あれから、一ヶ月以上が経った。いつの間にか冬休みは終わっていて、心配した莉緒や友人たちからのメッセージが何通も届いていた。いい加減学校にも行かなければと、ようやく私はあの日以来、壁に掛けたままだった制服に袖を通した。
いつも通りの日々が始まる。青空さんだけがいない、日常が。
人間というのは不思議なもので、こんなに悲しくても辛くてもお腹もすくし、眠くもなる。そのたびに、私は生きているんだということを実感させられてしまう。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。……気をつけてね」
ぽつりと呟いた私を、お母さんが心配そうに見送る。まるで私がどこかに行こうとすると、まるでもう帰ってこないんじゃないかとでも思っているかのように。
「梓ちゃん」
「おにい、さん……」
駅に行くと、そこには青空さんのお兄さんの姿があった。お休みの日なのか、お兄さんはワイシャツにズボンという姿で私に手を振っていた。
「久しぶり。……大丈夫?」
「っ……」
悲しそうに微笑むお兄さんを見ると、青空さんのことを思い出して、胸が苦しくなる。前を向かなきゃいけないってわかってる。青空さんが好きだと言ってくれた私でいたいってそう思うのに、身体が、心がずっとずっと泣き叫んでいる。どうしてもう会えないのかと、もう一度、青空さんに会いたい。会ってその手に触れたいって……。
「……梓ちゃん」
「え……?」
お兄さんは、一通の封筒を私に差し出した。
「これ、青空から、最後の贈り物」
「青空さん、から……?」
お兄さんは「これじゃあ僕、車掌じゃなくて郵便配達の人みたいだね」なんて言って笑っていたけれど、私は手の中のそれを開けるので精一杯だった。
なんて書いてあるんだろう。何を伝えたかったんだろう。早く、早く見たい。青空さんからの、最後の……。
「しゃ、しん……?」
そこには、一枚の写真があった。
あの日、私が贈ったブランケットのように、真っ青な青空(あおぞら)の写真が。
「それを梓ちゃんに渡してほしいって頼まれたんだ」
「なんで……」
「……あの日、青空に頼まれていた通り、二人が写った写真は全部、柩の中に入れた。思い出は、全部自分が持って行くんだって、青空言ってたよ。手元に残ってたら、いつまで思い出してきっと君が前に進めないからって」
「っ……」
「でも……もしも、君が泣いているようだったらこの写真を渡してほしいって。辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているからって」
「青空、さん……」
涙が、止まらない。
最後の最後まで、私のことを心配してくれていた青空さんの優しさに、あふれ出す涙を止めることができない。
「っ……あ、ああぁっ……」
私は泣いた。泣いて、泣いて泣き続けた。
「梓ちゃん」
お兄さんが、再び私の名前を呼んだのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。
「あ……」
「大丈夫……?」
「はい……。すみません……」
「や、いいんだけど……。ごめんね、僕そろそろ行かなきゃいけなくて」
時計を見ながら、お兄さんは申し訳なさそうに言った。
「あ、ご、ごめんなさい。お兄さんも忙しいのに……」
「ああ、いや。……今日は、青空の四十九日なんだ」
「っ……あ……」
あの日から、もうそんなに経ったんだ……。
黙り込んでしまった私の頭をお兄さんは優しく撫でると「またね」と言って去って行く。私は、その背中に声を掛けた。
「……お兄さん!」
「え?」
「青空さんに、私は大丈夫だよ! って、伝えてください!」
一瞬、驚いたような表情をしたあと、お兄さんは泣きそうな顔で笑うと「わかった」と言って歩き出す。
私も、行かなきゃ。
携帯を確認すると、莉緒から『今日もお休み?』というメッセージが届いていた。
『遅れるけど、行くよ!』
返事を送って、顔を上げる。
ホームから見える空は、青く輝いていた。
週末、私は一人で電車に乗っていた。行きたいところがあったわけじゃない。でも、なんとなく休みの日に家にいたくなかったから……。
朝、駅で会った青空さんのお兄さんは、無事納骨が済んだことを教えてくれた。それを聞いて、まだ少し胸は痛んだけど、もう泣くことはなかった。
