうが、こんな気持ちのままでいるよりよっぽどいい。
 今日で学校も終わりだし、明日の朝一で青空さんの家に行こう。明日はちょうどクリスマスイブだから、この間買ったあのブランケットを持って、青空さんに会いに行こう。
 会いたい、会いたいよ。青空さん……。
 ギュッと締め付けられるように胸が苦しくなる。鼻の頭がツンとなるのを必死にこらえると、私は窓の外の真っ青な空を見つめ続けた。


 翌朝、相変わらず連絡の取れないままの画面を確認すると、私はラッピングしてもらったブランケットを持って部屋を出た。玄関で靴を履きながら、ブーツにしようか、それとも車椅子を押しやすいスニーカーにしようか悩んで、やっぱり念のためにとスニーカーを履いた。クリスマスの日にスニーカーを履くなんて、私ぐらいじゃないかな。と思ったら妙に可笑しくなった。
 ずいぶんと底のすり減ったスニーカーを見て、次に青空さんと出かけるまでに買い換えなきゃいけないなぁなんて思っていると、玄関のチャイムが鳴った。

「はーい?」

 なんてタイミングだろう、と玄関のドアを開けると、そこには――青空さんのお兄さんの姿があった。

「え、どうして……?」
「説明はあとでするから! とにかく、来て!」

 お兄さんの言葉に、私は荷物を取ると、玄関を飛び出した。お兄さんは車で来ていたようで、家の前に見覚えのある車が横付けされている。いつも、青空さんが後部座席に乗っていた車。けれど今日は、後部座席はガランとしていた。

「シートベルト締めた? そしたら、出発するよ」

 慌てた様子で、エンジンをかけると、お兄さんは車を走らせる。ナビに表示された行き先を見ると、どうやら目的地は青空さんの自宅のようだった。
 自宅に行くということは、もう退院したのだろうか? なら、なんでこんなにお兄さんは焦っているのだろう。
 車が赤信号に引っかかると、お兄さんは「くそっ」と小さく呟くと、ポケットから取り出した携帯を確認する。そして、ダッシュボードを開けると、一通の封筒を取り出した。

「これは……?」
「……青空から、梓ちゃんに」
「え……?」

 差し出されたそれを受け取ると、お兄さんは再び車を走らせる。私は、震える手で封を開けると、中から一枚の便箋を取りだした。それは、いつか電車の中に置かれていたのと同じものだった。



 梓へ

 梓のことが、大好きでした
 でも、もう俺は梓に会うつもりはありません
 いつまでも元気で
 そして、俺のことなんて忘れて、幸せになってください

 青空
                           』
「な、んですか……? これ……」
「……青空が、全部終わったら、これを渡してくれって。でもさ、こんなのダメだよ。こんな終わり方、あっていいわけないよ……」

 お兄さんは、絞り出すような声で言うと、ハンドルを思いっきり叩いた。

「くそっ……!」

 その行動に、私は背中に冷や水をかけられたような気分になる。だって、普段のお兄さんはもっと温和で……こんな行動、絶対にしない。なら、今は、どうして……。

「おにい、さん……。今、自宅に向かってるんですよね……? 青空さんは、退院して自宅にいるんですよね……? 元気になったんですよね……?」
「…………」
「お兄さん!」
「……確かに、青空は今、自宅にいる」

 その言葉にホッとした。――けれど、次の瞬間、まるで空中から地上に落とされたみたいな衝撃を私は受けた。

「看取るために、帰ってきたんだ」
「みと、る……?」

 看取るって、なに……? どういう意味……? 誰を看取るの? まさか、そんな、そんな……!

「嘘!」
「僕だって、嘘だと思いたい! でも、もう時間がないんだ! 青空にも、僕たちにも!」

 泣き叫ぶようにして言うと、お兄さんは車を止めた。いつの間にか、青空さんの自宅に着いていたようだった。
 私は、お兄さんに連れられるようにして、家の中に入る。シーンとした家の中は、まるで今から怒ることを暗示しているようで、苦しくて、そして怖かった。

「こっち」

 二階にある青空さんの部屋、ではなくお兄さんは一回の玄関横にある部屋のふすまを開けた。そこは、和室になっていて、部屋には青空さんのご両親にお姉さんの姿があった。そして――みんなに囲まれるようにして、布団に横たわる青空さんの姿も。

