小学生のころ、泳ぐときに一人にならないのは当然のこととして、ペアはずっと変わらなかった。あたしと和弘、良一と明日実だ。泳ぎのレベルで、自然とそんなふうに分かれた。

 和弘は泳ぎがうまい。正確に言えば、潜ったり沈んだりするのがうまい。筋肉量が多いからだと、父が解説していたっけ。和弘は、海底に垂直に立ってみせるなんていう離れわざが、小学生のころからできていた。

 あたしも沈んだままでサザエを探すことができるけれど、和弘みたいに海底に張り付くことはできない。どうしても、体が浮かんでいこうとする。だから、いつも、頭と胸を低くして、両脚は浮かぶままに任せて、逆さまに近い状態で海底をただよう。

 しばらくの間、あたしたちは、サザエを採ることに没頭した。潜る、探す、浮上する。呼吸をして、潜る、探す、採る、浮上する。
 音が鳴り続けているような、静寂に満たされているような海の中では、時間の流れも空間の広がりも、忘れてしまいそうになる。ずっと海の中で、呼吸もせずに生きていられるような、不思議な錯覚にとらわれる。

 でも、だんだん苦しくなる。息苦しさを無視して動くと、手足がけだるくなってきて、仕方がないから、あたしは、光る海面へ向けて水を蹴る。
 水から顔を出して、呼吸をする。波の音があたりに満ちている。耳を澄ますと、山のほうからセミの声が聞こえてくる。

 それからまた、あたしは海に沈む。魚がチラチラと、頭上を、足下を、ときには目の前を、泳いで過ぎていく。
 海底の岩の隙間に住む大きな魚も、ときどき見掛けた。モリを持ってきていれば、突いて仕留めることもできたはずなのに。あたしが突くわけじゃないけれど。

 魚を突くのは、和弘の役目だった。モリを操るには、瞬発力も腕力も狙いの正確さも必要だ。それをあわせ持っているのは、あたしたちの中では和弘だけだった。何度まねしてみても、あたしにはできなかった。和弘がうらやましかった。