こうして電車に揺られていると、青空さんと会った日のことを思い出す。あの日から、何度も二人で電車に乗った。二人で肩寄せ合って座った座席も、今じゃあ隣は私の鞄が置いてあるだけだ。
しばらくして、電車が駅に着くというアナウンスが聞こえて、私は窓の外を見た。そこは、青空さんと来た、あの海だった。
慌ててホームに降り立つと、風に乗って潮の匂いがする。
「じゃあ、いこ……う、か」
思わず、そう言って――周りには誰もいないことを思い出す。そうだ、もう私は……。
車椅子を押すこともなく、一人歩き出すけれど、ついエレベーターがどこにあるかを探してしまうし、通路に段差がないか確認してしまう。そんなこと、もう必要ないのに。
とぼとぼと海に向かう道を歩く。遠回りして、坂道を降りていくことなく、私は階段から砂浜へと降りた。ざくざくと音を立てながら、砂浜を歩くと、あの日青空さんと手を繋いで歩いたことを思い出して、私は……。
「っ……あっ……」
もう、限界だった。
涙が溢れて止まらない。
この数日、必死にいつも通りの生活を送ろうと頑張った。でも、私のいつも通りには、いつだって青空さんがいた。二人で通った道、二人で行った場所、二人で乗った電車。どれもどれも青空さんとの思い出が詰まっていた。
「もう、無理だよ……」
青い海が、まるで私を誘うように引いては寄せてを繰り返す。
――あの波に呑まれれば、青空さんに会えるかもしれない。
一瞬、そんな考えが頭をよぎって、私はその場に座り込んだ。
「青空、さん……」
会いたくて、会いたくて仕方がないのに、あなたはもうどこにもいない。
もう二度と、あなたに会うことはできない。
「会いたいよ! 青空さん……!」
でも、どんなに叫んでも、もう……。
「っ……」
その瞬間――砂浜に風が吹き荒れた。それは、まるで私に『ここにいるよ』と、でもいうかのように。
その風に誘われるようにして顔を上げると、そこには――清々しいほどの青空が広がっていた。
『辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているから』
必死に涙を拭うと、私は前を向いた。
「――見ててね、青空さん。私、頑張るから」
立ち上がると、スカートについた砂を払って、顔を上げた。
そして、私はひとり歩き出す。
君とふたり手を繋いで歩いた、どこまでも続く青空の下を。
いつも通りの日々が始まる。青空さんだけがいない、日常が。
人間というのは不思議なもので、こんなに悲しくても辛くてもお腹もすくし、眠くもなる。そのたびに、私は生きているんだということを実感させられてしまう。
「行ってきます」
「いってらっしゃい。……気をつけてね」
ぽつりと呟いた私を、お母さんが心配そうに見送る。まるで私がどこかに行こうとすると、まるでもう帰ってこないんじゃないかとでも思っているかのように。
「梓ちゃん」
「おにい、さん……」
駅に行くと、そこには青空さんのお兄さんの姿があった。お休みの日なのか、お兄さんはワイシャツにズボンという姿で私に手を振っていた。
「久しぶり。……大丈夫?」
「っ……」
悲しそうに微笑むお兄さんを見ると、青空さんのことを思い出して、胸が苦しくなる。前を向かなきゃいけないってわかってる。青空さんが好きだと言ってくれた私でいたいってそう思うのに、身体が、心がずっとずっと泣き叫んでいる。どうしてもう会えないのかと、もう一度、青空さんに会いたい。会ってその手に触れたいって……。
「……梓ちゃん」
「え……?」
お兄さんは、一通の封筒を私に差し出した。
「これ、青空から、最後の贈り物」
「青空さん、から……?」
お兄さんは「これじゃあ僕、車掌じゃなくて郵便配達の人みたいだね」なんて言って笑っていたけれど、私は手の中のそれを開けるので精一杯だった。
なんて書いてあるんだろう。何を伝えたかったんだろう。早く、早く見たい。青空さんからの、最後の……。
「しゃ、しん……?」
そこには、一枚の写真があった。
あの日、私が贈ったブランケットのように、真っ青な青空(あおぞら)の写真が。
「それを梓ちゃんに渡してほしいって頼まれたんだ」
「なんで……」
「……あの日、青空に頼まれていた通り、二人が写った写真は全部、柩の中に入れた。思い出は、全部自分が持って行くんだって、青空言ってたよ。手元に残ってたら、いつまで思い出してきっと君が前に進めないからって」