「青空さん……!」

 駆け寄って握りしめた手は、まだ温かかった。でも……。

「もう、すぐ……だと、思うわ」
「え……?」

 お母さんは手元の機械を確認すると、震える声でそう呟いた。
 その言葉に、頭の中が冷たくなるのを感じた。

「青空さん……? 嘘でしょ? ね、目を開けてよ! 青空さん!」

 ギュッと握りしめた手に、微かに力が入る。そして、青空さんは微笑んだ。

「青空さん! わかる? 梓だよ! 会いに来たよ!」
「あ……ず……」

 青空さんの口がほんの少し開いて、何かを言おうとしているけれど、息が漏れるだけで聞き取ることはできない。でも、私には聞こえた気がした。「梓」と呼ぶ、青空さんの声が。

「ね、青空さん。私、まだ青空さんにクリスマスプレゼント渡してないよ! デート行くのだって楽しみにしてたよ! なのに、なのに!」
「あ……ず……さ……」
「青空さん!!」

 私の叫び声と同時に、部屋にピ――――というアラートが鳴り響いた。それから、青空さんのご両親やお姉さん、それにお兄さんの悲鳴も。

「いやあああ!」
「青空! 青空!!」
「うわああああ!」」
「う、そ……」

 もう動くことのない青空さんの身体に、みんなが泣きながら縋り付く。
 微笑むようにしてなくなった、青空さんの身体に――。


 それ以上は、その場にいることはできなかった。家族のお別れの時間に、私がいちゃいけない。いくら青空さんと付き合っていたとはいえ、他人だ。
 お兄さんは申し訳なさそうにしていたけれど、最後のお別れに連れてきてもらえただけでも十分すぎるほどだった。
 日の並び的な問題らしく、今日の夜がお通夜、明日がお葬式になると、帰り際、玄関の外まで見送ってくれたお兄さんに言われた。

「でも、辛ければ、無理に来る必要は……」
「行かせて、ください……」
「ありがとう」

 お兄さんは悲しげに微笑むと何かを渡そうとして、私が持っていた紙袋に視線を向けた。

「……それは?」
「あ……」

 それは、渡すことのできなかった、青空さんへの……。

「クリスマスプレゼント、渡しそびれちゃいました……」
「梓ちゃん……」

 もう二度と、渡すことのできない、プレゼント……。

「――それ、さ」
「え?」

 このままどこかに捨ててしまおうか、そんなことを考えていた私に、お兄さんは言った。

「僕が預かってもいいかな」
「お兄さん、に……?」
「ああ。……青空に、渡しておくよ」
「っ……」

 そんなこと、できっこないのに……。お兄さんの言葉があまりにも優しくて、私はそれを差し出した。

「ありがとう」

 そして、空っぽになった私の手に、お兄さんは小さなメモを載せた。そこにはお葬式の場所と、時間が書かれていた。
『瀧岡青空、告別式』メモにはそう書かれていて……。私はそれを思わず握りつぶすと、お兄さんを見上げた。

「どうして、ですか?」
「え?」
「どうして、青空さんは……。だって、手術は成功したって……。足が動かなくなったけど、もう大丈夫だって……!」
「梓ちゃん……」

 お兄さんは目を閉じると、玄関の壁にもたれかかった。

「梓ちゃんには、そんなふうに言ってたんだね」
「え……?」
「青空が以前も骨肉腫を患ってたってことは……」
「聞きました。今回が再発だったって」

 そして以前も、そして今回も手術で腫瘍を取り除くことができたと青空さんは言っていた。でも、そう言った私にお兄さんは小さく首を振った。

「確かに腫瘍は取り除くことができた。……でも、今回は――肺にも転移があったんだ」
「転移……?」
「他の場所にも、癌が見つかったってこと」
「嘘……!」

 そんなこと、青空さんは一言も言っていなかった。どうして……!

「手術したって、膝の痛みを取り除くことができるだけでもう治ることはない。放射線治療だって、ほんの少し余命を伸ばすことができるだけだって、そう主治医に告げられて……」
「余命って……」
「夏の終わりに告げられたんだ。……もって、あと三ヶ月だろうと……」

 私の知らなかった話が、お兄さんの口から次から次へと告げられる。転移って何? 余命ってどういうこと……? そんな状態なのに……。

「なのに、どうして……」
「どうしてだと思う?」
「え……?」

 お兄さんの問いかけに、私は答えられなかった。だって、どうしてってそんなの知らない。私は、なんにも知らない……。
 でも、そんな私にお兄さんは優しく微笑んだ。

「好きな子に、好きだって伝えたかったんだって」
「っ……なに、それ……」
「笑っちゃうよね」

 お兄さんはおかしそうに笑う。私も笑おうとして、でも涙が溢れてて上手く笑うことができない。だって、そんなことって……。私に、気持ちを伝えるために、治らないのに手術を受けたなんて、そんな……。