「っ……」
「でも……もしも、君が泣いているようだったらこの写真を渡してほしいって。辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているからって」
「青空、さん……」
涙が、止まらない。
最後の最後まで、私のことを心配してくれていた青空さんの優しさに、あふれ出す涙を止めることができない。
「っ……あ、ああぁっ……」
私は泣いた。泣いて、泣いて泣き続けた。
「梓ちゃん」
お兄さんが、再び私の名前を呼んだのは、ずいぶんと時間が経ってからだった。
「あ……」
「大丈夫……?」
「はい……。すみません……」
「や、いいんだけど……。ごめんね、僕そろそろ行かなきゃいけなくて」
時計を見ながら、お兄さんは申し訳なさそうに言った。
「あ、ご、ごめんなさい。お兄さんも忙しいのに……」
「ああ、いや。……今日は、青空の四十九日なんだ」
「っ……あ……」
あの日から、もうそんなに経ったんだ……。
黙り込んでしまった私の頭をお兄さんは優しく撫でると「またね」と言って去って行く。私は、その背中に声を掛けた。
「……お兄さん!」
「え?」
「青空さんに、私は大丈夫だよ! って、伝えてください!」
一瞬、驚いたような表情をしたあと、お兄さんは泣きそうな顔で笑うと「わかった」と言って歩き出す。
私も、行かなきゃ。
携帯を確認すると、莉緒から『今日もお休み?』というメッセージが届いていた。
『遅れるけど、行くよ!』
返事を送って、顔を上げる。
ホームから見える空は、青く輝いていた。
週末、私は一人で電車に乗っていた。行きたいところがあったわけじゃない。でも、なんとなく休みの日に家にいたくなかったから……。
朝、駅で会った青空さんのお兄さんは、無事納骨が済んだことを教えてくれた。それを聞いて、まだ少し胸は痛んだけど、もう泣くことはなかった。
こうして電車に揺られていると、青空さんと会った日のことを思い出す。あの日から、何度も二人で電車に乗った。二人で肩寄せ合って座った座席も、今じゃあ隣は私の鞄が置いてあるだけだ。
しばらくして、電車が駅に着くというアナウンスが聞こえて、私は窓の外を見た。そこは、青空さんと来た、あの海だった。
慌ててホームに降り立つと、風に乗って潮の匂いがする。
「じゃあ、いこ……う、か」
思わず、そう言って――周りには誰もいないことを思い出す。そうだ、もう私は……。
車椅子を押すこともなく、一人歩き出すけれど、ついエレベーターがどこにあるかを探してしまうし、通路に段差がないか確認してしまう。そんなこと、もう必要ないのに。
とぼとぼと海に向かう道を歩く。遠回りして、坂道を降りていくことなく、私は階段から砂浜へと降りた。ざくざくと音を立てながら、砂浜を歩くと、あの日青空さんと手を繋いで歩いたことを思い出して、私は……。
「っ……あっ……」
もう、限界だった。
涙が溢れて止まらない。
この数日、必死にいつも通りの生活を送ろうと頑張った。でも、私のいつも通りには、いつだって青空さんがいた。二人で通った道、二人で行った場所、二人で乗った電車。どれもどれも青空さんとの思い出が詰まっていた。
「もう、無理だよ……」
青い海が、まるで私を誘うように引いては寄せてを繰り返す。
――あの波に呑まれれば、青空さんに会えるかもしれない。
一瞬、そんな考えが頭をよぎって、私はその場に座り込んだ。
「青空、さん……」
会いたくて、会いたくて仕方がないのに、あなたはもうどこにもいない。
もう二度と、あなたに会うことはできない。
「会いたいよ! 青空さん……!」
でも、どんなに叫んでも、もう……。
「っ……」
その瞬間――砂浜に風が吹き荒れた。それは、まるで私に『ここにいるよ』と、でもいうかのように。
その風に誘われるようにして顔を上げると、そこには――清々しいほどの青空が広がっていた。
『辛くなったら空を見上げて。そこに俺はいるから。……そこから、君のことを見守っているから』
必死に涙を拭うと、私は前を向いた。
「――見ててね、青空さん。私、頑張るから」
立ち上がると、スカートについた砂を払って、顔を上げた。
そして、私はひとり歩き出す。
君とふたり手を繋いで歩いた、どこまでも続く青空の下を。