「この数ヶ月、青空は楽しそうだったよ。それこそ、病気が発覚してから今までで一番幸せそうだった。梓ちゃん、君のおかげだよ」
「っ……くっ……」
「だから、青空と過ごした日々を忘れないでやって。君は青空にとって生きる希望だったんだから」
「あ……あああああ!」」

 お兄さんの言葉に、私は泣いた。声を上げて、まるで小さな子どものように泣き叫んだ。
 私にとっても、あなたは希望だったんだと、真っ黒な雲に覆われた世界が、あなたに出会ってから澄み切った青空のように晴れたんだと、伝えたかった。伝えたかったのに……!
 もう二度と会えない青空さんを想って、私はその場で泣き続けた。


「……本当に行くの?」

 翌日、泣きはらした目をした私に、お母さんは心配そうに言う。けれど……。

「今日行かないと、もう、青空さんには会えないから……」
「……そうね」

 悲しげに言うと……お母さんは、私の身体をギュッと抱き寄せた。心臓の音が聞こえる。体温のぬくもりを感じる。生きている人間の証を……。

「気をつけていってらっしゃい」
「うん……。いってきます」

 制服を着て家を出ると、聞いていたお葬式会場へと向かった。そこは少人数でのお葬式を専門としているようで、仰々しさよりもアットホームな雰囲気に包まれていた。

「梓ちゃん」
「あ、お兄さん……」
「早かったね」
「えっと……。このたびは、その……」

 形式として言わなければいけないことはわかっているのに、上手く口から出てこない。そんな私の頭を、お兄さんは優しく撫でた。その手つきが、青空さんの手を思い出させて、余計に何も言えなくなってしまう。もうあの手に、頭を撫でてもらうことはないのだと、手を繋いで歩くことはないのだと思うと……。

「中、入ろうか。青空が待ってるよ」
「は、い……」

 溢れてくる涙を必死にこらえると、私はお兄さんに促されるようにして中に入った。会場には、たくさんの人がいて、みんな青空さんを思って泣いていた。
 一番奥に祭壇があり、笑顔の青空さんの写真が飾ってあった。何度も見た青空さんの笑顔。大好きで、愛おしくて、もう、二度と見ることのできない笑顔……。そして……。

「っ……」
「梓ちゃん……」
「ごめ、なさ……」

 もう、無理だった。涙が、頬を伝って次から次に床へと落ちていく。止めることなんてできない。だって、だって……。

「青空さん……!」

 そこには、青空さんがいた。
 眠っているように、柩の中に横たわる青空さんの姿が。
 今にも身体を起こして「ビックリした?」なんて言い出しそうなのに……。

「青空さん……どうして……! どうして!!」

 その手に、その頬に触れたいのに、アクリル板のようなものが触れることを拒む。

「……ごめんね。あとで、お花を入れるときに、触ってもらえるから……」

 申し訳なさそうにお兄さんにそう言われると、余計に涙が溢れてくる。だってそれは、おばあちゃんのお葬式でもあった……。つまり、最後のお別れの時で……。

「っ……」

 それ以上考えたくなくて、私はお兄さんに頭を下げると、会場の一番後ろの席に座った。ここからでも、青空さんの写真がよく見える。私はその写真をボーッと見つめ続けた。

 どれぐらいの時間が経ったんだろう。いつの間にか、会場には人が増えていて、お坊さんがお経を上げていた。周りの人に流されるようにしてお焼香をして席へと戻る。頭がボーッとして、何も考えられない。なのに、式だけはどんどん進んでいく。
 そして――。

「それでは、最後の――お別れの儀です」

 その言葉にハッとして顔を上げると、柩の周りへとみんなが集まり始めていた。行かなきゃ。もう、これで、本当に……最後……。
 重い足を引きずるようにして柩へと向かうと、お兄さんが何かを言っているのが聞こえた。

「先にこれを……」
「え……」

 蓋が開いた柩に、お兄さんは――ブランケットを掛けた。それは、あのときお兄さんが預かると、そう言ってくれた、私の、私から青空さんへの、クリスマスプレゼント……。

「ああ、綺麗な青い空だ」
「まるで青空のようだ」

 青い空がプリントされたそれを掛けられた青空さんは、青空の下で駈けているかのようで……。

「梓ちゃん、ありがとう」
「おにい、さん……」
「青空、それ梓ちゃんからのクリスマスプレゼントだぞ。大事にしろよ。……僕からは、これ。約束してたやつ」

 お兄さんは、分厚い封筒を逆さまにすると、中身を全部、柩の中へとばら撒いた。そこいは――たくさんの私と青空さんの写真があった。

「これ……」
「入れてほしいって、青空に頼まれてたんだ」
「っ……」

 そのために、何枚も何枚も写真を撮っていたの?
 印刷することもなく、たくさんの写真を。この日のために――。

「そんなのって……そんなのって……! あっ、あ、ああぁぁ!!」

 泣き崩れる私は係の人によって近くの椅子へと連れて行かれる。そして――祭壇にあったたくさんのお花が柩の中に納められると――再び、柩の蓋が閉められた。
 そのあとのことはよく覚えていない。でも、霊柩車で運ばれていく柩を見送って、それからいつの間にか私は自宅へと帰ってきていた。心配したお母さんが何度も部屋を覗きに来た気がするけれど、話をする気力すらなかった。
 ただただ、悲しかった。心に穴が空いたような、そんな気持ちのまま、私は真っ暗な部屋で一人泣き続けた。
 あれから、一ヶ月以上が経った。いつの間にか冬休みは終わっていて、心配した莉緒や友人たちからのメッセージが何通も届いていた。いい加減学校にも行かなければと、ようやく私はあの日以来、壁に掛けたままだった制服に袖を通した。
 いつも通りの日々が始まる。青空さんだけがいない、日常が。
 人間というのは不思議なもので、こんなに悲しくても辛くてもお腹もすくし、眠くもなる。そのたびに、私は生きているんだということを実感させられてしまう。

「行ってきます」
「いってらっしゃい。……気をつけてね」

 ぽつりと呟いた私を、お母さんが心配そうに見送る。まるで私がどこかに行こうとすると、まるでもう帰ってこないんじゃないかとでも思っているかのように。

「梓ちゃん」
「おにい、さん……」

 駅に行くと、そこには青空さんのお兄さんの姿があった。お休みの日なのか、お兄さんはワイシャツにズボンという姿で私に手を振っていた。

「久しぶり。……大丈夫?」
「っ……」

 悲しそうに微笑むお兄さんを見ると、青空さんのことを思い出して、胸が苦しくなる。前を向かなきゃいけないってわかってる。青空さんが好きだと言ってくれた私でいたいってそう思うのに、身体が、心がずっとずっと泣き叫んでいる。どうしてもう会えないのかと、もう一度、青空さんに会いたい。会ってその手に触れたいって……。

「……梓ちゃん」
「え……?」

 お兄さんは、一通の封筒を私に差し出した。

「これ、青空から、最後の贈り物」
「青空さん、から……?」

 お兄さんは「これじゃあ僕、車掌じゃなくて郵便配達の人みたいだね」なんて言って笑っていたけれど、私は手の中のそれを開けるので精一杯だった。
 なんて書いてあるんだろう。何を伝えたかったんだろう。早く、早く見たい。青空さんからの、最後の……。

「しゃ、しん……?」

 そこには、一枚の写真があった。
 あの日、私が贈ったブランケットのように、真っ青な青空(あおぞら)の写真が。

「それを梓ちゃんに渡してほしいって頼まれたんだ」
「なんで……」
「……あの日、青空に頼まれていた通り、二人が写った写真は全部、柩の中に入れた。思い出は、全部自分が持って行くんだって、青空言ってたよ。手元に残ってたら、いつまで思い出してきっと君が前に進めないからって」
「っ……」
「でも……もしも、君が泣いているようだったらこの写真を渡してほしいって。辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているからって」
「青空、さん……」

 涙が、止まらない。
 最後の最後まで、私のことを心配してくれていた青空さんの優しさに、あふれ出す涙を止めることができない。

「っ……あ、ああぁっ……」

 私は泣いた。泣いて、泣いて泣き続けた。


「梓ちゃん」

 お兄さんが、再び私の名前を呼んだのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。

「あ……」
「大丈夫……?」
「はい……。すみません……」
「や、いいんだけど……。ごめんね、僕そろそろ行かなきゃいけなくて」

 時計を見ながら、お兄さんは申し訳なさそうに言った。

「あ、ご、ごめんなさい。お兄さんも忙しいのに……」
「ああ、いや。……今日は、青空の四十九日なんだ」
「っ……あ……」

 あの日から、もうそんなに経ったんだ……。
 黙り込んでしまった私の頭をお兄さんは優しく撫でると「またね」と言って去って行く。私は、その背中に声を掛けた。

「……お兄さん!」
「え?」
「青空さんに、私は大丈夫だよ! って、伝えてください!」

 一瞬、驚いたような表情をしたあと、お兄さんは泣きそうな顔で笑うと「わかった」と言って歩き出す。
 私も、行かなきゃ。
 携帯を確認すると、莉緒から『今日もお休み?』というメッセージが届いていた。

『遅れるけど、行くよ!』

 返事を送って、顔を上げる。
 ホームから見える空は、青く輝いていた。


 週末、私は一人で電車に乗っていた。行きたいところがあったわけじゃない。でも、なんとなく休みの日に家にいたくなかったから……。
 朝、駅で会った青空さんのお兄さんは、無事納骨が済んだことを教えてくれた。それを聞いて、まだ少し胸は痛んだけど、もう泣くことはなかった。
 こうして電車に揺られていると、青空さんと会った日のことを思い出す。あの日から、何度も二人で電車に乗った。二人で肩寄せ合って座った座席も、今じゃあ隣は私の鞄が置いてあるだけだ。
 しばらくして、電車が駅に着くというアナウンスが聞こえて、私は窓の外を見た。そこは、青空さんと来た、あの海だった。
 慌ててホームに降り立つと、風に乗って潮の匂いがする。

「じゃあ、いこ……う、か」

 思わず、そう言って――周りには誰もいないことを思い出す。そうだ、もう私は……。
 車椅子を押すこともなく、一人歩き出すけれど、ついエレベーターがどこにあるかを探してしまうし、通路に段差がないか確認してしまう。そんなこと、もう必要ないのに。
 とぼとぼと海に向かう道を歩く。遠回りして、坂道を降りていくことなく、私は階段から砂浜へと降りた。ざくざくと音を立てながら、砂浜を歩くと、あの日青空さんと手を繋いで歩いたことを思い出して、私は……。

「っ……あっ……」

 もう、限界だった。
 涙が溢れて止まらない。
 この数日、必死にいつも通りの生活を送ろうと頑張った。でも、私のいつも通りには、いつだって青空さんがいた。二人で通った道、二人で行った場所、二人で乗った電車。どれもどれも青空さんとの思い出が詰まっていた。

「もう、無理だよ……」

 青い海が、まるで私を誘うように引いては寄せてを繰り返す。
 ――あの波に呑まれれば、青空さんに会えるかもしれない。
 一瞬、そんな考えが頭をよぎって、私はその場に座り込んだ。

「青空、さん……」

 会いたくて、会いたくて仕方がないのに、あなたはもうどこにもいない。
 もう二度と、あなたに会うことはできない。

「会いたいよ! 青空さん……!」

 でも、どんなに叫んでも、もう……。

「っ……」

 その瞬間――砂浜に風が吹き荒れた。それは、まるで私に『ここにいるよ』と、でもいうかのように。
 その風に誘われるようにして顔を上げると、そこには――清々しいほどの青空が広がっていた。
    
『辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているから』

 必死に涙を拭うと、私は前を向いた。
 
「――見ててね、青空さん。私、頑張るから」

 立ち上がると、スカートについた砂を払って、顔を上げた。
 そして、私はひとり歩き出す。
 君とふたり手を繋いで歩いた、どこまでも続く青空の下を。
①青春恋愛

梓は受験で不正を疑われ不合格となり電車で二時間もかかる高校へと進学する。電車で出会った青空と過ごす時間は学校や家に居場所がない梓の大切なものとなる。
けれど青空が来なくなり梓は青空が入院したことを知る。病院に向かった梓に青空は病気について話すと手術を頑張るから待っていてと言う。
再会した青空は手術は成功したが足が動かなくなり車椅子に乗っていた。梓は青空に想いを伝え二人は付き合い始める。
ある日不正の疑いが晴れたという連絡があり編入を打診されるが梓は断る。自分の居場所はもうある。そうに思えるようになったのは青空のおかげだった。
12月になり青空と連絡が取れなくなる。青空の兄に連れられ青空の元へ行くが命の灯は消えかかっていた。手を握りしめた梓に微笑むと青空は息を引き取った。
青空が亡くなってしばらく経ったある日、梓は海にいた。空を見上げると青空が広がっていた。涙を拭うと梓は歩き出す。青空と歩いたどこまでも続く青空の下を。

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